しどろもどろ人生
これは私が某スパゲッティ屋に一時間につき九六〇円で暇を買い取らせていた時の話である。
十三連勤ともなると、いくらハタチとはいえ死相が隠しきれない。
無理がたたり表情筋断裂、声帯ポリープ大量生産と満身創痍で今宵も客を迎え討つ。
「いらっしゃいませ!何名様ですか?」
目の前に立っているのは明らかに二人だ。
いくら私が乱視を放置しているとはいえ、二人だ。
ひとりは薄化粧、目鼻立ちがはっきりとしたベリーショートの女性。
もうひとりは柔らかな顔つきで、前髪薄めのふんわりポニーテールの女性。
見間違えるはずもない。
絶対に二人だ。
しかし私は向こうが答えるまで何も言わないと決めている。
以前、物言わぬ表面的には一人に見える客を一人席に通そうとしたら
「五人だよ! あんたには見えないのか! クソが!」
とブチギレられ、本部にまでクレームを入れられたからだ。
……ふざけるな、私は霊媒師でもなんでもなくただの時給九六〇円の学生バイトだからアンタの守護霊なんざ見えねえわ!
散々ボロカス言われた上に、とんでもない事実を告げられる。
「アンタには守護霊がついていない。代わりに悪霊が十四人ついている。」
ラグビーか?
私と愉快な悪霊たちでラグビーチーム結成ってか?
冗談も大概にしろ。
そんなわけで、愉快な悪霊たちに気圧されているのか相変わらずこの二人は何も答えない。
猫の手ではなく悪霊の手も借りたい程忙しいというのにこの二人は何も答えない。
とは言えここで急かすと、
「店員がスピード狂(抽象)で轢き殺されそうになりました」
だの
「煽り運転的問答」
だのとまた本部にクレームを入れられる可能性大なので沈黙を貫く。
それにしても、なんて乱視に優しいお二人なのだろう。
残像の中で生きる私への気遣いがよくできている。
ようやく口を開いたのはすらりと長身のベリーショートの女性だった。
短く切り揃えられた髪はターバンでさらにまとめられ、全くブレることはない。
視線もまた同様だ。
リネンのノースリーブワンピースをさらりとかぶり、ふくらはぎより下あたりから幅広目にロールアップしたワイドデニムを覗かせている。
ファッションへの並々ならぬこだわりを感じる。
このワンピースだってきっと、フランス・ノルマンディー地方の大地ですくすくと育った麻から作られているのだろう。
デニムはおそらく日本製、伝統の藍染技法!
これぞまさしくインディゴ!
羨ましすぎてヴァーティゴ!
私は青い花の間をすり抜ける柔らかく冷えた風を感じた。
なお、フランスには行ったこともない。
そして極薄のトングサンダルを履いている。
きっとこれは足裏から大地の声を聴くためなのだろう。
爪には異国の夕陽を想わせる深いオレンジ色のラメ入りのラッカーが塗られている。
異国情緒漂う彼女のファッションのおかげで私は束の間、まとわりつくスメル・オブ・ニンニクから解放されていた。
もうひとりは、白地に青のトワル・ド・ジュイのロングワンピースを軽やかに着こなしている。
ヘーゼルナッツのようなやや緑を感じる淡い茶色の瞳はフランス、ジュイ=アン=ジョワスの森を吹き抜ける風を思い起こさせる。
瞳と同系色の柔らかな猫っ毛をゆったりとひとまとめにしている。
思い起こさせると言っても、やはりフランスはおろか日本から出たことはない。
足の爪にだけ塗られたダスティブルーのラッカーが、夏祭りの音をわずかに感じる路地裏で見るアガパンサスの如く心地の良い気だるさを演出している。
朝露と霞がかった月灯りが両方一気にやってきたかのような彼女の姿を眺めているうちに、店内の雑音はかき消え、森の静寂を感じた。
全く、“箸で喰らうスパゲッティ”というコンセプトの店で意識をフランスに吹っ飛ばしながら、悪霊十四体とラグビーチームを結成している時給九六〇円の学生バイトってどうなんでしょうね。
「何名に見えます?」
森の静寂は破られ、スメル・オブ・ニンニクも戻ってきた。
ターバン美女は意地悪く左口角をピクピクとひきつらせながら私に尋ねる。
その傍らではヘーゼルの瞳が試すようにこちらを見つめている。
私は知っている。
ちょっと意地の悪い質問をしたい時、人は文法を無視することを。
「何人に見えます?」は、クソ真面目な日本語文法的観点からすれば、ブッブーですわ!
