55歳、俺、母になる!?⑪【#創作大賞2025#エンタメ原作部門】
弁当屋の仕事にも慣れてきた。
仕込みや内職に加え、最近はレジや接客も体調に合わせて任されるようになった。
──そんなある日。
「うわ、けっこう重い……」
優一に頼まれたキャベツを一気に運ぼうとした、
そのとき──
「美弥さんっ!!ダメですよ、それ俺がやりますってば!」
大輝がどこからか飛んできて、慌てた顔で前に立ち、キャベツをひょいっと持ち上げて運び始めた。
「……すみません。ありがとうございます」
そう言いつつ、健一の胸には別の感情が浮かんだ。
(優しいのはありがたいけど、
美弥のこと絶対そういう目で見てるだろ……)
と、警戒心が芽生えたとき――
キャベツを運び終えた大輝が、今度はイスを持って戻ってきた。
「美弥さん、頑張りすぎですよ!少し休んでください!」
心配そうに眉を寄せ、イスを差し出してくる。
(……なんなんだよ、どんだけ気が利くんだお前は)
「ありがとう……」と礼を言いながらも、
( 簡単に心は許さん。昌也のこともあるしな。
…ま、今の中身は55歳のおっさんだから、どれだけ頑張られても恋愛にはならねぇけど!? )
と、健一は心の距離を保った。
***
その日の帰り道
昼の日差しが強く、
アスファルトが熱を放っていた。
店を出て数分で呼吸が浅くなり、
足が進まなくなった。
「……ハァ、今日、暑すぎだろ……やけに息が上がる……まだ五分も歩いてないのに…」
暑さのせいか、ただの疲労か。
とにかく、足が重い。
心臓の鼓動が早くなるのが分かる。
「……帰って、横になろう……」
そう思った矢先だった。
ふっと、目の前の景色が白く霞む。
音が遠のき、
「……また、貧血……?」と健一はつぶやいた。
どうにか立っていたが、
足に力が入らず、気づけばしゃがみこんでいた──
「美弥さん!? 大丈夫か!!しっかり!!」
車のドアがバタンと閉まる音とともに、
聞き慣れた声が飛び込んできた。
配達帰りの優一だった。
すぐに車を停めて、駆け寄ってきた彼は、
息を切らしながらも穏やかな声で健一を支える。
「立てるかい!? 無理しちゃダメだ!」
「……は……い……貧血……みたいで……少し……気持ち悪くも……」
呼吸するのもきつくて、声は自然と細くなる。
「大丈夫、すぐ病院連れてくからな」
優一はそう言って、
肩を抱え、車の方へと連れて行った。
曖昧な記憶のなか、車の揺れと冷たい空気、
かすかな声が断片的に残っている。
気づけば、見慣れない天井が視界に広がっていた。
(……ここは……病院……?)
ゆっくりと頭を動かして横を見ると、
そこに立っていたのは
──莉緒だった。
「おっさーん、大丈夫? 体調どう?」
冗談めかしてかけられたその声に、ようやく少し現実味が戻ってきた。
「……あぁ……どうなるかと思ったが……どうやら、村田に助けられたらしいな……感謝だ……」
「ほんとだよ!優一おじさん、めちゃくちゃ慌ててたよ!美弥を抱えて突然うちの病院に来るんだもん。びっくりしたよ!妊婦は産婦人科に行かなきゃなのに間違えてるしさー、 まぁ、おじさんらしいけど!」
「そりゃそうだよな……ほんと突然で……ん?……」
健一はふと莉緒を見つめ直し、ようやく気づいた。
(……えっ?……その服装……名札……病院……って……)
「り、莉緒……お前…… 看護師 だったのか!!」
思わず身を起こしかけながらそう言うと、
「えー?今さら?言ってなかったっけ?」
「いや、初耳だぞ……!」
苦笑いを浮かべながら言うと、
莉緒は肩をすくめてあっけらかんと笑った。
「あはは。別に隠してたわけじゃないけど……?
でも、産科は専門外だから頼りにしないでよね!
一応、今、勉強中ではあるけど…さ…」
そう言って莉緒は、少し照れたように視線を外す。
「……お前、俺のために勉強してくれてたのか…!
…良い奴だな、泣けるじゃねぇか」
思わず口から漏れた言葉に、
莉緒はピシャリと眉をひそめた。
「違うし!“おっさん”のためじゃないの!美弥のためだよ!」
思わず噴き出しそうになるのをこらえながらも、
健一は莉緒の真っ直ぐな目に見入った。
「……大事な存在だからさ。
もし何かあったら、って思うと怖いんだよ……」
その言葉は、真剣だった。
冗談混じりの口調の奥にある、本当の優しさが伝わってくる。
「……ありがとな」
心強い存在がまた一人増えたことに、
胸の奥がじんわりと温かくなった。
***
莉緒に産婦人科まで車で送ってもらい、
診察を受けると、お腹の子は変わらず元気だとわかり、一安心した。
けれど――
「貧血の数値が下がってきていますね。鉄剤を出しておきますから、しばらく飲んでくださいね」
医師からそう言われ、
薬を受け取り、家へと帰った。
玄関のドアを開けた瞬間、ムッとする熱気が肌を刺した。もわりとした空気に喉の奥が引っかかるような感覚があった。
「……暑すぎだろ、こりゃ……」
リビングに入ると、すぐクーラーのスイッチを押し、額の汗をぬぐった。
——そのとき、ふと記憶がよみがえった。
由美が妊娠していた頃のことだ。
真夏の昼間、家でクーラーをつけていた由美に、
健一は言った。
「温度下げすぎ。
お前ひとりなんだから扇風機で充分だろ」
彼女の体調よりも、電気代の心配ばかり。
子どもが生まれるから節約しろ、そんな言葉を盾に、由美のしんどさに目を向けることすらなかった。
——実際に、妊婦になってみて初めてわかる。
尋常じゃないほど身体が火照り、
立ち上がるだけで息が切れる。
汗も滲んで止まらない。
今になってようやく知った。
あの頃の自分が、どれだけ無神経だったか。
「……こんなことすら、体験しなきゃ分からなかったんだ、俺は……」
ひとりごとのようにそう呟いた健一の胸に、
またひとつ、後悔が積み重なった。
──第⑫話へつづく
