見出し画像

何者でもない私が、年末年始をひとりで過ごして気づいたこと

年末年始、私は ひとりで自宅にいた。

もう1か月も経ったけれど、
「初めての一人きりのお正月」は、今でも
はっきり覚えている。


断る前、正直すごく怖かった

風邪の症状があり、
夫の実家への帰省を 私は断った。

夫にはひとりで帰ってもらい、
私は自宅に残る、という選択をした。

断る前、正直に言うと
いくつもの怖さがあった。

  • 義理の母に、がっかりされるかもしれないこと

  • 「嫁としての役割を果たせない」と感じる罪悪感

  • そして、夫が猛反対するかもしれないという不安


特に怖かったのは、
私の体調を気遣うというよりも、
夫に「夫としての自分の立場」を
主張されるかもしれない

という想像だった。

それは私にとって、
とても 悲しいことだったから。

結果的に、夫は実家へ帰り、
私はひとりで自宅で年末年始を
過ごすことになった。



ひとりになって、最初に抜けた役割

ひとりになって、
最初に抜けた役割は
「妻」だったと思う。

特に
「休日の妻」という役割。

  • ご飯のことを考えなくていい

  • 正月らしさを用意しなくていい

  • 空気を読まなくていい

  • 誰かの予定を基準に動かなくていい


その状態で、
ひたすら昼寝をした後に、

私は ノートを書き始めた。

✍️ 手書きのノートだ。

咳は出てたけど、ノートを書く気力はあった。

時間を気にせず、
途中でやめる理由もなく、
ただ 書きたいだけ書いていた。

そのとき、
いちばん強かった感覚は
「解放感」だった。

癒される、というよりも
安心、というよりも、

「やらなくていい」
「気にしなくていい」

という解放感。



体調は悪い。でも、妙に快適だった


体調は正直よくなかったけれど、
食事はコンビニの 鍋焼きうどんを買い込んで
毎食それを食べていたので問題なし。

家事の心配がないって、
「なんて素敵な解放感なんだろう」
と思っていた。



もし夫がいたら、起きなかったこと

もし夫がずっと家にいたら、
この状態は 起きていなかったと思う。

夫が悪いわけではない。

ただ、私が自動的に
「休日の妻の役割」を背負い続けてきた
それだけのこと。



これって、リトリート…?


ふと、

「これって、
リトリートみたいな状態かもしれない」

と思った。

  • 特別な場所に行ったわけでもない

  • 何かを取り入れたわけでもない

  • 整えようとしたわけでもない


ただ、
慣れ親しんだ自宅で、
役割が外れた状態で、
静かな時間を過ごしていただけだった。

そのとき、
自分に対する評価が少し変わったのを感じた。



何者でなくても、ここにいていい


私は、

何者でなくても、
ただここにいていい。

  • 「妻」でなくても

  • 「嫁」でなくても

  • 役に立たなくても

  • 正月を回していなくても


「ちゃんとしていない自分」でも、
ここにいていい。

そう感じる喜びに浸っていた。



役割は、

「意志で降りなくてもいい」

のかもしれない



これまで私は、
役割から降りるには
それなりの 覚悟が必要だと思ってた。

自分で選択し直さなければいけない、と。

でも今回、
環境が先に変わって、
結果として役割から降りる

そんなことも起きるのだと知った。



いまは、また日常に戻ってる。
役割も、戻ってきた。


でも、


  • 何者でもないまま、
    ただ存在していていい時間があったこと

  • 快適で、
    私がちゃんと喜んでいた「ひとり時間」
    を堪能してしまったこと


それを 一度でも知ってしまった


それだけで、
この年末年始は 十分だった気がしている。


🌱 次回予告

次は、
「夫にひとりで帰省してもらうまでの過程」
を書きました


いいなと思ったら応援しよう!