膨らみ過ぎた、まな板の上のパンと夢
パン屋ではなくパン工場の向かいに住んだことがある。
二十五平米のワンルーム、憎きユニットバス。
入れ替えても入れ替えても電池の体液を搾り取っていくエアコンのリモコン。
午前三時に必ず物騒なことを叫びながら暴れている(と思われる)隣人。
唯一の癒しが窓を閉めていてもふんわりとこっそりと不法侵入してくるパンの焼ける香り。
「ああ……柔らかな陽射しに包まれる穏やかな日曜日の朝といった明るめアンニュイな芳香……!ンンンン!たまらん!」
初めこそパンの香りに癒されていたが、二週間も経つと二十四時間年中無休のパンの香りに殺されそうになった。
過ぎたるはなんとやらである。
押され過ぎた足ツボというか、まるまる一週間マッサージチェアに座りっぱなしとか
こう、度を越したリラクゼーションないし、
行き過ぎた愛は重いのである。
とはいえ、最低でも二年は住まないととんでもない額面が飛んでいく契約を交わしてしまった以上
どうにも動けない。
今すぐにでも
「おにぎり工場の横に引越したいですゥ」
と電話をかけようかと思ったが、ここから池袋は遠い。
いや、電話なのだから距離は関係ないはずだが。
国際電話なのかってくらいには妙に躊躇ってしまった。
……不動産屋からすれば
「あれだけ下見をゴリ押ししたのに“構わぬ、住めば都じゃ”とか言い張ってたくせに二週間で音を上げやがって」
だろうからな。
あの朗らかな笑顔の下に
「言わんこっちゃない」
と
「ざまあねえな」
がマグマの如く沸々するのを勝手に思い浮かべてブルっと身震いする俺。
よって、
「いつ何時、アンパンマンが新しい顔をご所望になるかわからないからジャムおじさんが無休でパンを焼きに焼いているのだ」
と自分に言い聞かせることでこの南極を乗り切ることにした。
ちなみに、アンパンマンが却下した新しい顔たちを安く売るコーナーがある。
いくらパンの匂いにうんざりしているとはいえ、
当時薄給限界会社員だった私は、この身を削ろうとも財布だけは小太りにしておきたいという欲望があった。
よって、パンのにおいに殺された私は亡霊となりながら買いに行った。
店前にはチーズ役オーディションに来たと思しき茶色の犬が五匹くらいつながれていて、
「アンアン!」
と発声練習中。
ドキンちゃんみたいな色の服を着たおじさんや、バイキンマンみたいな色の服を着た私で行列ができている。
アンパンマンのおめがねに叶わなかった顔を求める人々でごった返す店内。
発酵し過ぎたパン生地のごとく建物自体が膨れ上がって見えた。
レジではバタコさんが忙しさのあまり影分身しながらバタバタしている。
「なんのためにうまれて なにをしていきるのか」
のアンサーが完全に
「パン買うためにうまれて ここにきて並ぶのさ」
の奴しかいない空間。
ある意味、平和である。
バタコさんの心の中のみ、不穏である。
「行列に並ぶことは死と同義なり」
というわけのわからない武士的な格言を小学四年の時に書き初めにて発表した生粋の行列嫌いの私がなぜここまで並ぶことができたかって
やはり背に腹は変えられぬ、ということだろうよ。
並ぶ間はひたすらにこの、謎の妄想をパン生地をこねるが如くこねくり回し、
発酵させるが如く膨らませ乗り切ったわけだ。
このぺちゃんこに潰れた胸の中で、妄想だけは無限大に膨れていく。
ただ、その生地をオーブンに入れたのは今だ。
もう、現実という餡を内包せし妄想という名の生地は発酵し過ぎて街全体を覆い尽くすほどである。
そんなどでかいもんをどこで焼き上げるんだよってお思いだろう?
