ユニクロで、娘までの10歩が歩けなかった夏。50歳、更年期のギブアップが教えてくれたこと。
私は、UNIQLOの店内で
たった数メートル先の距離を
歩けなかったことがあります。
夏が近づくと、私は今でもあの頃の自分を
思い出して胸が締め付けられそうになります。
こんにちは、優花です。
私のnoteを見つけてくれてありがとうございます。
今までの体の不調と明らかに違うと感じる。
理由もなく、不安に飲み込まれそうになる。
「まだ大丈夫」と言い聞かせながら、本当はもう大丈夫じゃないと気づいている。
そんな思いを一人で抱えている方はいませんか?
今日は、50歳を前にして私が経験した、
更年期のギブアップについて書いてみます。
これはただ体調を崩した話ではありません。
「しんどい」を言えなかった私が
自分の体と心の声を少しずつ
聞きなおしていった話です。
まだ大丈夫と、「いつもの私」を続けようとしていた夏
私が「更年期かもしれない」と感じ始めたのは
45歳の夏ごろでした。
じわじわとほんの少しずつ、自分の体が変わっていきました。
最初は動悸と不安感。
何が更年期で何がパニックなのかわからないままそれでも私は、なんとか
「いつもの私」を続けようとしていました。
でも
体は少しずつ私に限界を伝えていたのでした。
あの時、踏ん張らないと歩けなかった
そして49歳になったと同時に
更年期が本気を出してきました。
今日は胃もたれ
昨日は気分の落ち込み
一昨日は頭痛
毎日お構いなしに、違うどこかを攻めてくる。
その中でも
一番つらかったのは、めまいでした。
私の場合、ぐるぐる回るというより、
足下がふわふわするような
平衡感覚がなくなるような感覚が続きました。
近くのスーパーへ行くのも怖い。
運転もできない。
踏ん張っていないと、真っ直ぐ歩けない。
それは明らかに
今までとは不調のレベルが違っていました。
ただ聞いてほしかった
誰かに聞いてほしくて、勇気を出して
友達に聞いたことがあります。
「更年期で辛かったことはあった?」
友達からの言葉は
「私は全然ないよ。運動とか推し活とかしたらいいんじゃない?」
私は、そっとその話を閉じました。
ガードレールにつかまりながら歩いた日
ある日の耳鼻科へ向かう途中
体が斜めに傾いて
ガードレールに捕まりながら歩いていました。
みんな振り返って見ていたけど
そんなことは気にならないほど必死でした。
家に帰ると服が白くなるほど擦れていて
今でもその服をみると、少しだけ苦しくなります。
娘までの10歩がどうしても届かなかった
娘と買い物へ行った時のことです。
本当は不安だった。でも断りたくなかった。
ユニクロに入った時も
やっぱりまだ、足元は不安定でした。
娘が少し先で
服を選んでいるのが見えました。
だけど、そのときの私は
たった10歩ぐらいの距離なのに、
娘までたどり着くことができませんでした。
店の棚にもたれかかりながら
娘を遠くに見ている私。
それでも、私は言えなかった。
「しんどい」 「怖い」 「歩けない」
このときも私は
普通に動ける母でいたかったんです。
まだまだ支える母でいたかった
また別の日に娘たちと3人で
ららぽーとへ行った日のことでした。
私はららぽーとの床が苦手です。
同じ感覚の方、いらっしゃるかな?
