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【書評】加藤典洋『敗戦後論』――想像の戦後から、現実の敗戦後へ


はじめに 「戦後」ではなく「敗戦後」を読む

加藤典洋『敗戦後論』を読むことは、いまなお少し怖い経験です。それは、この本が過去の戦争責任をめぐる一冊だから、というだけではありません。もちろん、戦争責任、昭和天皇の責任、日本国憲法、アジアへの謝罪、自国の戦死者への追悼といった問題は、本書の中心にあります。けれども、読み進めていくと、そこで問われているものは、単なる歴史認識や政治的立場にとどまらないことがわかってきます。

加藤が問うていたのは、私たちが「戦後」を考えるときの前提そのものです。平和とは何か。民主主義とは何か。謝罪するとはどういうことか。そして、その言葉を語る「私たち」とは、そもそも誰なのか。本書は、そうした問いを、読む者の足元へ静かに差し戻してきます。

ここで扱うのは、ちくま学芸文庫版『敗戦後論』に収められた諸論考のうち、とくに表題作「敗戦後論」を中心とした読みです。ただし、本書の後半に置かれた「戦後後論」や「語り口の問題」も、加藤の思考が文学と言葉の問題へ深まっていく大切な補助線として、必要な範囲で参照します。

『敗戦後論』という題名には、「戦後」ではなく「敗戦後」という言葉が選ばれています。この違いは小さくありません。「戦後」と言うと、そこにはどこか、戦争が終わったあとの新しい時代という響きがあります。平和、民主主義、復興、経済成長。もちろん、それらは戦後日本を形づくった重要な言葉です。

しかし「敗戦後」と言った瞬間、その明るさの下に隠れていたものが浮かび上がります。敗れたこと。占領されたこと。自分たちの力で新しい社会をつくったとは言いきれないこと。自国の名もなき死者たちをどう悼むのかが曖昧なまま、アジアの死者への謝罪を語らなければならなかったこと。加藤が見つめたのは、そのような出発点の濁りでした。

この本は、戦後民主主義を単純に否定する本ではありません。かといって、戦後民主主義をきれいな理念として守ればよい、と言う本でもありません。むしろ、平和や民主主義を本当に自分たちのものとして引き受けるために、その起源にあるねじれや汚れを見なければならない、と語る本です。

だからこそ、本書を「右」か「左」か、「保守」か「リベラル」かという線でだけ読むと、おそらく大切なものを取り逃がしてしまいます。加藤の議論には、主義の左右では測れない陰影があります。彼が求めていたのは、正しい陣営に属することではなく、誤りうる主体が、それでも責任を引き受けるための足場だったのではないでしょうか。

本記事の図解
(ちょっとニュアンスが甘いので、いずれ作り直すかもしれません)

第一章 平和の言葉は、どこから来たのか

『敗戦後論』の核心にある「ねじれ」は、死者の問題よりも前に、まず日本国憲法をめぐる問題として取り出されます。日本国憲法は、戦争の放棄と平和を謳っています。戦後日本にとって、その理念はきわめて大きな意味を持ちました。戦争をしない国であること。軍事力によって他国を威嚇しないこと。そうした理念は、戦後日本の自己像を支える柱となってきました。

けれども加藤は、その平和の言葉がどこから来たのかを問います。日本国憲法は、日本が自らの内側から主体的につくり出したものだったのでしょうか。そこには、敗戦がありました。占領がありました。アメリカの圧倒的な軍事力がありました。さらに言えば、その背景には、広島と長崎に投下された原子爆弾という、壮絶な暴力の記憶がありました。

平和を告げる言葉が、暴力のあとに、暴力を背景としてやってきた

ここに、加藤が見た戦後日本の最初のねじれがあります。もちろん、この指摘は、日本国憲法の平和主義そのものを否定するためのものではありません。むしろ逆だと思います。平和という理念を本当に引き受けるためには、それがどのような経路を通って自分たちのものになったのかを見なければならない。加藤の問題意識は、そこにあります。

もし、平和という理念だけをきれいに取り出してしまえば、その背後にある敗戦、占領、原爆、主体不在の問題は見えなくなります。けれども、その汚れを忘れたままでは、平和はどこか浮いた言葉になってしまう。自分たちが何を受け取り、何を引き受け損ねてきたのかを、見失ってしまうからです。

