翔ぶイカロス、闇堕ちピエロ
私はサーカスが嫌いである。
これは、何も動物が芸をさせられているサマが見ていられないとかそんな慈悲に満ち溢れた輝かしき拒絶ではない。
映画「翔べイカロスの翼」の結末を思い出して、なんとも言えぬ仄暗く哀しい思いが身体中にのしかかる感覚があるからである。
ずっしりと、陰鬱な気持ちに押しつぶされるのはもう御免なのだ。
と、常日頃から言ってあったのに実家から三枚のチケットが届く。
あろうことか、「木下大サーカス」である。
前回三年前は色々なタイミングが重なり火の輪くぐりのライオンの如く華麗に交わしたワタクシも、今回ばかりは……
大学三年の夏、あの日は朝から忙しかった。
親知らずが我が命を凄まじい勢いで削らんとしていた為、診療時間開始と同時に引っこ抜いてもらった。
引っこ抜いてもらった親知らずは、すらりと伸びた歯根を少しうちに寄せ、艶かしく脚を組む色気ムンムンの女性のようだった。
しかも、その周囲の歯はどれも私のバカ舌性米酢大量摂取の余波で溶け腐っていると言うのに
長らく歯肉というヴェールに包まれていたおかげで白く美しい。
「先生、こいつの歯根を上手いことぶった斬ってビスつけてインプラントにできませんかね?」
アンパンマン「アンパーンチ!」
(保育園時代から通っている歯医者なので先生が色々勘違いして齢二十の私相手に「アンパンマン」を流している。)
「できなくはないけど……」
「え?」
「ああ……! 歯根ぶった斬るとか、ビスつけるとかはしないよ? でも親知らずの移植っていう技術はあるよ。なかなか厳しいけどね。」
チーズ「アンアン!」
(今行っても「アンパンマン」流される。)
どうやら、歯根がすらりと伸び、歯膜が悪に染まっていなければ他の歯が召された際スペアとして使えるらしいのだ。
だから、あえてむやみやたらと親知らずを抜かずに温存しておく人もいるんだと。
ちょっと賢くなったところで、続いてはバイトである。
ここのところ、夏の新作納豆パスタが一人勝ちレベルで売れる。
怒涛の納豆ミキシングと、とんでもない客の回転率とで目が回る。
忙しさに目を回しておけば、麻酔が切れたとて痛くも痒くもないだろう。
抜歯の痛みよりも、モンカスから発せられる刺々しい言葉による痛みを紛らわす、心の麻酔が欲しいぜ……としょうもないことを思う。
そんなことを思ったせいか、空前絶後の、思い出しただけでも地球の内部まで焼き尽くさんとする怒りの炎が再燃するほどのモンカス様がご来店なさり
帰宅後無事やけ酒をしました!
抜歯後はアルコール厳禁である。
歯医者でも年を押された。
「今日はお酒、飲まないでね〜」
「飲みませんよ〜お酒弱いんでね。ハハハ……」
と弱々しく笑ったじゃないか。
たかだか六時間ほど前に。
家とバイト先との間にあるスーパーで五本、缶ビールを買った。
腹が立つので奮発してヱビスの黄金缶を五本だ。
いくらしたかはわすれたが、
時給九百六十円の大学生が六時間しか働かずに買うにはあまりに贅沢で、
上司と部下の板挟みで額に汗、心に血を流す社会人にバレた日にはとっ捕まえられ血祭りにあげられた挙句晒し首にされ山手線一周分(内回り)引き回されかねない程のことをした。
しかし、他人に配慮する余裕などない若造の私は照りつける太陽を睨みつけビール五本を引き連れて帰宅した。
エアコンを十八度に設定。
ビールを冷凍庫に入れる。
「取り出し忘れたらバックバック爆発ゥ〜」
などと、当時キャピキャピ系メイド服で歌って踊るよな無名アイドル用に作ってくれと頼まれていた曲を唐突に思い付き歌うなどする。
ちなみにタイトルは「缶ビール⭐︎爆発ズッキュン」にしようと思ったのだが、当然のことのように全て却下されたぞ!
