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竹田城への一本道、その先に待つ3つの地形:「秀吉の中国攻め」を地形・地質的観点で見るpart6【合戦場の地形&地質vol.11-6】

日本の歴史上の「戦い」を地形・地質的観点で見るシリーズ「合戦場の地形&地質」。現在は「秀吉の中国攻め」をお送りしています。
竹田城は姫路城からほぼまっすぐの一本道でつながっていますが、間には2つの峠があります。
手前の生野峠を越え、さらに北へ進軍するとその先にはどんな地形が待ち受けているのでしょうか?

前回の「合戦場の地形&地質」はコチラ👇


もう1つの峠

姫路城から竹田城への一本道は3本の河川がすれ違い、まるで一本の谷かのように見える地形です。

生野峠-生野北峠周辺地形図:スーパー地形画像に筆者一部加筆

これらの河川のすれ違い地点に峠があり、南が生野峠(いくのとうげ)、北が生野北峠(いくのきたとうげ)です。

朝来市生野町周辺の地形図:スーパー地形画像に筆者一部加筆

上図のとおり生野銀山への入り口は両峠に挟まれています。
そのため山名氏としては、生野銀山を守るために織田軍を生野峠で食い止めたいと考えるでしょう。
そのため生野峠以上の戦力は生野北峠には潜んでいないと想定できます。

とは言え油断は禁物。
生野北峠周辺の地形を見てみましょう。

生野北峠周辺地形図:スーパー地形画像に筆者一部加筆

「峠」と言えるものは2箇所あり、現在の生野北峠(上図赤丸)は西の国道312号線に名付けられています。
しかしこの国道を良く見ると両側には崖マークがあり、谷幅に余裕がなく道路幅ギリギリです。つまりこれは道路建設のために山を開削したのではないでしょうか。
そのためここは戦国時代は尾根がつながっており、東の峠(青丸)の方に街道が通っていた可能性が高そうです。

生野北峠(東の峠)の断面図:スーパー地形の機能を用いて作成した断面図に筆者一部加筆

東の峠の谷底幅は約30mと狭く、上の断面図(縦横比1:1)を見ると、生野峠と比較するとやや急に見えます。
角度は8.5度であり、これは人間が登るには急に感じる坂であり、自転車の場合は多くの人が立ちこぎするレベルです。

皮肉なことに銀山入口より奥の峠の方が、わずかではありますが防御側に有利な地形でした。
しかし大きな違いではないため、一定以上の兵力があるなら、やはり生野峠での迎撃を試みるのではないでしょうか。

もう1つの狭窄部

生野北峠より先には峠はありませんが、道幅が狭まる場所はまだあります。

生野町円山周辺の地形図:スーパー地形画像に筆者一部加筆

生野北峠から北へ約1.5kmでは、全体の谷幅は広いものの中央に山地があり、河川が二又に分かれています。

生野町円山周辺の地形図 拡大図:スーパー地形より抜粋

拡大図です。
東の谷には国道、西の谷には高速道路が通っています。
どちらも谷幅は約30mと狭いものの、河川は北へ流れているため北へ下る坂道になっています。
加えて道が2本であるため、兵力を完全に2つに分ける必要があります。
以上の地形的条件を考慮すると、防御側には不利な戦いが予想されます。
仮に野戦で迎撃する判断を下すのであれば、ここではなく南の2つの峠のいずれかを選択すると考えられます。

また勝算があるほどの兵力があるのであれば、生野銀山を守るためにも生野峠で待ち構えるのではないでしょうか。
それが無いのであれば、岩洲城、竹田城それぞれで籠城戦になるであろうと予測できそうです。

岩洲城までの道のり

二又の地形を過ぎてしまえば、岩洲城までおよそ4kmの距離まで近づきます。

生野町円山周辺の地形図②:スーパー地形画像に筆者一部加筆

途中には上図青丸地点のように複数の河川が集中する箇所があり、これらの地形を利用した迎撃の可能性もあります。

岩洲城周辺の地形図:スーパー地形画像に筆者一部加筆

河川集中地帯も抜けてしまえば、上図のように特に大きな地形的な障害は無く、岩洲城に迫ります。その距離は約2km。

次回へ続きます。
お読みいただき、ありがとうございました。

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