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「今日も楽しく遊べました」と書く三流保育者へ。明日の保育を殺す「報告書」を捨て、「思考装置」としての記録を書け。

「10時から園庭で遊びました。みんな泥んこになって、笑顔で楽しく過ごせました」
「AちゃんとBちゃんがおもちゃの取り合いで揉めましたが、最後はごめんねと言って仲良く遊べました」

毎日、残業してまで書いているその保育記録(日誌)。
もしあなたが、こんな風に「今日何をしたか」「どんな姿があったか」を綺麗にまとめているだけなら、今すぐそのペンの動きを止めてください。

はっきり言います。 あなたが書いているそれは、保育記録ではありません。ただの「終わったことの報告書(アリバイ作り)」です。 そして、その報告書を書くことだけに満足しているからこそ、あなたの明日の保育は完全に死んでしまうのです。

「報告書」が保育者を苦しめる

なぜ、保育現場において「記録を書くこと」がこれほどまでに苦痛で、面倒な事務作業になっているのでしょうか。 それは、記録の目的が「上司に提出するため」「監査で文句を言われないため」「保護者に説明するため」という、過去の事実を証明するためのものにすり替わっているからです。

もちろん、安全管理や事実の共有として必要な面はあります。 しかし、それだけで終わってしまえば、記録は単なる「死んだテキスト」です。 過去を綺麗にまとめたところで、子どもたちの明日の成長には1ミリも寄与しません。だから書いていても面白くないし、ただ疲弊するだけなのです。

記録は、次の一手を生むための「思考装置」だ

「共主体(共に創り上げる主体性)」を深めるプロの保育者は、記録を過去の報告書としては扱いません。 記録とは、未来に向かって開かれているべきものであり、明日、自分がどう動くかを企てるための「思考装置(作戦ボード)」なのです。

では、プロの記録は何が違うのか。 「うまくできた結果」を書くのではありません。泥臭いプロセスの途中にある「摩擦」を書くのです。

  • 子どもが、世界の何に対して「問い(なんで?)」を持ったか。

  • それを解決するために、何を「試し」たか。

  • 結果、どこで「つまずき(失敗し)」、どうやり方を変えたか。

「泥んこで楽しく遊んだ」と書くのは三流です。 「Aくんがトンネルに水を流したが、途中で崩れてパニックになった。その後、Bちゃんの提案で木の枝を骨組みにして試していたが、うまくいかず時間切れになった」 これが一流の記録です。

「何ができたか」ではなく「次に何を置くか」

この「摩擦のプロセス」を残すことで、記録は初めて、翌日の保育をダイナミックに動かす「最強の武器」へと進化します。

保育者が記録を通して見直すべきなのは、「今日、これができた(達成した)」という自己満足ではありません。

「トンネルが崩れてつまずいていたな。じゃあ明日は、あそこのコーナーに塩ビ管(パイプ)をこっそり置いておこう(次に何を置くか)」 「明日園庭に出たら、まずは『昨日のトンネル、どうやって作戦練り直す?』と聞いてみよう(どんな問いを返すか)」

記録を書きながら、明日の環境構成とファシリテーションの準備を完了させるのです。 子どもが帰った後の静かな職員室で、一人ニヤニヤしながら明日の「仕掛け」を企てる。これこそが、保育という仕事の醍醐味であり、真の知的労働です。

記録が未来を開かないなら、保育の半分しかしていない

今日の出来事をただ書き写すだけの作業から、今すぐ抜け出しましょう。 記録が明日の「ワクワクする未来」を開かないのであれば、厳しいようですが、あなたはプロの保育者として「仕事の半分しかしていない」ことになります。

僕らの手元にあるペンやタブレットは、アリバイを作るための道具ではありません。 子どもたちの「なんで?」という熱狂を、明日さらに大きく爆発させるための「着火装置」です。 今日の失敗と葛藤を、最高に面白い「明日の作戦」に変える。その誇りを持って、今日の記録を書き上げてください。

 私は、保育現場の「働き方改革」「組織づくり」に関するコンサルティングや研修も行っています。 「業務負担になっているだけの『死んだ記録』を、生きた記録(ドキュメンテーション)にアップデートしたい」 「記録から明日の環境構成を導き出す、具体的なカンファレンス手法を学びたい」 そんな覚悟のある経営者・園長先生は、プロフィール欄のリンクから、お気軽にご相談ください。 最強の保育は、記録という「未来の設計図」から生まれます。

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