皇室典範問題に関する感想
物議醸しそうだし、賛否両論になって荒れるのはわかっていたので、どうしようか考えていたが、やはり配信することにした。
この問題については専門家じゃないので、目くじらは立てないで聞いて下さい。
男系男子を維持しないといけないというのは、これは当然。
理解もできます。
万世一系がフィクションだという指摘も、当たり前の話です。
日本は建国神話を作った皇室が、現在も健在な稀有な国家です。
科学的、歴史学的に見れば架空の内容を含む神話と地続きの存在なんです。
だからフィクションの部分まで含めて、承知した上で信じることによって成立しているのが皇室です。
したがって万世一系がフィクションであることは、男系男子による皇位継承の伝統をやめる根拠にはなりえません。
また、陛下が皇太子だった時代に、皇太子さまにお子が愛子様しかおらず、秋篠宮様にもお子が女性だけだったため、愛子様への将来的な皇位継承が検討されていた時代と異なり、現在は悠仁親王様がいらっしゃいます。
ですので、悠仁様が皇位を継ぐことは確実であり、少なくとも今後数十年間は、天皇の後継者問題が切迫することはありません。
この状態である以上、女性天皇が可能になるよう、皇室典範を改正する必要は全くありません。
悠仁親王様の誕生以後、なりを潜めていたはずの愛子天皇待望論をマスコミが積極的に喧伝していて、どこかが仕掛けているとしか思えない不自然さがあって、強い違和感を覚えています。
今回は必要なので触れますが(本来、こうしたことは報道するべきではありません)、悠仁様は秋篠宮様が41歳、紀子さまが40歳になられる年にお生まれになられていて、はっきり言えば、高齢出産です。
秋篠宮家には既にお子がお二人いらっしゃり、眞子様が1991年生まれ、佳子様が1994年生まれで、悠仁様とは明らかに年齢が離れています。生まれた子が続けて女子だったため、男児を望んで出産を続ける家庭は結構ありますが、その場合には、こんなに年齢が離れることはありません。
天皇の務めの中には男性でなければ務まらないものもあるとされます。
故に、女性を天皇にすると厄介なことが起きるとも。
また、皇位は男系男子に継承させたいという皇族の意思もあった。
そのため、秋篠宮ご夫妻は、プレッシャーに耐えながらご懐妊に向けて努力されていた――悠仁様が誕生された頃は、そうした噂まで報道されていたほどです。
下品で低俗な創作だったのかもしれませんが、だとしても、皇室としては、これで当面、天皇の後継者問題で悩むことはないと肩の荷を下ろしたというのは事実だと考えられます。
ただし、気になる調査結果もあります。
保守系新聞社である読売新聞の世論調査で『女性の天皇を認めることに、「賛成」と答えた人は69%に上り、「どちらともいえない」が24%、「反対」は7%にとどまった』、『皇位継承に関しては、これまで、父方が天皇につながる「男系」の天皇だけで、母方が天皇につながる「女系」の天皇はいない。これまでと同じように「男系」を維持する方がよいと思うか、「女系」も認める方がよいと思うか尋ねたところ、「女系も認める方がよい」が64%で、「男系を維持する方がよい」の13%を大幅に上回った。「どちらともいえない」は22%だった』という、衝撃の結果が出たんですね。
毎日新聞が『改正皇室典範で女性天皇が認められなかったことについてどう思うか尋ねたところ、「認めるべきだと思う」が72%に上り、「認める必要はない」は11%にとどまった』と報道しただけなら、また何か政治的な意図があってやってるんだろうと説明できます。
ですが、読売でこのような数字が出たとなると、国民の皇室に対する認識について、大きな地殻変動が起きている可能性も考えられます。
こうなってくると、養子案が国民から支持されていない、という毎日新聞の批判に関しても、一蹴することが難しくなります。
結局、このようになった原因は、国民の多くが、皇室を普通の家庭と同じように考えているということなのでしょう。
子供が女性しかいない家では、婿養子を迎えて家を存続させ、家の跡を継ぐということが行われているので、皇室もそうすべきだと。
ならば、悠仁様よりも愛子様が皇位を継ぐのが当然で、愛子様のお子が皇位を継ぐのが当たり前だ、という考えになります。
無論、男系男子の伝統を維持するために、愛子様の夫を旧宮家の男系男子とする、という制限をつけるべきだという意見が保守派と伝統主義者からは確実に出てくると考えられますが、そのような意見自体、人権侵害であり、非人間的であるとして、反対されることになります。
皇族の方々に対する人権侵害に関しては根強い批判がありますので、完全にそうすることは不可能だったとしても、一般国民と同様、皇位継承の可能性がある皇族の方に関しても、自由恋愛を認めるべきだという感覚を多くの国民が持っている可能性が高いためです。
つまり、このまま行くと、女系天皇が認められる可能性が高い。
皇室が一般国民との距離を近くして、普通の国民と同じような生活感覚を持つ皇室の路線を『開かれた皇室』と呼びます。
終戦後の昭和天皇の時代から始まったものですが、実際には、大正天皇がヨーロッパの各王室と同様に側室をおかず皇后のみとし、昭和天皇は更に進んで女官制度の大改革を行って、側室制度を廃止しており、開かれた皇室路線は、戦前の時点でその萌芽が見られるものです。
しかも、昭和天皇が大改革を断行した理由は、皇太子時代に行った1921年3月3日から9月3日までの6か月間にわたるヨーロッパ諸国歴訪が原因だったと言われているようで、側室制度を古い制度だと認識されたようです。
日本の皇室が徐々にヨーロッパの王室に姿が接近して行っているのは、決して偶然ではないということです。
開かれた皇室は、国民と皇室との距離感が接近し、親近感を持たれるようになります。
