クラファンはここに在るという命すら賭けた証明。
いま、所持金はゼロに近いです。
冷蔵庫も空に近く、インフラも止まりかけています。
クラファンを初めてから、
問い立てた社会構造は、
結果から言えば、
空っぽでした。
現在、目に見えるかたちでわたしが動いていないのは、怠けているからでも、体や心が壊れたからでもありません。
スピリットが「これは違う」と言ったからです。
社会の中で“ちゃんとする”ふりをして、
構造の中で求められる役割を演じて、
それでも何ひとつ報われない場所に立ち続ける——
そういう生き方に、わたしの魂が「NO」を出しました。
だから斬りました。
見えないものに従って、わたしは道を変えました。
すると、当然のように収入はなくなりました。
助けてもらえる制度も、乗せられる枠組みも、あえて強制されるもの以外、ほとんど使っていません。
でも、ここにいます。
いまも、生きています。
「どうして?」と聞かれたら、
「そうでもしないと、生きてこられなかった」としか言えません。
なぜクラファンを立てたのか。
それは、「わたしがここにいる」という事実を、
もう一度、わたし自身の手でつなぎたかったからです。
第九に出ます。
それだけは、どうしてもやる。
それが、わたしにとって「生きている」と言える一点だから。
お願いをします。
これは、助けてほしいという話ではありません。
ここに在るという証明に、力を貸してください。
具体的に述べます。
わたしは、働きました。
この人、この構造がやっていることは「支配」だ、「搾取」だと感じた。
俯瞰して、そのまた上から俯瞰して、最上位的にたどり着いたのは、
「そこから抜けてしまえば悩まない」という地点。
その実、労基や行政に渡す準備もしています。
けれど、現実はそうではありません。
抜けても、準備しても、間に合わない。
当たり前に請求は来る。
もちろんそのなかで、北海道という求人の少なさも鑑みながら、単発で働くことや、合う場所を探し続けて、それに属さないライターとして生きることも、
それを外れて生きて行くことも検討しています。
具体案としては起業とか。
でもそれはまだ早い。
ここから先、
なにが見えるか。
なにが出来るか。
ただの一般的な再出発からも外れています。
なぜなら、社会から誤解され、誤解され続ける人生だったから。
根性なしとは言い切れない。
まずそこを変えるには。
だから今も、
ここに生きる意味さえ、未だ問うています。
それでも突き放されるならそれでもいい。
わたしの命懸けの問いでもあります。
あなたは、どう思いますか?
