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アリの巣を見ていた朝|風まかせ文芸部 第63回「遠い花火の音」


iさん主宰の、風まかせ文芸部・第63回お題企画に参加しています。

お題:”遠い花火の音”がテーマ
ショートショート、小説、詩、エッセイ──ジャンルもスタイルも自由。


──このテーマでは二本目の投稿です。よろしくお願いします。






昭和二十年──
三月十日未明

東京上空


「先導機の投下を確認。さあ野郎ども、始まったぞ!」

「俺たちも、さっさと荷物を下ろして帰ろうぜ」

「サム! 昨日の負け分さっさと払えよ」

「帰ったら色つけて返してやるよ!」

「おいジミー、目を離すんじゃねえぞ」

「ジャップのゼロは、ロクに数も揃ってないんでしょう? 暇ですよ」

「言うじゃねえか小僧」

そのとき、僚機から突然、火線が上がり始めた──

「5番機が撃ち始めたぞ……デイブ、ジャップの待ち伏せだ!」

「ファック! ジャップは何機だ? 何機いる?」

「ハイランダー5より各機へ。速い! ゼロじゃない!なんだあいつの大砲は……繰り返す、ゼロじゃ……ウワーッ」

「サム! ボギーは双発機。反転上昇した。繰り返す。反転上昇!」

「食われたのはどの機だ⁉︎ もう一度上がってくるぞ、弾幕! 弾幕切らすな!」

「双発だぞ……なのにあの上昇力はなんだ?」

「直上にジャップ! ちくしょう、まっすぐ向かってくる!」

「ダイブするぞ、つかまれ! ジミー撃て!撃て! 寄せつけるな」

「速い、速いよコイツ!──大尉! 間にあいません」


東京──ある防空指揮所

ノイズの大きい無線が、アメリカ軍の無線を傍受している。

「ザザ……ザ……Ma……Mama……」

「土浦が一機突っ込んだようです。撃墜戦果、ヒト」

「そんなものがなんになる。なんなんだ、このB公の数は……今日はおかしい」


三月十一日朝

東京──隅田川に近いどこか

ひとりの少年が道端にしゃがみ込み、一心に何かを見ている。
路傍では、巣穴をしきりに出入りしている、アリたちの姿があった。

「おい坊主、母ちゃんはどうした? 腕、怪我してるじゃねえか」

国民服の男が話しかける。
自分の腕の傷に、今になって気がついたのか、放心した様子の少年。

「防空壕の中……町会の」

「で、無事だったのか?」

少年はうつむき、小さく首を振った。

「そうか……救護所に連れてってやる」




令和八年──
晩夏

温泉のある街


「あら、シンちゃんは花火、行かなかったの?」

「苦手なんですよ、人、多いでしょ?」

「誰か誘って行けばよかったのに。でも、ここにいるなら、お父さんの相手してあげてくれない?」

「いいですよ」

──よっしゃ、ビールゲット!

下宿のお父さんの遅いご飯に御相伴に預かると、ビールの相手をさせてもらえる。
貧乏学生の僕には、貴重なアルコールだった。

「こんばんは、今日はだいぶ涼しいですね。でも、これでも昔よりは蒸すんですって?」

「ああ、シンちゃん。そうだな、昔はお盆すぎると、夜は寒いくらいだった」

北海道の大学に進学して、僕は一人暮らしを始めた。
とはいっても、今どき珍しい賄いつきの下宿だ。
一人暮らしの友達のほとんどは、アパートに住んでいる。
この下宿に住んでいるのも、ほとんどが高校生や高専生だ。

「シンちゃんは、こんなの食べるかい?」

「松前漬けじゃないですか。それも数の子入ってる! いただきます!」

「ほら、ご相伴」

「いただきます!」

瓶から小さいグラスに注がれたビールは、よく冷えている──たまんないな。

お母さんが箸や小鉢をいくつか持ってきてくれた。
我ながら渋い晩酌だ。

「それじゃあシンちゃん、私ちょっとそこまで出てくるから、お父さんお願いね」

「はい!」

お母さんは、70歳くらいらしいけれど、僕の目から見ても、なんだか不思議な艶がある──「おばあちゃん」って感じが全然しない。
入学式のとき、一度だけここにきたことがある母さんは、「あの人、もしかしたら元は芸者さんか何かかしら」なんて言っていたけれど、もしかしたら、そういうものかもしれない。

お父さんは昭和10年生まれと聞いたことがある。いくつなんだ? 昭和で言われてもよくわからない。

「シンちゃんは、とうとう夏休み、実家に帰らなかったな」

「こっちでバイトしてた方がいいですよ。っていうか、してないと色々厳しいし」

「そうかい。俺はさ、こうやってつきあってもらえるから、うれしいけど」

「こちらこそ、いつもごちそうさまです」

「いいのさ、こんなのは」

「お父さんは、花火、見に行ったりしないんですか?」

「──昔は、つきあいとかあったからね。
ここの花火大会は、花柳界の競い合いなんだ。一発ごとにスポンサーがつくのさ。『ただいまの花火は、どこどこの協賛でお届けしました』ってアナウンスされるんだ。
凌ぎ合いっていうか、まあ、見栄の張り合いだな」