反面、皇室の存在を特殊なものとしてではなく、同じ日本国民であり、国民の顔となる、国民を代表する一族であるという認識に、国民の抱く皇室像が変化するという結果を招きます。
愛子天皇待望論も、女性天皇容認論も、男系男子の養子を迎えて皇位継承させるのでなく、天皇陛下の孫が、たとえ女系に切り替わったとしても継承すべきだという考え方は、その帰結であると言えます。
正直なところ、男系男子の伝統が途切れた場合、皇室はヨーロッパの王室と同じ、普通の王家に転落してしまいます。
万世一系はフィクションとしても、1000年以上に渡って男系男子(イレギュラーで男系女子が皇位に就いた事実はあるにせよ)で連綿と続いてきた天皇にはそれだけで文化的に非常に価値があり、貴重な存在となっています。
古代にはイオニア人をはじめ神の子孫を称する人々がいて、神話と王家が地続きの国家が普通だったですが(舜と尭が有名な三皇五帝などの中国神話、朝鮮半島の檀君神話などもそこに入ります)、それが現代でも続いている特異性が日本の特徴であり、男系男子の伝統と合わせて、非常に強力なブランド力を持っていることは、紛れもない事実です。
男系男子をやめるということは、そのブランド力を失うことを意味します。
無論、日本は民主主義国ですので、国民の意思によって全てを変えることが可能であり、法的には、皇室さえその対象外にはなりません。
だから国民が女性天皇を望み、かつ、女性天皇の子が後を継いで、女系天皇が誕生することを望むというのであれば、そのようになることでしょう。
ただ、本当にそうなって、ヨーロッパ諸国の王家と同等の存在に皇室のブランド力が低下した際に、果たしてそれでも皇室を熱心に支持する人がどの程度いるのか、非常に疑問です。
ヨーロッパの多くの立憲君主国では、どこも共和主義者が一定の力を持っており、情勢次第ではいつ共和制に移行してもおかしくない状況にあるからです。
側室制度は論外の扱い、旧宮家の皇族復帰には国民世論の支持が得られないばかりか、旧宮家側からも復帰を拒否する声が漏れている、養子による男系男子への皇位継承にも国民の支持が集まっているとはいいがたい。
先ほども挙げたとおり、例えば、天皇陛下が皇太子だった頃には、女性と交際しようとしたら、お妃候補と雑誌に書かれて交際を断られてしまう、といった限度を越した人権侵害が横行し、本当に大変な思いをされていたわけですが、やはり、こういった皇族の方々に対する人権侵害、人権が強力に制限されていることに対しても、強い批判が集まっており、人権は尊重されるべきだ、一般国民並に自由を与えるべきだという声も強いです。
皇族の方々と国民との距離感が近づけば近づくほど、人権侵害に対する心痛も伝わってくるので、そういう意見が出るのは当たり前なんですよ。
ただし、こうなってしまうと、皇室を今後も継続させていくことは、非常に困難になります。当然ですが、国の制度として続けようとすると、各種制約が加わることは不可避だからです。
皇室を続けようとすれば、皇族の方々に人権上の制約がかかり、人権が侵害される事態を避けることは不可能なんです。
ここまで話が進んでしまっているのであれば、女系天皇を認めるといった、なし崩し的に制度を改悪して延命を図るのではなく(今、指摘したような、皇族の方々の人権の問題があるためです)、腹をくくって、共和制への移行議論をした方が建設的なのではないか。
そんな風にも感じます。
実はこういう思いに至ったのには理由があります。
最近、悠仁様の画像を見た時の話です。これは決して揶揄する意図はありませんので誤解しないで欲しいのですが、本当に、どこにでもいるごく普通の青年にしか見えませんでした。佳子様に関しても同様で、ごく普通の、可愛らしい女性にしか見えません。
皇族の方々にかかる強烈な重圧と人権侵害。
それを考えた時に、自分だったら絶対に耐えきれずに逃げ出してしまうほどの重責を、皇族の方々に負わせることが、果たしていいことなのだろうかと、ふと思ったのです。
例えば、男系男子の伝統を守るためであるとか、何らかの大きな大義名分があって、担っていただくということであれば(大義名分があれば許されるのかという倫理的な問題はあるにせよ)、まだ、納得できなくもないんです。
しかし、共和主義勢力が台頭してきて、共和制への体制転換を唱える声が強まるような状況になるとわかっているのに、女系天皇を容認して、ヨーロッパの王室と同等にして、人権を著しく制限する状況を継続するというのであれば、それは国民の身勝手なのではないかと思うわけです。
共和主義者の台頭で、私生活への監視の目が以前にも増して厳しくなって、大変な立場に立たされるのは、皇族の方々だからです。
そんな目に遭わせる権利が、果たして国民にあるのでしょうか。
本来は不可侵とされる他人の人権を制限している以上、それに相応しいだけの正当な理由が必要です。
側室はさすがに別としても、旧宮家の復帰を税金がかかるからという理由で反対してみたり、皇族を増やすことにすら維持費がかかるからと反対し、国民の側も、あまりにも身勝手な面があるのではないかと思います。
皇室制度の維持を望むのであれば、たとえある程度の維持費の増加があったとしても、認めるべきであって、それすら認めないというのであれば、無責任に皇室制度の維持だけを求めるべきではないと思います。
これはあくまでも一国民としての意見ですが、そう思う反面、この種の問題は、時代の変化もありますので、なるようにしかならないのだろう、とも思っています。
しかし、傑作だったのが、立憲民主党です。皇室の後継者問題にまで、ジェンダー平等だとかと言い出したことには笑ってしまいました。皇室の話をしている時に、そんな海外由来の横文字の話を突然持ち出して、それで国民の広範な支持が得られると考えているのであれば、致命的なまでに政治的センスが欠落している。
