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🔷【18話】天上の楽園・ごめんね(ユウタ)

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「ごめんね」

地獄のどん底で届いた言葉は意外なものだった。

「あたし、ユウちゃんの事好きだから、ちゃんと大好きだから」

幻聴か? いや、そばだてた耳にはっきりと響いたサチの声は、少し震えた息遣いさえ伝えてきた。

“好きだから……”

血の気と共に引いていた体温が急上昇していく。

「高いくせに悪酔いさせる酒だな。ふざけすぎた……すまない」

今度は岡部の声が聞こえる。ぼそぼそとしていたさっきの声色とは違い、何かが抜け落ちたように潔い響きだった。

二人が近づいてくる気配を感じ、瞼を閉じてソファに深くもたれる。起きている状態でご対面するには心の準備ってものが。

これってさ。岡部はサチに惚れてたって事? アイツが?

薄闇の中、サチに抱き締められながらぼんやりと宙を泳いでいた奴の眼差しが頭をよぎる。長い付き合いだけど見たこともない、あんなにも痛々しいほど無防備な岡部の姿を。

サチの唇を盗むなど、他の男なら殴り倒しているところだ。
だけど……。

“ごめんね”

そんな風に拒絶された岡部に、殴ろうなんて気持ちは萎えてしまった。

「アイツ、ずっと働きづくめでさ、本当に自由なんてなかったんだよ」

部屋にだいぶ近づいてきているのだろう。はっきりとした岡部の声。

おい、何を言っているんだ。そんなのアンタだって同じじゃないか。俺がオフの日だって、岡部は事務所で次の仕事の段取りを組んでいた。いつだって俺が登るための階段を、一段ずつ積み上げるために。

部屋に入ってきた二人の会話は、いつの間にかレスリー・ラウ監督の映画の話になっていた。

「ユウちゃんすごいなぁ」

はしゃぐサチの声が聞こえる。知ってるの? サチの好きな監督なのか? やばい、顔がにやけそうだ。嬉しくて。

“あたし、ユウちゃんの事好きだから……”

岡部には申し訳ないが、あっという間に地獄から極楽だ。二人が外に出ていく気配。ドアの閉まる音がリビングに響いた。ぱちっと目を開く。誰も居るはずもないが、姿勢はそのまま視線だけで室内をチェックする。

がばっ。

座ったまま前のめりになって頭を抱える。両手で顔を覆うと、じっとりと汗が滲んでいた。膝にかけてあったブランケットを引き剥がす。

あっちい、誰だよ、こんなもの掛けやがって。岡部だな、アイツ案外世話焼き野郎だから。

そわそわと落ち着かず、ローテーブルに置かれたパンフレットに手を伸ばした。サッちゃん嬉しそうに何度も眺めていたよな。英語で書かれた文字を目で追っていく。

『インド洋に浮かぶ魅惑の隠れ家』

本当にすげぇよ。ロケだ写真集だとかでビーチリゾートってやつは様々な場所を巡った。だけど、こんな小さな島に上陸したことなどない。歩いて五分ってどんな大きさだよ、潮が満ちたら沈んだりしないのか? サチと二人ならそんな運命でもかまわないや。彼女を抱えて、のんびりと隣の島まで泳げばいい。俺、結構スイミング得意なんだよね。

ふと、ブランデーの甘い香りが鼻をついた。瓶に目をやると半分以上飲み干されている形跡。アイツ、サチに告白する勢いをつける為にボトル開けたんじゃねぇの? いや、この旅行を計画したくらいだ、俺が眠っている状況に、はずみでキスしちまったというところだろうか。

“ごめんね”

サチの声を思い出すと胸の奥がチリチリする。

悪いな岡部、他の女ならアンタに譲るよ。だけどサチは駄目だ。やっと見つけたんだ。あぁ、もしかしたらそれはアンタも同じかもしれないけれど……。

色恋沙汰まで弱肉強食とはな、生きていくって厳しいよね。な、今回だけ俺に譲ってよ。

もう、悪態つきません。いい子にします。台詞覚えます。

いや、そんな事じゃない。俺、本気だから。カッコつける余裕も無いほどに。アンタを踏み台にしてサチを手に入れるなら、その重さごと背負うよ。

ガチャッ。

岡部が部屋に戻ってきた。

「起きたのか、ユウタ」

いつもの岡部だった。クールで世の中、知り尽くしたような大人の男。

「サチ、いないんだけど」

わざとらしくそんな質問を投げかける。さっきの二人を覗いていたなどと、決して悟らせてはならない。

「あぁ、旅行前に仕事を仕上げなきゃいけないからって今夜は帰った」

「そっか……」

意味深な口調で岡部は「へぇ」と言った。なんだよ、それ。もしかして狸寝入りだったってやっぱりバレているのか? 自分の三文芝居に自信がなく心の隅でちょっとばかりうろたえちまう。