火照りを覚ますべくシャワーを浴び、適当に拭いた身体に残る冷めた湯でヨレヨレのタンクトップを濡らしながら黄金に輝くヱビスの缶に手をかける。
プシュッ……
心地よい音が響く。
ゴクッゴクッ……
咽喉を鳴らして二口分飲み下した。
淡いピンク色の生姜の漬け物をポリポリかじりながらリモコンをポチポチ押す。
ちょうどこの頃、暇さえあれば……暇でなくても
映画専門チャンネルでいろいろ観漁ることに執着していた。
特段映画が好きだとか、観ると心が動くとかそういうことはなく
むしろ、
「名作を観てもなお全く動じない我が心、マジ不動明王」
とよくわからない笑いと呆れを自分に向けることを楽しんでいた。
この日、やっていたのが件の
「翔べイカロスの翼」である。
主演はさだまさしさんだ。
私は彼について、眼鏡とギターの人。
新年早々夜中、テレビ番組で喋り倒す体力鬼の人。
鬼である感を緩和すべく名前が平仮名表記の人。
という印象を持っていた。
“演じる”人だとは知らなかったのだ。
ここで私は、
さださんを「昭和版星野源」、星野源を「平成版さだまさし」として理解することにした。
その後双方のファンから猛烈に怒られて私が翔んだ。
写真家を目指し、わりとふらりふらりとしていたさださん演じる栗山徹がサーカス団員の写真を撮っているうちに
「いい!」
と心を動かされ、入団。
猛然と特訓に邁進し大人気ピエロへと成長を遂げる。
ここまではいいじゃないか。
成長譚だもの。
就活もしないでバイトに行っては客に腹を立て、
やけ酒した挙句酔い潰れて……なんてことをしている私でも身につまされる思いで観ている。
ビールは一本目の半分まで減ったが、すっかりぬるまっている。
頭はぼんやりしているし、顔も熱い。
ついでに親知らずを抜いた後の穴は鼓動に合わせてズン、ズンと重く疼いている。
減らぬビールと佳境に近づく映画。
恐らく、そろそろイカロスが翔ぶ。
とは言え肝心のイカロス出てなくないか?
それとも、アルコールの影響で気づかなかっただけか?
そもそも、イカロスって何?
カイロスしか知らん!
【カイロス】
分類:くわがたポケモン
高さ:1.5m
重さ:55.0kg
長い ツノを 振り回して 攻撃してくる。寒いときは 森の 奥に 姿を 隠す。
カイロス!ケンタロス!ミロカロスヘラクロス!メ・タ・グ・ロ・ス!ヒウィゴ!
と言う具合に酔った勢いで画面に向かってポケモンラップを披露してしまった。
あの時テレビがハッキングされていたとしたら酔っ払った私が韻を踏んでいる動画が拡散されて
炎上するところだった。
それはそうと、呑気に韻を踏んでいたら
若かりし日のさださんがピエロの姿で綱渡りを始めた。
画面はより一層暗くなる。
嫌な予感がした。
私はアルコールの味がする唾を飲み込む。
真っ逆さまだ。
ピエロは、真っ逆さまに落ちていった。
泣いた。
「イカロス飛んでねえじゃん!イカロス落ちてんじゃん!」
と叫んだ。
慟哭する私の口の中は血の味に変わっている。
心が動いてしまった。
我が不動明王人生もここまでだ!
親知らず亡き後の我が歯肉を覆い始めていた血餅が、
モンカスへの怒りと、依然として何のかわからぬイカロスへの悲しみと、何よりアルコールのせいでバクバクになった心臓が送り出した強圧血液のせいで剥がれた。
大惨事である。
目から涙を流し(複数の意味で)、口からは血を流した。
この翌日、あまりも体調が悪いので
「とんでもねえ二日酔い」
とたかをくくっていたら外気をも凌駕する四十度超えの高熱が出た。
だって、真夏の太陽の下、三十七度の中のひまわりと並んでも私は真冬のコートが欲しいくらいに震えが止まらなかったのだ。
例の歯医者によれば
「親知らずの穴のところにバイキンマン(悪い菌)が入ったんだね〜」
とのことだ。
だから!
二十歳!
バイキンマンって言わなくてもわかる!
そんなわけで、私はサーカスが嫌いだ。
たぶん、心を動かされたから嫌いなのだ。
あと、心臓に悪い。
正直に言えば私は心臓に爆弾を抱えている、言わば、リチウムイオンバッテリー式人間だからな。
あんまりドキドキハラハラすると爆発して甚大な被害をもたらしニュースになっちまうからな!
