55歳、俺、母になる!?⑫【#創作大賞2025#エンタメ原作部門】
気づけば、妊娠後期に入ってた。
お腹はすっかり大きくなり、
体のあちこちが悲鳴を上げていた。
「……いたたた……」
歩くだけで足の付け根がズキッ。
夜中もトイレで何度も目が覚め、
腰の痛みがつきまとう。
「はぁ……妊婦って、ほんとにゴールあるのか?」
そんな気すらしてきた。
その日も病院で、
真鍋が優しく、しっかりと話してくれた。
「陣痛が来たときはね、こうして……」
「破水から始まる場合は……」
説明を聞くうちに、胸がざわつく。
(……いよいよか…)
聞きながら頷いていた俺の脳裏に、
ふと誰かの言葉がこだました。
『 出産って、
鼻からスイカ出すくらい痛いんだってさ 』
笑えない例えが、今の俺にはただの恐怖だった。
(……マジかよ。俺が……? それ、体験すんのか……)
「…美弥さん…大丈夫??」
はっと顔を上げると、
真鍋はまっすぐに俺を見ていた。
「 怖いと思うのは普通のこと。むしろ当然よ」
俺が返す間もなく、真鍋は静かに微笑んだ。
「出産は怖いし痛みもあるけど、
あなたには、それを乗り越える力があると思うわ」
言葉の一つ一つが、胸にじんわり染み込んでいく。
「産むのはあなただけど、支えてくれる人もたくさんいる。私もその一人よ。付き添ってほしい人がいたら言ってね。そばにいるだけで気持ちは全然違うから」
その言葉に、ふと考える。
“付き添い”
普通なら、旦那か家族……
でも、美弥には頼れる人がいない。
……昌也……あいつは無理だな…
来たところで、今の俺にとっては他人同然。
支えにはなりえない……
美弥は日記に、
母親とうまくいっていなかったことも書いていた。
幼い頃に両親が離婚し、
母は仕事一筋で必死に育ててくれたらしい。
でも美弥が高校生になる頃には、
その反動で母親は男中心の生活に。
家の中は次第に冷えていき、美弥は家を出た。
それから、ちゃんと顔を合わせたことはないようだった──
(美弥にはこういう時に頼れる家族はいないんだよな……)
「……ありがとうございます。
立ち会いは、考えてみます……」
真鍋の優しさが、
不安をほんの少し和らげてくれた。
でも、帰り道の足取りはどこか重たかった。
***
帰り道、由美の出産のことが頭をよぎる。
あのとき、俺は“立ち会う”なんて
考えたこともなかった。
出産は女の仕事だろ?男がいても意味ない。
……そう思ってた。
想像以上に時間がかかり、
「まだ?」と他人事のように感じていた。
結局、半日ほど待っても生まれず
仕事を理由に病院に行ったのは生まれた後だった……
由美に「本当に立ち会わないの?」と、何度か聞かれた。
俺は「仕事が忙しい」と、冷たく返した。
あの時の顔……
今になって、思い出す。
怖くて、誰かにそばにいてほしかったんだろう。
でも俺は、その声を聞こうともしなかった。
……情けない。
“寄り添う”ってなんなのか、わかってなかった。
由美と一緒にいたはずなのに、支えるどころか、
ただ一緒に住んでいただけだった。
……どの口が、昌也を責められるんだ。
見て見ぬふりをして、
目の前の不安に向き合わなかった──
そんな思いを胸に抱いたまま、家に着いた。
( スマホの通知が鳴る )
〈おっさーん、今なにしてる?〉
莉緒からだった。
〈ベビー用品、一緒に見に行かない?〉
健一はふっと笑った。
絶妙なタイミングだった。
「……寄り添うって、こういうことかもな」
そう呟き、健一はゆっくり返信を打ち始めた。
***
その日の夕方、莉緒が車で迎えに来た。
「おっさーん、準備できてるー? さ、行くよ!」
車内にはベビーグッズのカタログやメモがちらほら。
きっと、事前に調べてくれていたのだろう。
赤ちゃん用品専門の大型店には、
服や哺乳瓶、おくるみがずらりと並び、
健一は目移りするばかりだった。
「あっ、これ美弥っぽい!」と笑ってカゴに入れる莉緒。カゴの中には出産後に使えるグッズが次々と増えていく。
(俺ひとりだったら、絶対こんなに気が回らなかったな……)
「莉緒がいてくれて、本当に助かるよ」
「でしょー?」
その笑顔に自然と肩の力が抜けていった。
***
帰りの車で、健一はぽつりとつぶやいた。
「……なあ、莉緒。正直、出産が怖いんだ」
胸にしまっていた不安が、
言葉になったとたんあふれた。
「近づいてくるにつれて、本当に自分が経験するんだって実感が湧いてきて……どうしていいか分かんなくてさ」
莉緒はすぐには何も言わず、
信号で止まるとやわらかな声を返した。
「…そっか。怖いよね。私も怖いと思うもん。
未知だし、絶対に痛いし? 」
自分だけじゃないことがどこか救いだった。
「でも、大丈夫。1人じゃないよ。プロの人たちが全力で支えてくれるし、分からないことも聞いたら教えてくれるよ。……それに…」
少し間を置き、
莉緒は真っ直ぐ前を見たまま続けた。
「……もし…おっさんが良ければさ、
立ち会ってもいい?美弥のこと心配で……
それなりに勉強もしとくから!」
その言葉に、健一は一瞬、息を呑んだ。
不安でギュッと縮こまっていた心に、
ふわりと温かいものが灯るのを感じた。
莉緒のまっすぐな申し出が、
まぶしくて、少しだけ苦しかった。
(……由美の時、何もしてない俺に、そんな資格があるのか?)
言葉にならない想いが胸に渦巻く。
「……好きにすればいい」
突き放すような言い方だったが、
莉緒は笑って返した。
「……そっか。ま、好きにするわ。どうせ放っておけないし!」
健一はその横顔を見つめながら、
胸の中で小さくつぶやいた。
(……ほんとは、ありがとな)
──第⑬話へつづく