ここだよ。
ここ。
言わずもがな、ここ。
とまあそんなこんなでバタコさんの息も絶え絶えな
「いらっしゃいませ」を私が聞いた時には、
パンの棚はもぬけのから一歩手前であった。
とはいえ、クロワッサンに、食パン、チョコレートドーナツ……
それから見覚えのあるデニッシュなんかがビニール袋に、それはそれはもうギッチギチに詰められている。
月曜朝七時三分発、中央快速東京行きにも引けをとらないほどミッチミチである。
食パンなんて、ドア挟まりを再現してんのかってくらいのノリだったぞ。
この店の客の中に駅員を生業としている方がいらっしゃったら
「お荷物ゥお身体ァ!お引きくださァァァァい!!」
なんて叫びながらグイグイ押し込みに行かずにはいられないといった具合だった。
幸い、そんな人はいなかったらしく特に何もなかったな。
外では相変わらずチーズ候補生たちが
「アンアン!」と配役争いを繰り広げている。
それにしてもおかしいな。
アンパンマンの顔がどこにも見当たらない。
ふと、潰れた蒸しパンが視界に飛び込んできたが
アンパンマンって蒸されちゃいないわな。
あんこで蒸されてるっつったらそりゃあ“あんまん”だろうよ、なんて言ってスルー。
とりあえず、後ろに並ぶ面々のことも考えて買い尽くさないようにしながらも一通り、蒸しパン以外をかごに突っ込み影分身しているバタコさんのうちの一人に会計をお願いした。
五百円玉一枚で、三ヶ月分以上のパンを買い、お釣りまで来た。
意気揚々と帰宅。
買ったカロリー分を消費しようと階段をだだんだんと駆け上り六回の自室へ。
体力無さすぎの、うら若き日の私は散らかりに散らかっているガラステーブルの上にどさどさと戦利品を並べ、ばったりとベッドの下に寝そべった。
硬すぎる床の上のしわくちゃカーペットの上で、向かいのパン工場について検索をかける。
ほどなくしてその工場でアンパンマンの顔が作られていないことを知る。
怒りの炎でおにぎりを焼いた。
とはいえ、ちゃっかりパンもどっさり買った。
すっからかんだった冷凍庫はパンとドーナツだらけになった。
あの工場では、アンパンマンの顔ではなく
少女たちの夢と、日本国民大半の冒険の友を作っていた。
そして、二週間程度はアンパンマンの顔が焼かれているとかジャムおじさんは複数人いるとか、そんな妄想で楽しませてもらった。
だって、深夜二時に窓の外見ると
白服の人たちが工場から大量に出てきて、しばらくするとまた戻って行くのですよ?
あんなんジャムおじさんが複数いるとしか思えないじゃないですか!
アンパンマンを幼少期に履修しておくべきだった、と後悔したのはこの時が初めてである。
二度目は、朝ドラ「あんぱん」にどハマりしていたつい先日のことである。
恐らく乳幼児期の必修科目であるアンパンマン。
とはいえ未履修の私。
あの、乳児って本来“丸っこい”形が好きな生物じゃないですか。
でも私、諸事情により“丸っこい”ものが怖いんですね。
親曰く生後6ヶ月で“丸っこい”ものに攻撃されてそれがトラウマになっているんじゃないかということです。
その丸っこいものというのが
風呂の給水口なんですけどね、あれ追い焚きする時に尋常じゃなく熱いお湯出る時あるじゃないですか。
父が誤って私を給水口の方に配置して入浴したらしいんです。
その時タイミング悪く、給水口の熱湯ブラストが私の尻に直撃。
大泣きからのひっくり返りで顔面が給水口にくっついたそうで、それ以来丸いものを見ると泣くようになったんだとか。
アンパンマン大先生は“丸”のオンパレードです。
(中略)
とてもではないですがアンパンマン履修困難だったんです。
要は、
輪郭が“丸特大給水口”、目も“丸極小給水口”、ほっぺた鼻も“丸一般的な給水口”に見えていたというわけです。
パン工場の向かいに住んでいた私も今では、日の出と共に爆発するおじさんの家の隣の隣で平穏に暮らしている。
時折何軒か先のパリピ一族が外で魚焼いてぶち上がっている程度で、匂い問題はほぼない。
問題があるとすれば、近隣一体でススキやネコジャラシの種をミサイルの如く落とし合い
ものの見事に当たり一体が同じような植物に覆い尽くされているということくらいだ。
パンも、幸せも、匙加減が重要だと
リアルな生活の中で気付かされるのであった。
↑
主人公みどりちゃんが住んでいたワンルームのモデルはパン工場向かいのマンションである。
いいなと思ったら応援しよう!
よもぎちゃーん!
はーい!
何が好き?
ポテトチップスよりも
お・ぬ・し