ここで重要になるのが、美濃部達吉への視線です。美濃部は、一般にはリベラルな憲法学者として知られています。天皇機関説をめぐって戦前に激しい攻撃を受けた人物でもあります。だからこそ、日本国憲法に対する彼の違和感は、単純な保守反動としては読めません。

美濃部が問題にしたのは、平和や民主主義の理念そのものではなく、それが日本人自身の主体的な決定として立ち上がっていないことでした。アメリカという経路を通じて、新しい憲法が与えられる。その過程に、日本の側の主体はどこまで存在していたのか。加藤はそこに、戦後日本の根本的なねじれを見ていたのだと思います。

つまり、問いは「憲法を守るか、変えるか」だけではありません。もっと深いところで、私たちは自分たちの社会を自分たちのものとして選び直したのか、という問題があります。加藤が改憲について語るときにも、この点は大切です。彼が重視しているのは、改憲という結果そのものだけではありません。国民自身が決めること。その判断を自分たちのものとして引き受けること。もし間違えたなら、責任をもって軌道修正していくこと。そこに、主体と誠実さが結びつく場所があります。

だから加藤の憲法論は、単純な改憲論でも、素朴な護憲論でもありません。平和を守るためにも、その平和がどのようなねじれを通って自分たちのものになったのかを問わなければならない。そこから逃げないことが、加藤にとっての誠実さだったのだと思います。


第二章 切断されなかった戦前と戦後

日本国憲法をめぐるねじれは、昭和天皇の責任という問題と切り離すことができません。戦後日本は、戦前の国家体制から大きく変わりました。大日本帝国憲法は日本国憲法へと変わり、天皇は主権者ではなく象徴となりました。軍国主義は否定され、平和国家としての歩みが始まった。表面的に見れば、そこには大きな断絶があります。

けれども加藤が見つめたのは、その断絶が本当に引き受けられていたのか、という問題でした。昭和天皇は、戦争を遂行した国家の頂点に位置していました。しかし敗戦後、明確な責任の取り方がなされないまま、象徴天皇として存続します。ここで、戦前と戦後は切断されたようでいて、どこかでつながり続けることになります。

これは、単に昭和天皇個人を裁くかどうか、という問題だけではありません。もっと根本にあるのは、戦後日本がどこで過去と切れ、どこで過去を引き継いだのか、という問いです。誰が責任を取ったのか。誰が新しい社会を選んだのか。誰が戦後を始めたのか。その問いが曖昧なまま、平和と民主主義の言葉だけが前に出ていく。ここにもまた、加藤のいう「ねじれ」があります。

もし戦前の責任が明確に引き受けられないまま、戦後の明るい理念だけが始まったのだとすれば、そこには大きな空白が残ります。戦争は終わった。憲法は変わった。天皇の位置も変わった。けれども、その変化を誰が自分のものとして引き受けたのかが見えにくい。この主体不在の感覚こそ、『敗戦後論』が執拗に問い続けるものです。

ここで、加藤の議論を単なる天皇制批判として読むだけでは、やはり少し足りないのだと思います。もちろん、昭和天皇の責任は避けて通れません。けれども加藤が問うているのは、それを含みながら、もっと深く、戦後日本の「私たち」はどのように成立したのか、という問題です。

戦後民主主義は、たしかに大切な理念をもたらしました。しかし、その理念が、敗戦の痛みや責任の所在を十分に言葉にしないまま始まったのだとすれば、私たちはどこかで、自分たちの足場を持たないまま正しい言葉を語ってきたことになります。

ここに、後に出てくる「謝罪」の問題がつながっていきます。他国の死者に謝罪するためには、謝罪する主体が必要です。けれども、その主体が、自国の死者にも、昭和天皇の責任にも、憲法制定の主体不在にも向き合わないまま立ち上がっているとすれば、その謝罪はどこかで表面だけのものになってしまうかもしれない。加藤が恐れたのは、おそらくその空洞化でした。

正しい言葉を語っているのに、その言葉を語る主体が立ち上がっていない。平和を語っているのに、その平和の起源にある暴力を見ていない。民主主義を語っているのに、それが自分たちの手で選び直されたものかどうかを問わない。謝罪を語っているのに、自分たちの死者と責任に向き合っていない。『敗戦後論』の問いは、ここで一気に深くなります。