「うたた寝の間にお姫様が消えたっていうのに、随分聞き分けがいいんだな。早速、休暇の功名か」

口の端をうっすらと上げて、奴は機嫌のいい様子でブランデーをグラスに注いだ。やっぱり気づいていないみたいだ。ほっと安堵の溜め息をつく。空のグラスを差し出すと、岡部はそれを無視して瓶に蓋をしやがった。

「んだよ。ケチっ」

「お前の寝酒には勿体ないだろう。もう酒は駄目だ。部屋に帰って寝ろ。この間のように目の下に隈を作ってカメラの前に立つような事があれば、休暇は取り上げだ」

「うわ、ひでぇっ」

冷血漢。石頭。サド野郎。

思いつく限りの罵声を浴びせる。やべぇ。さっき俺、誓わなかったっけ?

いい子にします。悪態つきません。

長年体に染みついた習慣ってやつは、そう簡単には抜け落ちやしない。

「岡部」

「なんだ。まだ言い足りないのか」

それから? とでも言いたげな眼差し。

「……感謝してる」

一瞬、怪訝そうに岡部は俺を見つめ返した。

「お前がいなきゃ、映画の主役もサチも、きっと俺には届かなかった」

「柄にもなくしおらしい事を言ってくれるんだな。忠告しておくが今回のバカンスは役作りの為でもある」

ゆらゆらとグラスの中身を揺らしながら、岡部はそう淡々と口にした。

「今度のお前の役どころはなんだ」

「えっと、沖縄在住のミュージシャン」

何が言いたいんだよ。

「趣味は?」

「サーフィン」

まさかサーフィンの練習をしてこいって言うんじゃないだろうな。実際波乗りをするシーンはないはずだ。ボードを持って浜辺を歩くカットはある。そこで香港から来た女と出会う設定なのだ。言葉もほとんど通じない相手に心を奪われる。

「綺麗に日焼けした肌がいいと、監督から希望があった」

「は?」

「サチと行く島には、日焼けを肌に落ち着かせるスパのコースがある。毎日欠かさずそれを受ける事。あとで俺の方から予約を入れておく」

「スパ?」

「むらな日焼けなんざ許さんぞユウタ。南国の日差しをあなどるなよ」

こいつって、こいつって……。カチリとテーブルに奴が置いたグラスをさっとかすめ、一気に飲み干してやる。

「ばっ……か。ユウタなにしてる」

ぷはっ、美酒に喉が焦げ付く感覚。

「わかったよ。ご注文通り、豚の丸焼きかってくらい飴色にこんがりと焼けてくるぜ」

「お前らの滞在する島には日本人は居ない。だが他のリゾートの島には近づくなよ」

あぁ、もうわかったぜ。まるでコイツ小姑だ。

「へいへい、わかりました。さてと、サッちゃんも居なくなっちゃったし、部屋に帰るとしますか」

がたりと立ち上がる。おっと、これを持っていかなきゃな。机の上のパンフレットに手をかける。

「ユウタ」

再び岡部に呼びかけられた。

おいおい、もう勘弁してくれよ。少しうんざりした気分で振り返った俺に、ぼそりと奴は言葉を投げてよこした。

「俺も……お前と出会えて良かったと思っている」

目が合うと、うざったそうに岡部は視線をそらした。あれ? なんだよ、照れてるのかよ。ふてぶてしく憮然とした仕草が不自然だぜ、オカベちゃん。

男の固い友情ってやつも悪くない。まさか女の趣味も同じだったとは今更の発見だったが。

じゃあな、とすれ違い様、岡部の肩に手を置く。ほんの一瞬、視線を絡めると俺はゆっくりとリビングの扉に向かっていった。

ふと違和感がした。待てよ、あれ? 岡部の女の趣味ってさ。ブルーアイズにショートボブ、挑戦的な眼差し、ああいうのがタイプじゃなかったっけ? サチと全然違うよな。岡部ちゃんって結構バリエーション豊かっていうか。

仕事が一段落したらマジで岡部とヘブンランドに行こう。きっとホーラーマンションなんて入った事ないだろうな。もちろんアイツのお好みに合わせて、ブルーアイズにショートボブで装って。

たまには岡部もハメを外さなきゃ。俺達が歩調を合わせて10年のアニバーサルだ。

どんな状況になるやら。
その時のヤツの顔を思い描くと、笑いが込み上げた。




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