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#195🎬️『杉原千畝』│命のビザを発行した偉大なPERSONA NON GRATA|車輪が回った時に悔いなきよう

随分前にカウナスのSugihara Houseを訪れた。
資料館として本格的に整備が始まる前だったので、
誰かの家を訪ねるような感じだった。

そこには、杉原氏が使用していた机と、日本国旗と最低限の資料だけが置かれていた。
訪問者は私たちしかおらず、静かな部屋で、
命のビザを発行したその場所に足を運べた喜びと、杉原氏への敬意と感謝をかみしめた。

ひとりの日本人が、世界を変えた──。

映画『杉原千畝』公式ポスター


タイトルの『杉原千畝』が出てきた時に、
その名前の真ん中に『PERSONA NON GRATA』と書いてあった。

私はもうそこで、涙が止まらなくなってしまった。

世界を変えようとして、自分の身の危険を顧みず、
太平洋戦争を回避しようと、情報収集に奔走・提言した有能で勇敢な外交官であり、
実際に短期間に2139枚ものヴィザを発行した。
多くの人の命を救った偉大な人物を、
PERSONA NON GRATA(ラテン語で”好ましからざる人物”)と。


ポーランド人のひとりが言っていた。
「鳥でさえ 帰る場所がある。ホームと呼べるところがある。」

そんなことを口にしなければならない人がいる状況が、80年以上経っても続いている。


杉原氏の妻が言っていた。
「世界はこんなに広くて、そこにいる人は肌も目の色も全然違うのに、心はみんな同じ。」

皆がそう思うようになればいいのに。


ロシア人のひとりが言っていた。
「私が愛したロシアじゃないからロシアに帰りたくない。」

同じことを思っている人は、今もいるかもしれない。


ドイツ系リトアニア人のひとりが言っていた。
「私はよき人と感謝される喜びを知りませんでした。」

彼は、彼自身が毛嫌いしていたポーランド人のために、
最後まで杉原氏と働き続けた。

その彼が言っていた。
「世界は車輪です。今はヒトラーが上でも、いつか車輪が回って下になる日が来るかもしれない」

杉原氏が答えていた。
「車輪が回った時にお互い 悔いのなきよう努めよう」


人は人と出会い、変わることができる。
杉原氏の周りでたくさんの変化が起きていた。


ひとりのポーランド人が、杉原氏のことをこう言っていた。
「私に命をくれた人。世界が忘れても私は忘れません。」

そののち、国をまたいで28年間探し続け、
本人にようやく伝えることができたこの言葉は、重厚な意味を持っていた。


物語の中で、複数の人が、
「ポーランド人を代表してお礼を言います」
と言っていた。


杉原氏のように、自らを危険にさらし、こんな大きな意味のある仕事を成し遂げられる人はそう多くないと思う。

でも、ウラジオストク総領事代理根井三郎氏、JTB大迫辰雄氏の協力や、
日本の入港地の、在日ポーランド人コミュニティ、民間人ボランティア、
誰が欠けてもうまくいかなかったはず。

杉原氏のバトンを、次々と受け継ぐ人がいて、
それが今に繋がっていると思うと、涙が止まらない。


イスラエルからの「諸国民の中の正義の人」表彰は生前に行われたが、
外務省が公式に功績を顕彰したのは、
死後14年経った2000年10月10日 。

日本のことが心配になる。


私の『後悔のない生き方』。
手探りで全うしたい。


⬇️後悔しないように


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