拝啓、川端康成君
「君、川端康成君はお好きですか?」
「ヤ……ヤスナリ君?」
白石はパンドラの匣の中身をひとつ引き出してはまじまじと眺め、戻してはその次を引き出して、を繰り返している。
「ゆ……雪国くらいなら……」
正直、好きだの嫌いだのと値踏みできるほど俺はヤスナリ君のことを存じ上げない。
トンネルを抜けたら突然白銀の世界が広がっていたとか、年下の女の子に恋をしてしまった年齢のいかれた高校生の話を書いた人、くらいにしか。
ふいに記憶の表層をとんでもない化粧を施されたヤスナリ君が逃げるように駆けてゆき、つい吹き出してしまった。
「まさか、『トンネルを抜けたらそこは雪国だった』、なんて言いませんよね?」
「ふぁい?」
試すような口調をしておいて、白石は朗らかに微笑んでいる。
パンドラの匣は口を開けたまま大人しくしていた。
「正解は……」
「正解は……?」
視線はぶつかったままだ。
頭の中でねちっこい意地の悪いBGMが流れる。
「まあ、ご自分でどうぞ。」
言えよ、言ってくれよ。
コマーシャルで引き延ばして視聴率荒稼ぎする某クイズ番組よりタチが悪いぞ、白石──
一体どんなプレイなんだ……!
今すぐ掴みかかって揺さぶりたい衝動の全てを拳に込めてスラックスの腿を殴った。
「読み手の楽しみを奪ってはいけませんから……」
唇を人差し指で封じる白石の後ろの窓はもう、青くない。
焦れる俺に構うことなく、奴は再びパンドラの中身を吟味し始めた。
「結構なご趣味で。」
「そりゃあどうも。」
さながら薫風吹き込む電車の中で、吊り革片手に本のページを繰るように。
春の窓辺で微睡むように。
俺のパンドラはすっかりこの男に手懐けられている。
「あいにく今日は『雪国』を持ち合わせていないもので……代わりと言ってはなんですが。」
白石は鞄から一冊、本を取り出すと賞状でもよこすみたいにして差し出してきた。
不覚にも俺は頭を下げている。
「これ、きっと、お好きかと思います。」
「千羽鶴……?」
剥き出しの表紙には「川端康成」と書かれている。
「ヤスナリ……君……?」
白石は瞳で頷いた。
俺がページをめくっている間も白石はパンドラの中身を顔色ひとつ変えずに眺め続けている。
「マジかよ……」
白石の顔面に貼り付けていた視線が床方向に落ちかけた。
だめだ。だめだ、だめだ。
俺は文字に集中しようと本を持ち直した。
「簡単に言えば淑女ならびにそのご令嬢と、ちょっと訳ありの青年が繰り広げる、道ならざる恋の物語です。」
「え……?」
その横顔は、憎たらしいほど涼やかだった。
「悠来、開けるよ?」
そう言った時にはもう母は扉のこちら側に立っている。
「ノックくらいしろよ!」
俺は母の前に立ちはだかった。
「なぁに、そんなに慌てて。」
なんだ、その甘ったるい声は。
なんなんだ、そのどろどろに溶けたバニラアイスみたいなペタペタした喋り方は。
俺は蜘蛛を模したアメリカン・ヒーローの如く手足を広げ、入り口を塞ぐ。
「何しに来た……」
見逃さなかった。
母の手が左下で小刻みに振れるのを。
「何って……」
俺は恐る恐る振り向いた。
パンドラの匣は──?
白石は俺の方にめくばせをしている。
「そろそろお茶、なくなる頃かと思って。」
もう一度振り向く。
どういうわけか膝を抱えた白石が上眼遣いに口角を上げている。
「あ、あー。それはそれは、どうもありがとう。おかあさん。ちょうど、取りに行こうと思っていたところだったんだ。」
「熱でもあるの?」
母はさっきまで揺らしていた左手で俺の額に触れた。
「やめろって。」
その手を払いのけ、水出しポットをひったくる。
「ちょっと!」
「あとは大丈夫だから、うん。いいから。」
俺は母の肩を掴み、回れ右をさせ背を押した。
薄手のTシャツの透けやら首に垂れる後れ毛やらがひどく俺を苛立たせる。
「もう!」と憤慨する母を見送ってから部屋に戻ると、白石はまた剥き出しの床板に戻っていた。
膝立ちになって、窓の外を眺めている。
「白石?」
茶を注ぎつつ声をかけた。
「素敵なお母様ですね。」
「どこが。」
奴は何も言わなかった。
俺は本の続きを読み始めた。
白石は西陽のせいで影と化している。
物語の主人公が妖艶な淑女と眠りについた頃、奴はようやく口を開いた。
「お手洗いをお借りしたいのですが……」
「え!」
パンドラの匣の中身が頭の中でばらばらと散らばり始める。
栞なき文庫は音を立て、青年の眠る部屋を隠してしまった。
白石は首を傾げている。
「わかった。ついてく。」
「一人で行けますよ。」
「ついてく。」
「もしかして、花子さんでも出るんですか?」
……花子さんよりもっとまずいもんが出るかもな。
廊下を歩きながら、俺は一室一室の扉を睨みつけた。
「さっさと鍵閉めろ。」
「はい、ただいま。」
鍵の閉まる音を聴く。
安息のため息をつく。
俺は一体何をしているのだろう。
水の流れる音が聴こえる。
こんなにも暑苦しい水の音を聴いたのは、後にも先にもこの時だけだった。
本日も【習作】です。
やっと、ストックが追いつきそうです。
と、書いている今はストックになりそうなものをひとつ書いている最中です。
要するに明日の分です。
ふふふふふふふふ………
↑
一応読切ですが、昨日のこれと繋がります。
↑
白石が遊びに来る編だけのマガジン作りました。
あと二話くらいで完結します。
たぶんね。
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大正時代はこちら。
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恋愛小説はこちら。
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