専門用語を並べた「ポエム日誌」に酔う三流保育者へ。プロの記録は必ず『明日の一手』で終わる。
「今日は子どもたちが主体的に環境に関わり、協同的な学びが展開されました」
毎日書いている保育記録(日誌)に、こんな風に小難しい専門用語を並べ立て、長くて美しい文章を書いて悦に入っていませんか? もしあなたが、記録の良し悪しを「文章の長さ」や「美しさ」「専門用語の多さ」で測っているなら、今すぐその自己満足のポエムを書くのをやめてください。
はっきり言います。 どんなに美しく整理された文章でも、それを読み終わった時に「で、明日は具体的にどうするの?」という問いに答えられないなら、その記録はただのゴミ(紙の無駄遣い)です。
記録の価値は「明日の保育が具体化するか」で決まる
「共主体(共に創り上げる主体性)」を深めるプロの保育において、記録は過去の出来事を美しく陳列するショーケースではありません。 良い記録の基準はたった一つ。「その記録を読んだ時に、明日の保育が一歩具体化するかどうか」です。
だからこそ、プロが書く記録の最後には、必ず「明日の一手」が明記されています。
明日置くもの:「トンネル作りに失敗していたから、明日は朝一番で塩ビ管を3本、砂場の横に転がしておく」
明日返す問い:「水が漏れて困っていたAくんに、明日は『どうしたら水が逃げないかな?』と問いかけてみる」
明日保障したい時間:「話し合いが白熱して時間切れになったから、明日は朝の会を削ってでも作戦会議の時間を15分確保する」
ここまで泥臭く、具体的に書き切って初めて、記録はただの「終わったことの報告」から、明日の現場を動かす保育者の武器(実践知)へと昇華するのです。
探究の息の根を止めるな
なぜ、ここまで「明日の一手」にこだわる必要があるのでしょうか。 それは、幼児期の探究や学びというものは、一晩寝ると簡単に途切れてしまうほど儚いものだからです。
子どもたちが今日、目を輝かせて見つけた「問い(不思議)」。 それを大人が記録の中で「明日につなぐ設計」に落とし込んでおかなければ、子どもたちの探究はそこでプツンと切れてしまいます。翌日、またゼロから別の遊びを始めるだけの「その日暮らしの保育」に逆戻りです。
現在国が推進している「架け橋プログラム(幼保小の円滑な接続)」が目指す教育においても、最も重要なのは「一回きりの華やかな活動」ではなく、この「経験が線となってつながっていくこと」です。
「明日の一手」は、あなたの本気度の指標だ
記録とは、過去の整理ではありません。「未来への橋」です。
今日の子どもたちの泥臭い葛藤や失敗を、明日の熱狂へとつなぐ強靭な橋を架けること。 あなたの書く記録の最後に「明日の一手」が刻まれているかどうかは、あなたが「共主体」という理念を、どれだけ本気で現場に実装しようとしているかを測る、最も残酷で正確な指標になります。
大人の皆さん、美しい文章で過去を振り返るのは今日で終わりにしましょう。 私たちが書くべきは、明日、子どもたちの探究心を大爆発させるための「緻密な仕掛けのシナリオ」なのです。 さあ、ペンを持ち直してください。あなたのクラスの「明日の一手」は、何ですか?
私は、保育現場の「働き方改革」「組織づくり」に関するコンサルティングや研修も行っています。 「ポエム化している日誌を、明日の保育を動かす『実践知』に変えたい」 「架け橋プログラムを見据えた、経験をつなぐ保育の設計を学びたい」 そんな覚悟のある経営者・園長先生は、プロフィール欄のリンクから、お気軽にご相談ください。 最強の保育は、今日の記録の「最後の一行」から始まります。