「そうなんだ──僕、ディズニーランドとか神宮とかの花火しか見たことないから」

そんな旅館や料亭は、市電を降りてこの下宿の辺りまで歩いてくる途中にも、いくつかある。
道端の排水溝の蓋の隙間からは、温泉の湯気がかすかに上がっている。
でも、海辺で上がる花火が見えるほどの距離じゃない。

ただ、音は風に乗って聞こえてくる。

──ドン

「あ、始まりましたね」

「シンちゃん──」

「なんですか?」

「窓、閉めてくれないか」




昭和20年──お父さんは、まだ9歳だった。

その夜、空から無数に降ってきた鉄の雨を、今も忘れられずにいる。

3月10日。
今では、東京大空襲と呼ばれる夜だった。

「空襲警報──わかるだろ? あれが聞こえると、町会の防空壕に走るのさ。もう、真夜中だった。
でもあの日──どうしてだか目の前の通りを荷物を抱えて右往左往している人、荷物を載せた車、なんだかごった返していてね。
気がついたら、母さんや兄弟たちとはぐれてしまっていたんだ。
防空壕の場所なんて、すぐ近所でわかってるはずなのに、どうにも辿り着けない。それに、人波に押し返されたりで、自分の思うような方に進めない」

そして、空襲が始まる。

「防空陣地の高射砲の音が鳴り始める。ちょうどあんな、花火みたいな──花火みたいな音だ。
そして、B-29のプロペラの音が響き始める。腹の底まで響くんだ。それが何機も、何機も……数え切れないくらい飛んで来る。ああ、本当に数えきれなかった。高射砲の音なんて、すっかり覆い隠されてしまう」

お父さんは一人で、東京の下町を逃げ回った。

「なんにも覚えてないよ。なんにもだ。ただ暗くて、怖くて、ひとりだった。

そして──降ってきたんだ。火の雨が。

焼夷弾っていうのは、結構大きいのさ。それが空から、お尻につけたリボンみたいなのをクルクルクルっとなびかせながら落ちてくる。いくつも、いくつも、いくつも……そのあとは火の海さ。前を見ても、後ろを見ても、どんどん火の手が広がっていく。どこにも逃げられない。
わかんないんだ、全然わかんない。どうして、朝まで生きていられたのか」

「──それから、どうしたんですか?」

「何もしなかったよ、なんにもさ。

ああ……アリの巣を見ていた」

「アリの巣?」

「朝になって、明るくなってみたら、多分、みんなが逃げる方向に流されていたんだろうね。気がついたら両国橋の向こう側にいたのさ。
だからね──照り焼きってあるだろ?」

「チキンとかのですか?」

「あれがどうも苦手さ、見ちまったからね」

「何を?」

「シンちゃんは、両国橋のあたりはわかるかい?」

「なんとなく」

「最初はわかんなかった。何か浮いてるんだ。よく見ると人なのさ。びっしりと人が重なってる。全部あの炎で焼かれた人だよ。

服も、肌も何もかも──それがあんな感じだったのさ」

「……」

お父さんは煙草を手に取って、火をつけた。

「家には、帰れたんですよね?」

「家の場所には帰れたさ、多分ね。もう何もかも焼けちまってて、何処がどこだかわからなかった。だから──」

長い息で吸った煙草から、ゆっくりと煙が吐き出された。

「──見てたんだ、アリを。

家のあったあたりで途方に暮れて座り込んだら、アリが忙しそうに動き回ってるのさ。潰れた巣穴を直したりしてたのかもしれない。
いつまでもずっと眺めていたよ、ずっと、ずっとだ……。

そうしてるうちに、誰かに声をかけられた。知らないおじさんが救護所に連れて行ってくれた。ひどい火傷をしてたのさ、この腕に。ほら」

夏の浴衣姿でも下に長袖を着ているお父さんが、シャツの袖をちょっとまくった。手首の上から、ケロイドと、変色した皮膚がチラッとのぞいた。

「お父さんの家族って──」

「アリは、巣の中で生きてたのになあ……」

二本目の煙草が手にとられ、火がつけられる。でもお父さんは、それから口をつけようとしない。

「……町会の防空壕は、丸ごと蒸し焼きになっていたよ」

見えない浜辺の花火の音が、窓越しに薄く聞こえてきた。

お父さんが、僕のグラスにビールを注いでくれる。
なんとなく、二人でグラスを掲げた。

──今日のビールは、なんだか苦い。(了)



📚 これまで、文芸部の部活に参加した作品をまとめています(マガジン)


📚 もう少し長い物語を読んでみたい方へ──現在連載中の長編三部作です。

私には、「選ばなかった人生」と「なれなかった自分」をめぐる物語があります。


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