──ピエロと言えば、大学時代のモッツァ先輩なしには語れない。
同じ学科で、私が入学した時四年生で、卒業する時も四年生だったあのモッツァ先輩だ。
あれは大学三年の夏、だからモッツァ先輩は四年生。
私が三年かけてとった単位数をモッツァ先輩は七年かけてとらんとしている頃の話である。
結論から言おう。
彼はなぜか、映画「ダークナイト」に登場するジョーカーのメイクで大学に現れるのだ。
ハロウィンにかこつけて仮装しているパリピということではない。
桜く咲く日も、新緑が美しい日も、うだるような暑さの日も、紅葉が美しい日も、雪が降りしきる日にもいつだって顔面は白くひび割れ口は裂けている。
そんな彼が私が三年、あちらが四年の成績発表の日に裂けた口のまま、黒い涙を流しながら
「また留年だなんて、口が裂けても言えないよ……」と呟いた。
もう口は裂けている!
大丈夫だ!
裂けても、とかそんな仮定のレベルではない!
もう裂けている!
安心してくれ!
こんな風に言うと、さも私が一般的な速度で単位をとっ捕まえているように聞こえるがそれは違う。
わかりやすく言えば、
“手持ちにルギアがいるのにキャタピーは捕獲したことがない”
くらいの単位しか持っていない。
どういうことかって、一年生のうちにと取得するべき必修の単位を二年連続で落としたということである。
「……教授からは“ぜんぜん潜るつもりのないヤバいモグリがいる”と伺っております!」
(中略)
「あなたが出席していたのはS山教授の宗教社会学。あなたが履修登録しているのはK教授の宗教社会学。」
(中略)
「どちらも火曜の二限です。」
なんだよ!
その裏番組みたいなトラップは!!
というように履修登録していない科目に熱心に参加するなどしており、三、四年でフル単一つも落とせないといった状況であった。
こういう状況を背水の陣というが、
確かにドーンじゃんけんぽんをする時、
特大水たまりを率先して背後に持ってくるマヌケはあまりいないわけで、
履修登録すらしていない授業にせっせと出席しまくっていた私はまさに道化である。
あまりにも滑稽だ!
まるでカッコウの卵をかいがいしく温めるホトトギスだ!
三年次、例のやらかしにより四単位も滅亡させ
あわやモッツァ先輩もろとも留年かと思いきや、それは私の勘違いで四単位は落としても実害無しだったのだ。
とは言え四年次は一つも落とせないという局面ではあったが、
背水の陣ではなく、“背から四歩先に水の陣”が正解だった。
やはり、どう転んでも滑稽である。
私は翼の折れたイカロスだ。
……だからイカロスってな(以下省略)
そんな私は日曜日、サーカスを観た。
気乗りしないまま、傾きかけた日を背に入場待ちの列に並ぶ。
直前あまりにも鼻をかんだせいで酸欠気味で頭はぼーっとしている。
何やら唐突にスモークに包まれた。
「お前は今から綱を渡るんだ……」
という声が聴こえた……
ような気がしただけだった。
列から外れたところで三人のキッズたちが砂をぶん投げているだけだった。
前に並ぶ四人家族は、スマートフォンのインカメラで家族写真を自撮りしている。
彼らの意識の中では消しゴムマジックで我々の姿は消滅しているのだろうが、現実はそう甘くないぜ。
もれなく我々ご映り込んでしまったので
意図せず家族が増え、七人家族と化している。
今頃七人分の朝ご飯を用意して、
「あいつら、いつまで寝てんだよ! 朝ご飯冷めちゃう!」
と皿に残された三切れの焼鮭の周りをプンスカしながら歩き回っていることだろう。
公演は、某巨大商業施設の斜向かいに設置されたテントの中で行われた。
テントの中に茹で前の稲庭うどんの乾麺の如き儚げな観客席がずらりと並んでいる。
勇猛果敢に「食」に挑んだり、“寝食”の「食」に特化した生活を送っていたせいで今や体重200kg!
観客席はおろか、テントごと破壊しちまうんじゃないかと不安に襲われた。
のっしのっしと歩みを進め、ミシミシキシキシと木造りの階段を昇る200kg。
──さすが木下大サーカスのテント!
