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人間の成長と究極的な生き方1 ウィルバーの新刊から Waking Up

ウィルバーはTruthには2つあると言います。すなわち、Relative TruthとUltimate Truthです。

Relative Truthとは、科学的真理を含む、時間・空間・発達・因果関係の世界において成立する、条件的・部分的でありながら実在的な真理です。

Ultimate Truthは、すべての個別的事実を含む万能の真理というわけではなく、自己と世界、主体と客体が究極的には分離していないという、現実の非二元的な本性についての真理です。直接的な気づき・覚醒により認識するものとも言えます。

Waking Upは、Ultimate Truthとの遭遇によって起こります。

Waking Upの5つのstate-stageがあると、ウィルバーは言います。
Gross(粗大・覚醒状態)
Subtle(微細状態)
Causal(原因状態・無形の意識)
Turiya(Witness/観照者)
Turiyatita(One Taste/非二元)

ウィルバーはこの5つを、後に説明する発達段階(stages of Growing Up)ではなく、瞑想や神秘体験によって深まっていく意識状態(state-stages)として説明しています。

つまり、Waking Upには、複数の意識状態(state-stages)があり、Growing Upには、複数の発達段階(stages of Growing Up)があるとしています。
今回は、意識状態(state-stages)について解説します。発達段階(stages of Growing Up)については、後ほどいつの日か解説します。

ウィルバーは、意識状態(state-stages)を、多くの宗教・瞑想伝統に共通して見られるパターンだと考えています。その一つ一つについて、以下に概説します。

1、Gross(粗大状態)
これは私たちの日常です。対象は 身体、思考、感情、五感です。
例えば、「私は椅子に座っている」「今日は暑い」「仕事が大変だ」などです。

この段階では、「自分=身体・心」と思っています。

2、Subtle(微細状態)
ここから神秘体験が始まります。例えば、光を見る、神を見る、天使を見る、宇宙との一体感、エネルギーを感じる、クンダリニー、明晰夢などの体験を示します。

3、Causal(原因状態)
Subtleには、まだ、光、神、愛、エネルギーなどの対象があります。
ところがCausalでは対象が消えます。
残るのは、無、空、深い静寂だけ。何もない。しかし、意識だけはあるという状態です。

4、Witness(Turiya)
これは「純粋な観照者」の状態です。ここで重要なのは、私は思考ではない。私は感情でもない。私は身体でもない。私は、それらを見ているものであるという意識です。
つまり、あらゆる経験を見ているもの(Awareness)です。

このWitnessは変化しません。

例えば、子どもの頃、思春期の頃、中年期の頃、老年期の頃、体験は全部違いますが、「体験している感じ」だけはずっと変わりません。それをウィルバーはWitnessと呼びます。

5、One Taste(Turiyatita)
これが最終段階です。ここではWitnessすら消えます。

普通は、Witnessと同時に見られる世界があります。つまりまだ、主体、客体があるのです。

しかし、One Tasteでは、その区別も消えるのです。

見る者、見られるものは同じ現実だった。ということです。

ここでは「私は世界を見ている」ではなく、「世界そのものがAwarenessとして現れている」になります。

ウィルバーはこれをUltimate Nondualityと呼びます。

Gross、Subtle、Causal、Turiya、Turiyatita、それぞれのstate-stageにおいて、出会ったものは同じUltimate Truthでも、体験の意味がそれぞれ違うのです。

さらに、僕は、state-stageは、一直線に発達していくものではなく、不完全なまま行きつ戻りつしていくもの・・・つまり成長にも進むが、退行にもなり得ると考えています。

例えばUltimate Truthを基本的にCausalのstate-stageで光、神、愛、エネルギーとの遭遇として体験したとしても、部分的にGrossの部分の体験も同時に起こることもあり得ると考えます。

僕は、これをPartial Waking Up(部分的覚醒)と定義したいと思います。すなわち、Ultimate Truthの一側面には触れたが、それがまだ部分的、一時的、あるいは十分に統合されていない状態です。いくつかのstete-stageにまたがって、体験してしまうWaking Upです。

おそらくほとんどのUltimate Truthとの遭遇体験は、Partial Waking Upと認識されるでしょう。その体験をそのまま受け入れ、わからないものをわからないものとして保留する勇気を持ち、無理に解釈しようとしないのであればなんの問題もありません。問題が起こるのは、体験を自己都合で解釈してしまう時でしょう。

例えば、Causalのstate-stageで光、神、愛、エネルギーとの遭遇として体験したとしても、部分的にGrossの部分の体験も同時に起こり、その体験を「故に私は神だ」と誇大妄想的に解釈し自我肥大を起こすような場合です。つまり、Ultimate Truthとの遭遇体験を確証バイアスのもとに歪めて解釈してしまうのです。

同じようなことは、例えば、ドラッグの力を借りて、刹那的にUltimate Truthを体験するようなことも起こり得るでしょう。これもPartial Waking Upと言えますが、より強制的なものです。僕は、これをPseudo Waking Up(擬似覚醒)と名付けたいと思います。Pseudo Waking Upでは、より頻繁に「確証バイアスのもとに歪めて解釈する」ということが起こるでしょう。

そして、Waking Up を歪んだPartial Waking Upに向かわせるのは、合理化、否認、投影などの自我防衛機制と考えます。やっていることは、人生初期の発達段階からやっていることと、何らかわりがないのです。

さらに言えば、僕は、Waking Upは、人生のあらゆる段階で起こり得ると考えています。胎児が羊水の中で感じているかもしれませんし、産道を潜って生まれた瞬間にも感じたかもしれませんし、徒競走で一番になった時に感じたかもしれませんし、頑張ったけど結果はダメで挫折し絶望し泣きくれた時に感じたかもしれませんし、老齢になって静かに人生を振り返るときに起こるかもしれません。

Waking Upは貴重な体験です。それを価値のあるものにするのか退行へ向かわせるエネルギーとするのかは、個人の選択によります。

次の回は、Growing Upのプロセスを解説したいと思います。

参考:Wilber, K. 2024, "Finding Radical Wholeness: The Integral Path to Unity, Growth, and Delight" Shambhala

次回は↓

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