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その「頑張り」は、愛だったのかもしれない

はじめて来てくださった方へ

このnoteでは「一生懸命生きているのに、なぜか報われない」感覚を、感情論だけでも根性論だけでもなく、構造として言葉にすることを大切にしています。

初めての方は、今の気分に近いところから読んでみてください。

しんどさの正体を言葉にしたいとき

不安を、数字・安心・価値に分けて見つめる話

少し呼吸を戻したいとき

“動けない”を怠けではなく身体のサインとして読む話

また動き出す感覚を探したいとき

不快の奥にある、自分の向き先を探す話

以下は、このnoteの根っこに近い話です。


棘のように残っていた言葉

かつて、心のバランスを崩しながらも、 必死で仕事にしがみついていた時期がある。

当時の上司からふと言われた言葉が、 ずっと胸の奥に、小さな棘のように残っていた。

「お前は甘えているだけだ」

その言葉をうまく受け流すことができず、 自分を責め続けたように思う。

今、見える景色

けれど、今。 改めてその棘をそっと見つめ直すと、 まったく違う景色が見えてくる。

あの時の、息苦しいほどの頑張りは、 一体なんだったのだろうか。

それはきっと、 自分の存在価値を証明するための、 声にならない叫びのようなものだったのかもしれない。

そして同時に、 不器用ながらも、何かを大切に守ろうとした、 「やさしさの証」でもあったのだと、今は感じる。

確かに、あの頑張りは、 どこか欠けた自己意識を埋めるため の行為だった。

でも、その痛々しいほどの必死さの奥には、 まぎれもない「愛」と「誠実さ」があった。

それこそが、 今の僕という存在を支える、 あたたかな価値の根源になっている。

そう気づいたとき、 長年刺さっていた棘が、静かに光へと溶けていくのを感じた。

もう、必死に頑張るというやり方は手放した。

それでも、 僕は、ただ満ち足りている

その揺るぎない確信だけが、 ただ静かにここにある。

傷の連鎖を終えるために

そして今、ふと思う。

あの言葉を口にした上司もまた、 もしかしたら、 ズタボロになっても頑張り続けた人だったのではないか、と。

その言葉は、 その人がそうしなければ自分を保てなかった、 その人自身の内側にある傷から、 零れ落ちたものだったのかもしれない。

傷の連鎖は、 誰かがそれに気づき、静かに受け入れたときに、 そっと終わりを告げる。

僕たちは、自分の内側で、 その連鎖を静かに終えることができる。

今日もまた、 世界はただ穏やかにそこにある。


ここから読めます

ここまで読んでくださってありがとうございます。

いまの自分に近いところから、必要なものだけ拾ってもらえたら十分です。

しんどさの正体を言葉にしたいとき

少し呼吸を戻したいとき

また動き出す感覚を探したいとき

更新では、
報われなさの構造 / 感情の読み替え / 小さくまた動き出す感覚を、静かに書いていきます。
合うときに、また覗いてもらえたらうれしいです。


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