200kgが入っても、100人以上入っても大丈夫!
テントは終演まで倒壊することなく、誇らしげにシャンとしておったぞ!
「す……すごい!私が座っても椅子が無事!」
「やっぱり木下!200キロが座っても大丈夫!」
などと大騒ぎする、俺。
娘に
「トイレ平気?」
だの
「ちゃんとティッシュ出しときなよ。」
だのと注意される、俺。
先程まで散々ゲンナリし、モラハラクソ野郎みたいな空気を醸し出していたくせに、
ピエロとハイタッチした!
「へーい!」
とか言いながらハイタッチした!
だが私は我に返った。
ピエロの顔をしっかりと見た。
──ひび割れ無し、口裂け無し、目の周り真っ黒……ではない!
なお、サーカスは大いに盛り上がり、私も大いに楽しんだ。
娘が「ポップコーン食べたい!」とねだる。
別に買っても良かったのだが、口をついて出たのが
「ポップコーンが一粒ずつの個包装だと困る。やめておけ。」
だった。
絶対違うのに。
あの時の娘は
「百害あって一利なしみたいな親だなコイツ」
と思ったに違いない。
反省したので次回はポップコーンを買う。
それから木下大サーカスのポップコーンは一粒ずつの個包装ではなかった!
ご観劇の際は、安心してご購入ください。
わりと序盤で、脚立の上にどんどん椅子を積み上げて体操競技のあん馬をするというパフォーマンスが出てきた。
娘と天野の目が尋常ではなく輝いている。
私は察した。
コイツら絶対に目論んでいる、と。
「学校、および職場の椅子でやるな。絶対にやるな。」
二人の瞳に哀しみが浮かぶ。
やる気満々じゃねえか!
そんなトラブルもございましたが、
馬がすっとぼけ演技をかましたり、人間の燃えカスはライオンになることが判明したり、像が小さすぎる椅子の上で半立ちになったりとかなりワクワクの内容であったぞ!
……いけない!
ワタクシ、サーカス嫌いなのでしたわ……
と、しなこちゃんが無添加無着色のお菓子以外認めん!と怒り狂い始めるってくらいのキャラ崩壊を起こしているうちに、ついに最終演技。
空中ブランコである。
パフォーマーたちは滞りなく、空中で見事に技を決めていく。
単に見入っていた訳だがピエロが視界に入った途端、
脳裏でさだまさし氏が綱渡りを始め、私諸共闇の中へ堕とさんとしてくる。
今にも心臓が爆発しそうだ。
額にべったりとした汗が浮いてきているのがわかる。
視線をピエロから離すことができない。
と、その時だ。
ピエロが手を滑らせた。
一瞬、時が止まった。
音が聞こえなくなり、息もできない。
しかしその直後、
ボヨヨヨヨヨヨヨーン!
というとんでもなくマヌケな効果音が入り、
ピエロは空中ブランコと地面との丁度中間地点でポヨンポヨンと跳ねている。
ネットが張ってあったのだ。
私はすでに座っているのに、ヘナヘナとその場に座り込んだ。
とにかく心臓に悪い!
とは言えかろうじて我が心臓も爆発の危機を回避し、皆さまに実害を与えることなく無事終演を迎えました。
駐車場へと向かう朗らかに余韻を楽しむ人の群れに
自分自身がしっかりと馴染んでいることに、とんでもなく驚く。
そう思ったのも束の間、あの観客の中の何人くらいが親知らずを口腔内に残し、
「クロプトコッカスミュータンスよ……聞いて驚け!その歯をお前が蝕もうとも、この俺様にはまだ強靭な残機を隠し持っているのだ!! フハハハハハ!! そなたに勝ち目などない!!」
と魔王的な笑いを胸中に沈めているのかと考え出したらとまらなくなった。
ドクターストップがかからなければ、必ずやまた観に行こうと心に決めた。
それでも私はサーカスが嫌いだ。
ワクワクと、心を動かすから。
↑
ポップコーン個包装の元ネタはこちら。
ハロウィンに最初にコスプレしたのは総理大臣だったって話。
↑
勇猛果敢に「食」に挑む日々の話。
【参考資料】
◽︎ポケモン図鑑「カイロス」
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