だが今日は文法に関して語るつもりはない。
日が暮れるからな。
冬の日暮は早いんだ、勘弁してくれ。
あの、アレだ。
私は「Σ」が魚とか驚いている人の横に出てくるマークにしか見えないタイプの人間であるからして統計をとったわけではない!
だからあくまでも体感だが、人は他人を蔑めたい時、疑問詞から導かれる文末の助詞“か”を亡き者にしがちだ。
私は察した。
これは、
「1+1=?」に「2」と答えたら「ブッブー!田んぼの田でしたー!」と言われるあの憎きひっかけ問題的問答だと。
そんでもってこういう奴は「1+1=?」に「田んぼの田」と答えたら「はあ? 2だよ? こんな計算もできないの? ばーか!」と言ってくるのが定石だ。
ともすれば、どう答えても不正解なのだろう?
しかし私は当てたい。
一発は無理でも二発目で当てたい。
さあ、感覚を研ぎ澄ませ……
前回のスピリチュアル男同様、守護霊込みの人数なのか?
だとしたらお断りだ。
時給九六〇円で守護霊対応は割に合わん!
いや、仮に時給二千円でもやらん!
とにかく守護霊はいかん!
いかんせん私のバックには十四人もの悪霊がついているからな。
喧嘩になるだろう。
それとも、アレか?
実は私は乱視でもなんでもなくて、重なって見える人型は全て実像なのか?
「おのれの目に見えるものを信じて進まれよ」
というエールなのか?
だとしたら、泣かてくれるじゃねえか……
……ええい!
「二名様!」
「ファイナルアンサー?」
「ファイナルアンサー……」
──二麺八十入りまーす!
──オーダー待ち五組十四名!
やめろ、そこは深刻なSEを入れてくれ。
大盛りのお知らせと絶望的な待ち人数のお知らせのタイミングじゃねえのよ。
──ガッシャーーーーーン!!!!
──ギエエエエエエエエエエエエエエ!!!!
──失礼いたしましたー。
こりゃあ絶望大フィーバーですな。
【絶望大フィーバー】
日曜昼のピークどき、スープカップが30個乗ったトレイが崩壊して3/4が割れること。
「ブッブー!」
私及び十四人の悪霊はその場に膝から崩れ落ちる。
合計三十の膝の皿が床を穿つ。
悪霊だけが下の階の美容院に落ちていく。
「四名です! 私たち、四名です!」
「あー、えー、えー、はい……」
残像的視界からすると確かに四名……
それどころか涙で万華鏡の如く無尽蔵にターバン並びにトワル・ド・ジュイが増殖して眩暈がする。
「わからない?」
「申し訳ありません、わかりません。」
期せずして除霊された私は素直に降参を認めた。
きっと日頃の負けず嫌いと好戦的な態度は十四人の悪霊の中の何者かが私にそうさせていたのだな、と妙に納得する。
「お腹に赤ちゃんがいるの。」
「この子のバッグについてるマーク! あなた見えないの?」
杵担当の速度が早過ぎて合いの手を入れる隙のない地獄の餅つき大会と化している。
やめてくれ、スパゲッティの店で餅つきなんて訳がわからんぞなもし。
「し……失礼しました!」
ええと、大人が二名でさっき四名って言ったな?
そして、大人の内部には赤ちゃんがいる。
つまり赤ちゃんの数は二……
「私は妊婦でしょうか、それとも違うでしょうか?」
杉下斜め右京「これはあくまでも僕の想像ですが、あなたは妊婦ではありませんねェ。お連れの方のバッグにはマタニティマークがついています。ですがあなたはつけていない……ということはこちらの方は双子を妊娠している。違いますか?」
そんなに都合よく推理は捗らない。
実際の私はしどろもどろになりながら
「ああ……えっと……お二人とも妊娠中で……赤ちゃん様はそれぞれにおひとりずつ……」
と答え、ものの見事にブチギレられた。
ああ!なんて世知辛い!
