キュートアグレッション第9話『可愛い死の記録』
夜中0時すぎ。
透夏は梨奈の家を出た帰り道、ふとスマホを開いた。
LINEが1件、届いていた。
『透夏、今日はすごく嬉しかったよ。本当に幸せだった』
文面は優しく、まるで“生きている”証のようだった。
透夏は息を呑み——そして安堵した。
(良かった、まだ……)
と同時に、胸の奥にぞわりと広がる“別の感情”。
——また、壊せる。
そう思った自分に気づき、ぞっとする。
***
朝のニュースが、どこか浮ついていた。
明るい声のキャスターが、涼しげなトーンでこう告げる。
《駅前の広場に……鳩の死骸が十数羽……羽根だけが残されていたような状況です》
《公園では足を縛られた状態の子猫が複数……捨てられていた可能性も……》
《アイドルグループ・MilkySlashのメンバー、羽生(はにゅう)ゆのさんが控室で……刺されて死亡——》
その日も、どこかで「可愛い」が死んでいた。
透夏は、スマホのニュースを無音で再生しながら、冷めた紅茶を一口、含んだ。
画面の中で、ピンク色の衣装を着た笑顔のアイドルが紹介されている。
背景には白い花が添えられ、「天使のような存在でした」と報道が続いていた。
部屋の隅ではテレビもついていて、SNSの速報がスクロールしていく。
《うちの近くでも猫死んでた……隣の家の息子が最近異常な行動してるのを見たって人がいるんだけど!!!》
《ソイツ犯人なんじゃね?通報案件レベル!》
(ああ……まただ)
“可愛いもの”ばかりが、的確に殺されていく。
まるで「何か」に選ばれたように。
透夏は、知らず知らずのうちに震えていた。
まるで、自分の中にも“何か”が目覚め始めているような錯覚。
***
別の日。駅前。
颯斗は、コンビニ帰りに小さな声を聞いた。
「にゃ……」
塀の陰で、小さな子猫がこちらを見上げている。
薄汚れてはいるが、瞳はくりくりと丸く、声は儚い。
「……可愛いね」
颯斗は微笑みながらしゃがみこみ、子猫の首元にそっと手を伸ばした。
手が添えられたのは一瞬だった。
鳴き声は、宙ぶらりんのまま、消えた。
顔は穏やかで、目を細めていた。
「……壊れるときが、いちばん美しいんだ」
彼は小さく息を吐いた。
指先には、もう体温を失ったやわらかい毛並みがまとわりついている。
血のぬるみと、骨の折れる感触。
——そのすべてが、まるで陶器を砕いたあとの“静けさ”のようだった。
胸の奥からふわりと満ちてきたものがあった。
歪んだ愛撫が叶えられたような、甘い達成感。
だけど、それはほんの一瞬で崩れ去る。
彼の中で、何かが急速に冷えていく。
「……また、足りない」
そう呟いた声は、誰に届くこともなく夜に溶けた。
***
透夏が颯斗の部屋を訪れたのは、その数日後の夜だった。
部屋には甘ったるい匂いと、妙な沈黙が漂っていた。
整列したぬいぐるみたち。
破かれた一体。綿がこぼれ、目玉が外れていた。
雑誌の切り抜き——アイドルたちの笑顔——目の部分だけが、くり抜かれている。
(……なに、これ)
そのとき、颯斗の手が透夏の髪に触れた。
「ねぇ、透夏ってさ。ほんと可愛いよね……」
「梨奈みたいに作った可愛さじゃなくて……生まれたときから持ってる自然の可愛さ……壊したくなるくらい、ね」
ぞくり、と背筋が凍る。
指が喉元を撫でる。
頬を這い、顎を引く。
まるで、何度も“なぞって確認する”ような動きだった。
次の瞬間——喉仏に、指がぐっと沈んだ。
その指は、迷いなく、まっすぐに、力をこめてくる。
呼吸が詰まった。
「首、絞めた時さ……梨奈、まだ可愛い顔してたんだよ」
「だから……あのとき、自分でも信じられないくらい壊しちゃったんだ。もう誰にも“可愛い”って言わせたくなかった」
視界が歪む。
手首を掴んでも、びくともしない。
その顔は、優しく微笑んだまま——狂気だけが、にじみ出ている。
——殺される。
全身が本能的に叫び声を上げた。
けれど喉が塞がれていて、音にならない。
指がさらに食い込む。
肺がきしむ。目の端に涙が滲む。
……だめ。
このままじゃ、本当に。
透夏は、ありったけの力で彼の足元を蹴った。
ぐらりと体勢が崩れた瞬間、手が外れる。
呼吸が戻り、咳き込みながら身体を後ろへ這わせる。
その拍子に椅子が倒れ、雑誌が崩れ落ちる。
足がもつれながらも、ドアの方へ。
必死に、ドアノブを——回す。
「透夏!? 待って、違うんだよ!!」
手を伸ばしてくる気配。
けれど、もうその声は届いていなかった。
透夏は裸足のまま、夜の外気に飛び出した。
心臓が暴れ、耳鳴りがする。
それでも、生き延びなければいけないと思った。
***
洗面台の前で、透夏は自分の頬の赤い筋を見つめていた。
——さっき、颯斗の手が触れた痕。
(……梨奈。やっぱり、あの夜が始まりだったの?)
スマホが震えた。
《透夏の彼氏の同僚だった梨奈って子、殺されたみたいだよ、首を絞められた後に顔面ぐちゃぐちゃにされてたって……》
《透夏の彼、最近その子と仲良くしてたよね……》
《透夏、大丈夫?気をつけてね》
友達からのLINE。
優しさの皮をかぶった、好奇と疑念。
透夏は、画面を伏せた。
——もう、なにも見たくなかった。
***
そのころ颯斗の部屋では、机の引き出しの中。
破かれたぬいぐるみの綿が、じわりと染み出していた。
まるで、それが“心臓”であるかのように。
(世界が、少しずつ壊れていく)
胸の奥で、透夏は確かにそう感じていた。