それは、戦争責任についての本であると同時に、私たちがものを考えるときの足場を問う本でもあります。言い換えれば、加藤は「戦後」という時代の思考のOSそのものを問い直していたのかもしれません。平和も、民主主義も、謝罪も、責任も、無垢な場所からは始められない。汚れとねじれを抱えた場所から、それでも始めるほかない。その苦しい出発点に、加藤は「敗戦後」という名前を与えたのだと思います。


第三章 ジキル氏とハイド氏のあいだで

加藤典洋の議論が難しく、また誤解を招きやすいのは、彼が「正しい側」にすぐには立とうとしないからです。もちろん、戦争責任を問うことも、アジアの死者へ謝罪することも、加藤は軽んじていません。むしろ、その言葉が本当に責任あるものになるためには、まず謝罪する主体が立ち上がっていなければならない、と考えます。

ここで出てくるのが、ジキル氏とハイド氏という分裂の比喩です。うわべだけのリベラルとしてのジキル氏は、正しい謝罪の言葉を語ることができます。けれども、その言葉が自国の名もなき死者や、自分たちが背負ってしまった汚れを通過していないなら、それはどこかで表面だけのものになってしまう。反対に、ハイド氏は自国の死者を悼もうとする感情を持っているかもしれません。しかし、それが他国の死者への責任を閉ざし、自国中心の物語へ閉じていくなら、やはり誠実とは言えません。

加藤が見つめているのは、この二つのどちらが正しいかではありません。むしろ、戦後日本はこの二つに分裂してしまっているのではないか、という問いです。謝罪の言葉を持つが、自国の死者を悼めない。自国の死者を悼もうとするが、他国の死者への責任を忘れてしまう。この分裂をそのままにしておけば、どちらの言葉もどこかで空洞化していきます。

だから加藤は、主体を作らなければならない、と考えたのだと思います。それは、単なるナショナリズムではありません。国民という言葉が出てくるからといって、ただちにそれを断罪してしまうと、加藤が見ようとしていた陰影を取り逃がしてしまいます。彼が求めていたのは、他者に謝罪するためにも、まず自分たちが何を受け継ぎ、何を見ないことにしてきたのかを引き受けることでした。

謝罪とは、正しい言葉を述べることだけではありません。その言葉を誰が、どこから語っているのかが問われます。自分の足場を持たず、ただ時代の正しさに従って謝罪するのなら、それは本当の意味で責任ある言葉にならないかもしれない。加藤の議論が痛みを持つのは、この地点です。彼は、きれいな善意ではなく、汚れた場所からしか始められない誠実さを考えようとしていたのだと思います。


第四章 名もなき死者に向き合うということ

自国の死者に向き合うこと。ここは、『敗戦後論』のなかでもとくに注意深く読まなければならない箇所です。なぜなら、この論点は少しでも粗く扱えば、たちまち自国の死者を優先せよ、という単純な主張に見えてしまうからです。しかし加藤が考えているのは、そのようなことではありません。

加藤にとって、自国の死者に向き合うことは、他国の死者への謝罪を退けるためのものではありません。むしろ、他国の死者へ本当に謝罪するために必要な前提です。自分たちの死者をどう悼むのかが曖昧なまま、正しい謝罪の言葉だけを口にしても、その言葉はどこかで宙に浮いてしまう。謝罪の前に、まず自分たちの側にある死者の問題、敗北の問題、責任の問題を見なければならない。そこに、加藤のいう順序の難しさがあります。

ここで重要になるのが、大岡昇平です。加藤が大岡に見ていたのは、敗戦の汚れを文学と言葉の場所で引き受けた姿勢だったのでしょう。大岡は、戦死者を「英霊」という大きな言葉にまとめるのではなく、一人ひとりがどこで、どのように死んだのかをたどろうとしました。死者を抽象化せず、名のある存在として見つめる。その態度は、自国の死者を美化することとも、忘却することとも違っています。