質問に疑問形につく文末の助詞“か”が存在していたからもう意地悪してこないもんだって油断しただろうが!
「目に見えなくても赤ちゃんはいるの! ここに! ここにいるの! あなたは赤ちゃんを傷つけた! 最低! こんな最低な店員のいる店で食べたくない!」
じゃあ食うな、帰れ。
という冷静すぎる棒読み悪態を美容院帰りの垢抜けた悪霊が十四人総出で押さえ込んでくれた。
で、散々色々言っていたわりに彼女達はデザートまで楽しんでいかれました。
「滅!」
ここから私はしばらくの間、トラウマと戦いながらシフトに入ることになる。
疑心暗鬼になりすぎて、
「守護霊含め、何名様ですか?」
とか
「一見すると二名様ですが私の見間違いだと困るので人数を教えていただけますか?」
という具合に、それもこんな等間隔に並んだ文字では表せないほどにしどろもどろで人数を尋ねていた。
トンチンカン接客もいいところである。
なお、あの守護霊の男が再び来店した際には「いらっしゃいませ! 五名様ですね!」ともはや質問しないスタイルで迎撃した。
「ええ。相変わらず悪霊が十四体ついてますよ、あと明太子のパスタひとつください。」
まだいたのか、悪霊!
それでもって合計五名で来店しているくせにスパゲッティは毎回明太子一皿ってどういうことなんだよ。
守護霊の分も注文して差し上げろ!
そんなこんなで月日は流れ、今度は自分が妊婦になっていた。
臨月、私は唐突にオムライスが食べたくなったので四方八方に広がり放題の腹をブルンブルンさせながら近所のファミレスに馳せ参じた。
「いらっしゃいませ!何名様ですか?」
……待てよ。
ふだんの私ならば、迷いなく“一人です”と答える。
しかし、こんな日に限って悪霊のことを思い出してしまった。
まず実体としての私が一人、悪霊は十四人、胎児が一人……合計十六人!
箱根駅伝かよ!
大所帯過ぎるだろう。
私は絶対、往路五区と復路六区は走りたくない。
花の二区も嫌だぞ、長いしそもそも花じゃないし。
腹の肉もといこのデカ腹で走りたくない。
総じて、走りたくない!
「あの、えっと……あ……ひっ……じゅ……ひっ! ひとりです!」
しどろもどろで答えた私に案内係の方はこうおっしゃった。
「生まれたら、顔見せに来てくださいね。」と。
なんだと?!
なんだ、このスマートな対応は!
あの日あの時しどろもどろしていた私に教えたい!
と同時に人の優しさに触れて思い出す。
ここのところ一日にりんご二十個とか焼き鳥三十六本なんかを平然と胃に詰め込む食の鬼と化していたことを!
そしてまた妊婦健診の時、
「何を食べましたか?」と医師に問われてしどろもどろするんだ。
ここ最近だって
「今、何してる?」
というメッセージを受信した時に、なぜかしどろもどろしてしまった。
音声コミュニケーションではないのにしどろもどろっておかしいだろう!
まああの……アラウンドサーティともなると滅多にそんな数学IIのP.56〜63などという絶妙な範囲の宿題を無視した高校生が送ってくるようなメッセージを受信する機会もめっきり減るもので、しどろもどろになってしまうのだ。
それにちょうどその時、
瀬戸康史の顔で、近所のスーパーのご奉仕品コーナーにある六枚切り食パンを買い物かごに入れる妄想をしつつ、地元の事故物件の数を検索していたのだからな。
そりゃあしどろもどろもするでしょう?
人生は、しどろもどろの連続だ。
これまでも、これからも。
きっと、ずっと。
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ひっかけ問題してくる奴は東京湾に沈めてやれ。
【参考資料】
◽︎たびこふれ
世界最高品質の麻布~フレンチリネンはここで生まれる
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お・ぬ・し