「書く人」からコンテンツを「つくる人」へ【Marble課題図書】『取材・執筆・推敲──書く人の教科書』
Marbleスクールの課題図書、2冊目。古賀史健さんの『取材・執筆・推敲──書く人の教科書』を読んだ。
前回の『20歳の自分に受けさせたい文章講義』が「書く技術」の本だったとすれば、今回はもう一段深いところ、「そもそもライターとは何をする人なのか」を考えさせられた本だった。読み終えて、自分の「書く」に対する立ち位置が、少しだけ変わった気がしている。
「書く人」から「つくる人」へ
いちばん揺さぶられたのが、巻頭のガイダンスに置かれたこの一節だった。
われわれは、書く人(ライター)である以前に、つくる人(クリエイター)なのだ。
古賀さんは、映画監督が実際にカメラを回すわけではないのに「撮る人」と呼ばれること、写真家がスマホで撮るだけの人とは違うことを例に挙げながら、ライターも同じだと言う。書くことは手段でしかなくて、本当につくっているのは「文章」ではなく「コンテンツ」なのだ、と。
ライターは、ただ文章を書いているのではない。書くことを通じて、コンテンツをつくっている。
そして、「書く人」から「つくる人」へ変わるための鍵として挙げられているのが、「編集」という概念だった。
われわれライターは編集という武器を手に入れ、「書く人」から「つくる人」へと変わらなければならない。
言われてみれば、自分はずっと「文章を書く」ことばかり考えていた。
うまく書けたか、伝わる表現になっているか。でもその手前に、「誰に、何を、どう届けるコンテンツにするのか」という設計がある。そこを飛ばして文章だけ磨いても、たぶん半分しか届いていなかったんだと思う。
「何を書くか」より「何を書かないか」
もう一つ、書くたびに思い出したい原則があった。「情報の希少性」だ。
古賀さんは、価値あるコンテンツの条件として「ここでしか読めないなにか」があることを挙げる。
既知の情報だけで構成された原稿は、なんら本質的な価値を持ちえない
自分自身、耳が痛い内容だった。「何か有益なことを伝えなくては」と思うほど、綺麗な言葉で当たり前の一般論を並べてしまう。でもきっとそれは、読者からすれば「どこかで読んだ話」でしかない。
本書を読み進めていった時に、さらに印象に残ったのは、どのように構成を考えていけば良いのかということ。
どんな下書きを描き、どんな設計図を引いていけばいいのか?
なにを基準にして「書くこと」を決めていけばいいのか?
ぼくのこたえは簡単である。「何を書くか」を考えるのではなく、「なにを書かないか」を考えるのだ。
つまり、コンテンツをつくるとは足し算ではなく引き算なのだった。
「何を書くか」を増やすことよりも、「何を書かないか」を決めることのほうが、ずっと難しくて、ずっと大事なのかもしれない。
「人生まるっとコンテンツ化」
この本を読んでいるあいだ、頭の片隅にずっとあったのが、Marbleスクールの講師・いしかわゆき(ゆぴ)さんが自身のVisionとして掲げていた「自分の人生まるっとコンテンツ化」という言葉だった。
最初に見たときは、「面白い表現だな。」くらいの少し遠い言葉に感じていた。
でも『取材・執筆・推敲』を読んだいま、その意味が自分の中でつながった気がしている。人生をコンテンツ化するというのは、日々の出来事をただ書き残すことではない。自分の経験を「誰かにとって価値のあるもの」へと編集し、つくり直していくということだ。まさに、「書く人」から「つくる人」へ回るということそのものだと思う。
自分はこれまで、書くことの入り口には立っていた。でも、つくる側にはまだ回りきれていなかった。何を届けたいのか、何を捨てるのか、誰の椅子に座るのか。そこまで引き受けてはじめて、「つくる人」になれるのだろう。
少しハードルが上がってしまった気もしているが、まずは自分の経験を、ひとつのコンテンツとして編集してみる。そんなふうに、少しだけ立ち位置を変えて書いていきたい。