大岡の重要さは、死者への向き合い方だけではありません。現代仮名遣いへの態度にも、敗戦後のねじれを引き受ける感覚が現れています。不本意な変化をただ拒絶するのでもなく、無反省に受け入れるのでもない。敗戦の結果として背負わされたものを、自分の言葉の問題として引き受ける。そこには、過去への郷愁でも、戦後への順応でもない、苦しい誠実さがあります。

日本芸術院会員を辞退した姿勢にも、同じものが見えます。国家からの名誉をそのまま受け取ることへの違和感。戦争を経験し、捕虜となり、敗戦後を生きる者として、自分はどこに立っているのかを曖昧にしない態度。加藤は大岡のなかに、汚れをなかったことにしない主体のあり方を見ていたのだと思います。

死者を悼むとは、死者を美しい物語に変えることではありません。死者を忘れることでもありません。名もなき死者の無意味な死を、無意味なまま見つめること。そこからしか、他国の死者への謝罪も、戦後の主体も、始まらないのではないか。加藤の問いは、ここでさらに重くなります。


第五章 汚れを引き受けた言葉へ

大岡昇平と並んで、美濃部達吉中野重治もまた、加藤が「ねじれ」を考えるうえで重要な人物でした。彼らは同じ思想の人びとではありません。むしろ、立場も領域も大きく異なります。けれども加藤は、その違いを越えて、彼らのなかにある共通の姿勢を見ていたのではないでしょうか。それは、戦後をきれいに始めることができなかった人びとの姿勢です。

美濃部達吉は、リベラルな憲法学者として知られながら、日本国憲法の制定過程における主体不在を見逃しませんでした。アメリカという経路を通じて、平和と民主主義の理念がもたらされる。その理念が大切であるとしても、それを日本人自身がどのように選び直したのかという問いが残る。加藤が美濃部に見ていたのは、単なる反対の姿勢ではなく、その経路のねじれを見てしまう誠実さだったのだと思います。

中野重治においては、転向という問題があります。転向を、ただの裏切りとして裁くのではなく、思想と生活、個人の論理と公の論理のあいだで引き裂かれる経験として見ること。そこには、正しい立場に立つだけでは見えてこない、負い目や痛みがあります。『村の家』に見られる陰影は、まさにそのようなものとして読めます

加藤が中野に見ていたのも、無傷の正しさではなかったはずです。むしろ、正しさから落ちてしまった場所で、それでも自分の言葉を失わずにいること。転向という汚れをなかったことにせず、思想と生活の裂け目を抱えたまま書くこと。そこに、戦後を生きる主体の難しさが現れています。

ここに太宰治を添えるなら、彼は戦後へすぐに出発できなかった作家として置けるでしょう。戦後の平和や民主主義の言葉へ、すぐに身を預けることができない。戦中の自分を切り捨て、戦後の自分へ滑らかに移ることができない。その出発できなさのなかに、死者に対して顔を上げられない感覚が残っている。太宰の弱さや屈折は、ここでは単なる個人的な問題ではなく、敗戦後の主体の痛みとして響いてきます。

美濃部、大岡、中野、そして太宰。彼らに共通しているのは、正しい陣営に属することではありません。自分が立ってしまった場所の濁りを、簡単には洗い流さなかったことです。戦後を明るく始めることができない。その遅れやためらいのなかに、加藤はむしろ主体の誠実さを見ていたのではないでしょうか。

責任とは、制度や歴史認識の問題であると同時に、言葉の問題でもあります。どんな言葉で、どんな「私」として、過去や死者に向き合うのか。加藤の思考は、政治的な主張を越えて、その語りの場所へと深まっていきます。汚れを知らない言葉ではなく、汚れを知ってしまった言葉。無傷の主体ではなく、傷を抱えた主体そこからしか始められない誠実さが、『敗戦後論』には刻まれているのだと思います。


第六章 正しい語り口は、なぜ危ういのか

ここまで見てきたように、『敗戦後論』の中心には、敗戦後の主体をどう立ち上げるのかという問いがあります。しかし、ちくま学芸文庫版の一冊として読むとき、本書はそこからさらに、言葉の問題へと深まっていきます。後半に置かれた「戦後後論」や「語り口の問題」は、表題作で問われた責任や主体の問題を、どのように語るのかという地点へ移していく論考として読むことができます。