あのワックスでピカピカの床。
反射する光。
A出口、B出口と色分けされた大きな文字。
目から入る刺激だけで、脳がどんどん疲れてきて
パンクしそうになるのがわかりました。
「眩しい」
「どこ見て歩けばいいの?」
そのとき突然、ぐらっと平衡感覚が消えました。
「あ、ヤバい、もう無理。」
そう思った瞬間、吸い込まれるみたいに
近くの長いベンチに座り込んでいました。
血相を変えて、駆け寄ってきたふたりに
その時にやっと出てきた言葉は、
「めまいがするから帰りたい」
まるで小さい子どもみたいに
聞こえるか聞こえないかの
小さな声しか出ませんでした。
娘たちは何も言わず、
両側から私を支えてくれました。
私は支えられながら、
駐車場まで歩かせてもらっていました。
地面をみながら、こんな状態でも
まだまだ娘たちを、引っ張っていきたいと思っていました。
「支える側でいたかった。」
なのに現実は、私が支えてもらっていた。
このときの感情を思い出すと、このままずっと顔をあげたくないぐらい情けなくて悔しかったです。
「つかまらせてね」が言える私へ
でも私は、その日を境に
少しずつ変わり始めました。
「今日はちょっとふわふわするからつかまっていい?」
そう言えるようになりました。
人混みのデパートや地下を歩くとき。
無理をして平気なふりをするのをやめました。
娘でも、母でも、妹でも
不安なときは、つかまれるものには遠慮なく
腕につかまりました。
たったそれだけのことで、私はもう一度、安心を取り戻すようになったのです。
昔の私からするとそれはとても大きな変化でした。
50歳はじめてのおつかいへ行く
それから月日がたち、
私を、ボコボコにしてくれた更年期の症状が
新しくなりつつある、体に馴染むみたいに
少しだけ落ち着いてきました。
今は近くなら運転もできるし
スーパーにも一人で行けるようになりました。
初めて一人でふらつかずに買い物にいけた日、
テレビでみるあの、はじめてのおつかいみたいに
卵だけを抱えて帰ってきたときの、
嬉しさと達成感は、いまでも忘れられません。
きっとレジでにやけていたと思います。
当たり前は奇跡の連続
あの夏、娘に支えられながら歩く自分を
心が握りつぶされるほど情けなく責めていました
でも今は、こう感じています。
あの時の私は
更年期で弱くなってしまったのではなく、
ずっと我慢してきた「小さなわたしの声」を
ようやく聞ける時期がきたのだと思います。
本当は、怖かった。
本当は、誰かに助けてと言いたかった。
本当は、
「もう大丈夫なふりをしなくてもいいんだよ」
と誰かに言ってほしかった。
今ならあのとき不安で震えていた私に
横に座ってそう声をかけてあげたいです。
50代に突入した私。
これからもまだまだ更年期の不調はやってくるでしょう。
でもあの夏のギブアップを経験したからこそ、
これから先は、
自分の体の変化を急かさずに、不安に思わず
両手を広げて受け入れようと思います。
まっすぐ歩けること。
スーパーに行けること。
眠れること。
朝起きられること。
当たり前と呼ばれるその日常は
びっくりするほど、当たり前じゃないのです。
更年期のギブアップが、それを私に教えてくれました。
私たちは新しい自分に出会う道のりを歩いてる途中
もし今、理由のわからない不調や不安に戸惑っている人がいるとしたら、
私はその気持ちを軽く扱いたくありません。
前みたいに動けなくなるのは、あなたが弱くなったわけじゃありません。
理由もなくしんどくなることは、怠けているからでもありません。
「気の持ちよう」では、
どうにもならない日があります。
「自分さえ頑張れば」を続けていると、
やがて苦しさに飲み込まれてしまうことを、私は知っています。
だから、
体が変わることは、壊れることじゃなくて新しい自分に合った生き方を、ようやく探し直す時がきた合図なんだと、私は思います。
何もできない日、泣いてしまう日、誰かにつかまらないと歩けない日が続いたとしても、自分を責めたり、急かしたり、無理やり歩かそうとしなくてもいいんです。
だから、誰より頑張ってきた自分の体の変化を
一緒にゆっくり待ってあげませんか。
うまくできなくなった日も。
前のように動けない日も。
それでも今日ここまで生きてきたあなたの体は、
もうそれだけで、じゅうぶんだということを
私は届けたいです。
もし理由もない不安でパンクしそうになったら
もし言葉にならない気持ちを誰かに聞いてほしいと心があなたに伝えてきたら
どうかその声をなかったことにしないでほしいのです。
私がただ聞いて欲しかった時間があったように
今度は私が安心できる小さな場所で待っています。
励ますわけでも、
何かを正す時間でもありません。
ただ一緒に座って気持ちを見つめる時間です。
ここまで読んでくださってありがとうございます
必要な方の心へ🕊
わたしからの手紙が届けば嬉しいです。
優花
