キュートアグレッション第5話『壊したいほど、あなたは』
白い蛍光灯が、頭上でじりじりと泣いていた。
薄く乾いたその光は、まるで何かを炙り出すように、室内を冷たく焦がしていた。
ガラスの奥。
整列する命たち。
まだ世界を知らない瞳、柔らかくたわむ毛並み。小さな、小さな震えを孕んだ肢体。
仔猫、仔犬、ハムスター。
人の掌にすっぽり収まるほどの無垢。
その吐息の一つひとつが、透夏の鼻腔に“生”の匂いとして染み込んでくる。
甘くて、ぬるくて、湿った匂い。
目が眩みそうなほど、愛らしい。
けれどそれは、愛ではない感情を呼び覚ます。
(また、“可愛い”が、わたしの奥で濡れている)
疼く。
くすぐったいような、熱をもった疼き。
触れたい。近づきたい。
……できれば、壊してしまいたい。
「透夏」
背後から名前を呼ばれた瞬間、世界の温度が変わった。
肩を叩かれた手の感触が、現実に引き戻すはずだったのに。
感覚が、ねじれた。
振り返った先にいたのは——颯斗。
そして、その隣に、女。
名前は、梨奈。
グラスの奥に反射していた、あのぼやけた輪郭。
いつかどこかで嗅いだことのある、あの“甘い系統”の香水の匂い。
夜、彼がぼそりと「お前より、あいつの方が楽かもな」って呟いた、“あいつ”。
梨奈は、笑っていた。
花が咲くような笑顔。
誰にでも優しげで、穢れなく見える微笑。
その指先で、彼の袖をつまんでいる。小声で、彼に何か囁く。
ふたりの距離が、透夏を押し潰す。
肺が縮んで、息が吸えない。
自分が“いらない存在”になった音が、心の奥で鈍く鳴った。
(……なんで、その顔、できるの)
(……なんで、そんなふうに“存在”できるの)
(“可愛い”って、わたしのものじゃなかったの?)
梨奈の爪が、ショーケースのガラスに触れた。
その先にいる仔犬は、丸まって眠っていた。
呼吸に合わせて、かすかに動く毛並み。
愛らしい。
でも、それ以上に、“彼”の目を向けさせるものが許せなかった。
「梨奈、ほんと可愛いんだよ、この子」
そう言って、颯斗は仔犬を見た。
その笑顔には、悪意の欠片もなかった。
「癒されるっていうかさ。そういうの、透夏も……大事にしなよ?」
その瞬間、透夏の中で“何か”が生まれた。
ぬるりと、粘液に包まれた感情。
血のようで、膿のようで、快楽にも似た。
(この子は違う。わたしの“可愛い”じゃない)
(でも、可愛すぎる。撫でたい。抱きしめたい。噛みちぎりたい)
梨奈が仔犬を見つめて、また笑った。
その顔は、まるで聖母。
崇高なものを前にしているような目。
それが——透夏には、耐えられなかった。
(あの手を折ったら、どんな音がする?)
(その顔を潰したら、どんな色が飛び出す?)
(“可愛い”の内臓って、きっと甘い)
破壊のイメージが、神聖さと一体化していく。
美しいものを壊すことでしか得られない、満足。
それは恋じゃない。
でも、愛なんかよりも、よほど濃密で、湿っていて、肉感的だった。
「ねぇ、梨奈って……わたしの、どこが好き?」
唐突な問いかけ。
梨奈は少し驚いて、そしてまた、あの無邪気な笑みを見せた。
それがだめだった。
その笑顔が、透夏の中の“獣”を目覚めさせた。
気持ち悪いほど、気持ちよかった。
壊してしまいたいほど、美しかった。
——あたしを奪った、あの顔。
その夜。
透夏はベッドの中で、身体の奥がじんじんと疼きつづけていた。
熱じゃない。けれど、喉も、下腹も、灼けるように熱かった。
思い出す。
梨奈の声。仕草。まつげの影。笑い方。
あの、さりげなく他人を惹きつける“自然体”。
許せない。
憧れてしまう。
そして、同時に——壊してしまいたい。
「……梨奈」
名前を、口に出して呼んだ。
背中がぞくりと震えた。
喉の奥が詰まりそうになる。
それは、呪文だった。祈りだった。
(わたしの中の“可愛い”が、呼んでる)
もっと近づきたい。もっと触れたい。
爪の先でなぞって、骨の形を確かめたい。
体温と匂いと、その奥にある“本質”に触れたい。
そして——独占したい。解体したい。
(ねぇ、梨奈。きみは、誰のもの?)
枕に顔を埋める。
歯を立てて、舌に滲む血の味。
それすら甘く感じる。
“可愛い”が、血を欲しがっていた。
梨奈の名前を、何度も唱える。
夜に溶けていくように、唇を湿らせて。
祈るように、喘ぐように。
梨奈。梨奈。梨奈。梨奈。梨奈。
——これは、恋じゃない。
でも、愛より深く、もっと濡れていて、もっと――壊したい。
ブランケットの中で、指先がシーツを裂きそうになる。
下着の中の自分の熱に、自分で溺れそうになる。
それでも願う。
(次に潰すのは、あの人しかいない)
そう呟いたとき、透夏の中で“可愛い”が笑った。
ぬるりと蠢くそれは、まるで女神のように、優しく、残酷に微笑んでいた。