加藤にとって重要なのは、何を語るかだけではありません。どこから語るのか。どのような「私」として語るのか。その語り口そのものが問われます。正しいことを言うことは、もちろん大切です。戦争責任を問うことも、他国の死者への謝罪を語ることも、必要なことです。けれども、その言葉が、自分の足場を問わないまま、ただ正しい陣営の言葉になってしまうとき、そこには別の危うさが生まれます。

正しい言葉は、ときに人を安心させます。自分は間違った側にはいない。自分は反省している側にいる。自分は謝罪する側にいる。そう思えることは、たしかに倫理的な姿勢のように見えます。しかし加藤が見ようとしていたのは、その言葉を語る主体が本当に立ち上がっているのか、という問題でした。自分の汚れやねじれを通過しないまま、正しい言葉だけを身につけてしまうとき、その言葉はかえって責任を回避するものにもなりえます。

これは、現在の私たちにとっても遠い問題ではありません。何かを批判するとき、誰かを断罪するとき、正しい言葉は強い力を持ちます。しかし、その正しさのなかに、自分自身の立っている場所への問いがないなら、その言葉はすぐに薄くなる。加藤が本書で問い続けているのは、まさにその薄さをどう乗り越えるかということでもあります。

だからこそ、後半の論考で語り口が問題になることには、深い必然があります。平和憲法のねじれ、昭和天皇の責任、自国の死者、アジアの死者、謝罪する主体これらはすべて、最終的には「私たちはどのような言葉で責任を語るのか」という問いへ集まっていきます。加藤が求めていたのは、無傷の言葉ではありません。むしろ、傷を含んだ言葉です。汚れを知らない主体ではなく、汚れを知ってしまった主体の言葉です。

そこからしか始められない誠実さがある。『敗戦後論』の言葉がいまなお重く響くのは、そのためなのだと思います。


結び 想像の戦後から、現実の敗戦後へ

ここで、少しだけフランスの精神分析家ジャック・ラカンの言葉を借りるなら、「戦後」や「戦後民主主義」は、ひとつの想像界的な自己像だったのかもしれません。想像界とは、人が自分自身をまとまりある像として思い描く領域のことです。そこでは、私は一貫した存在であり、世界もある程度きれいに見通せるものとして現れます。けれども、その像のなかには、掟やルール、現実の抵抗がまだ十分には入ってきません。だからこそ想像界は、人を支える一方で、裂け目や矛盾を覆い隠してしまうことがあります。

平和で、民主的で、過去を反省した日本。その像は、決して無意味ではありません。むしろ、戦後日本を支えてきた大切な自己像だったのでしょう。しかし加藤典洋が見つめたのは、その像の背後に残り続ける現実でした。敗戦。占領。原爆。昭和天皇の責任。自国の名もなき死者。アジアの死者。憲法制定の主体不在。正しい言葉だけでは包みきれないものが、そこにはあります。

加藤が問うていたのは、他国へ謝罪するかどうかだけではありません。もちろん、それは重要な問いです。けれども本書の射程は、さらに深いところに届いています。私たちは、どのような前提で戦後を考えてきたのか。平和や民主主義を、どのようなものとして受け取ってきたのか。謝罪を語る「私たち」は、どこから立ち上がるのか。加藤は、いわば戦後日本の思考のOSそのものを問い直していたのだと思います。

だから『敗戦後論』は、戦後民主主義を単純に否定する本ではありません。むしろ、戦後民主主義を本当に引き受けるために、その起源の汚れとねじれを見つめようとする本です。善だけを語るのではなく、悪から善を生み出すこと。無垢な場所に立つのではなく、無垢ではありえないことを知ったうえで、なお判断すること。もし間違えたなら、その間違いを自分たちのものとして引き受け、軌道修正していくこと

加藤が求めた主体とは、正しさを所有する主体ではありません。誤りうることを含めて、責任を負う主体です。汚れを消し去ったあとに始めるのではなく、汚れを抱えた場所から、それでも始める主体です。

「戦後」という明るい言葉の下には、いつも「敗戦後」という濁った時間が流れている。その濁りを見ないままでは、平和も、民主主義も、謝罪も、どこかで薄くなってしまう。加藤典洋『敗戦後論』がいまなお読む者を揺さぶるのは、そのためではないでしょうか。私たちはまだ、この本の問いの前に立たされているのだと思います。

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