悲しみの風景(短編小説)
海を眺めていた。大小さまざまな石が敷き詰められた海岸に、一人きりで立ち尽くしていた。
正午前、暑さの増してきた初夏の海には、他に人影もちらほら見受けられた。ひとときの涼を求めてやって来たのだろう。波と戯れる親子連れに、堤防に腰かけて語り合う幾人かの若者がいた。
名前も知らない人たちがそれぞれに海に思いを馳せていた。ただ、あなたの姿だけが足りない。
寄せては返すさざ波は、追う者を拒むふりをしながら、一気に水の中へと引き込んでしまいそうに見えた。近づきすぎは危ないと身を引きながらも、この思いがいつまでも続くくらいなら、と考えずにはいられなかった。
昼下がりの穏やかな海風が、潮の香りを運んできていた。ただ、あなたの香りだけが足りない。
辺りにいた人たちはいつの間にか、一人、また一人と姿を消していた。いやに情熱的な色をした夕焼けが、眩しすぎて目に染みた。今、立っているこの場所も、潮が満ちれば海の底――ごく浅いとはいえ。
少しだけ冷たくなった空気が肌にからみついて、徐々に体温を奪っていった。ただ、あなたの温もりだけが足りない。
水平線の向こうへと、もうすぐ太陽が沈む。「日」が「没する」なんて縁起でもない……などと思ってしまったのは、自分の弱さのせいかもしれなかった。夕日の茜色と宵闇の紫紺のはざま、刹那にも似た黄昏時の空の色の儚さが、うら寂しさを掻き立てた。
潮が満ちていった。潮騒の音が聞こえた。ただ、あなたの。
(一緒に行こうよ)
あなたの声が聞こえた、気がした。嘘だ。他の何かと聞き間違えた、そのはずだった。それでも、潮騒の隙間から、確かに。
行けないよ、そろそろ帰らなくちゃいけないから――何処へ?
あなたのいない世界なんて、あなたの傍の他に居場所なんて。此処ではない何処かでも、呼んでくれるのなら、其処が。
満ちた潮に足を浸せば、優しく𠮟ってくれるだろうか。体を濡らせば、抱き留めてくれるだろうか。頭まで沈めば、涙の跡も消えるだろうか。
海の底に何もかも棄てて、また逢えるのなら。それだけで――それだけが。
誰もいない海だけが、水面に夜の闇を映している。

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