涙のながしている 涙 ・ ボイセンベリー
涙が流れるとき
たいてい
周りの人たちに見せないよう気づかうものなのだろう
大人と呼ばれる人たちは
あるとき
連れ合いを突然亡くした女性に打ち明けられた
最初の一年、それからあとも
どんなに悲しくても
外では一切涙を見せなかったという
うちに戻って 戸に鍵をかけ
窓のカーテンをピッタリ閉めて
受話器を外して
それで初めて
涙をながすことを自分に許したと
そういった経験は私にまだ ない
ただ 気づいたのは
わたしには
心の内に人知れず流れている涙があるのを
人に見せることはむろん
自分にさえ見せられない涙
気づいたのは
つい最近のこと
二年ほど前から楽しみにしていて聞く耳ある人みんなにしゃべっていた
一人旅
それが急遽 おじゃんになった
高校六十周年の同窓会
二十周年以来行けることなんてできない人生を送ってた
高校はちょっと珍しいとびきり美味しいパイになるボイセンベリーの農村
季節には収穫にかりだされ熟した実を選んでもぎ取るのを覚えた土地
ひさ〜しぶりにアメリカンシスターズと呼んでいる
一歳上のお姉さんと一歳下の妹に会える
そして
そこからがんばればとどくところに住み移った
実の娘と思えるほど心近しく親しみのある女性の家庭を訪ねる
それを何度も何度も心で夢み、どんなに嬉しいことだろうと想像を重ねた
でも叶わなかった
愛する 夫の急病で
その前の週までは普通だったのだけれど
二ヶ月前に買い求めた飛行機の切符をいよいよ明日使おうという日
夫は胸に手を当ててここが痛むと言った
その瞬間から
緊急医療室 入院 退院 再入院 二度目の退院
そんなひと月あまりが過ぎ 夫はうちに戻り今は普通と見える日常に戻った
安堵の気持ち
ありがたいという気持ち
あのときもしもという思い
それは全部ほんとうの気持ち
ただ 気づくのは
どこかに
そっと
誰にも 本人の私にも
知られずに
流れているなみだ
外を歩き 買い物をし
食事の支度をしている
夫とかるい会話を交わし
微笑み合いながら
人知れず 胸の片隅で
もう二度とはできないだろう叶わなかった再会を思う自分
そんな心持ちをひそめながら 息を吸い息をはき
生き続けている
健気で愛おしい自分
友だちが流しているのじゃない、家族でもない、自分でもない
涙そのものが
可哀想と思い
勝手に流している
涙
_ _ _
恋心は、女性も男性も地上の命尽きるまで静かにあるいは激しく燃えつづけ命そのものを支えてくれる原動力の一つに思えてなりません。
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