🔷【4話】天上の楽園・もう一度会いたい(ユウタ)
シーツの中で俺を見上げる女は、抜けるような白肌を悩ましくくねらせている。形の良い唇に乗せた赤いルージュ。その刻印を、俺の首筋に押しつけていく。
ベッドに広がる長い髪は、まるで絹糸で紡がれた蜘蛛の巣のようで、女はすらりと伸びた四肢で俺の体を絡め取る。
奔放で妖艶な女郎蜘蛛。こういう女との情事は魅惑的で分かりやすい。食前のワインから男にドレスの下を期待させる女。耳の肥えた女を口説き落とすのも、大人のたしなみってやつだ。
だけど想像出来ない。もしも腕の中にいる女があの子……サチだとしたら、どんな眼差しを投げかけてくるのかなんて。
目の前の女は薄く笑いながら、少し輪郭の曖昧になった唇を俺の耳たぶに押しつけてくる。そして吐息と一緒に掠れた声で、刺のある台詞を流し込む。
「ねぇ、あたし知っているのよ。あなたが他の女に心移りしている事なんて……」
沈黙が部屋の空気を包んだ。
……。
「はい、カートッ! いいねぇ。色気もたっぷりだし、最後の桂木君の唖然とした顔、雰囲気出てたよ。じゃあ休憩挟んでシーン30いきますからっ」
さっとスタッフが女の肩にワイン色のガウンを掛けた。濡れ場なんて、映画一本撮れば必ず必要になるカットだ。今更だとは思いながらも、こういう場面でカメラが止まった瞬間の妙な気恥ずかしさだけは慣れることがない。しかも、ちょっとばかりプライベートで味見をしたことのある女が相手だったりしたら、真似事のベッドシーンなんて猿芝居みたいに感じてしまう。
「ユウタ、最近御無沙汰よね」
スタジオの端に置かれた椅子に並んでコーヒーを啜っていると、まるで映画の続きみたいな台詞を、彼女は小さく囁いた。男を意識した媚のある流し目。
あぁ、いんじゃない? そのアップ。次のシーンの練習……じゃないよな。
「だって杏里さん、若き実業家と熱愛発覚してたじゃん。俺の出る幕なんてないよ」
「あぁ、あれ? いやぁねぇ、お金あっても、色気のない男なんて最悪よ。あたし、やっぱり面食いなのよね。ユウタみたいな……ね?」
女って貪欲。特に美貌を備えた女って、勘違いするほどに世界は自分中心に回っていると信じて疑わない。
色んなタイプの男たちを絡めた糸で巣に張りつけて、その日の気分で美味しい所だけ頂く。
こういう、いい女をモノにするのがステイタスだと思っていた。でも今となっては、その薄っぺらな自己満足に悲しみさえ感じる。
あぁ、俺も底無しに貪欲なのかもしれない。サチの、その瞳に映して欲しいという願いが叶って、少し話まで出来たというのに、もう次の瞬間には新たな欲望が沸き上がる。触れてみたいだなんて……いや、手を繋ぐだけでもいい。それって中学生レベル。いや、今時の中学生はもっと進んでいるよな。
そう、ただひとつと言われれば、これが俺の心からの願い。
もう一度、会いたい。
そう、もう一度、会いたい。
君が描いた大きな羽が本当に俺の背中にあったなら、今すぐさらいに行くのに。わざと高く舞い上がって、怖がる君の手を固く握りしめる口実をつくるだろう。
「ねぇ、ユウタぁ」
サチじゃない女の声。今の俺には振り向く価値すらない。適当にあしらっている態度に、隣のお姫様はご機嫌を損ねたらしい。
「ちょっと、アンタ相当な俺様野郎よねっ!」
苛立った杏里の怒鳴り声がスタジオ中に響く。周りにいたスタッフの視線がこちらに集まってくる気配。俺はうすら笑いを浮かべて、隣の女を一瞥した。
どうよ。天使みたいなツラして、この救いようのない性格の悪さ。いつもと違う注目に、杏里の視線がそわそわしだした。
「杏里さ……」
「なっ、なによっ」
周りのスタッフは、俺の次のひと言を固唾を飲んで見守っている。もう、俺を誰だと思っているの? ここ最近ぽっと出てきたグラビアあがりの女優と一緒にされちゃあ……ねぇ。
「シーン30、俺への横ビンタからだよね。さすが杏里ちゃん、テンションあげていこうね。その調子で思いっきり張り倒してよ」
どっと笑いがおきる。杏里も「もぉ」なんて甘えた声で頬をふくらまらせる。
アンタ、残っていけないよ。そんなんじゃ。目尻に皺のひとつも出来たら用無しだって、覚悟しなよ。
「お〜か〜べ。お前、仕事選んでんのかよ。あんな女出てるんじゃ、レベルが落ちんだろうがよ」
マンションに帰る車の中、いつもの調子で奴に絡む。
「あぁ、まぁ、色々としがらみがあるんだよ。脇役だし、今なら脱ぐだけで話題になる女だからな。役柄的には合ってるんじゃないか?」
岡部は流暢にハンドルをさばきながら、「お前も大人になったねぇ」と、からかうような口調で言った。
「この業界、まずは礼儀から……だろう? 誰が教えたんだよ」
「へぇ、涙が出るね。俺も努力が報われるよ。優秀な生徒にはご褒美をあげなきゃな。明日のロケ、他の役者の都合でお前の撮り、別日になった。久々にオフだ」
「……マジ?」
「こんな冗談、酷だろうが。杏里と違って、俺はそんな性格悪くねぇぞ」
いつぶりだよ。本当かよ。こんなチャンスは次にいつあるかなんてわからない。だったら……。
「オ・カ・ベ・ちゃん」
「なんだよ」
眉間に皺寄せるなよ、露骨に嫌な顔みせやがって。
そんな思いはぐっと堪えた。この男に頼らなければ、運命の赤い糸はぷつりと途絶えちまうんだ。
潮風は心地よくバルコニーを吹き抜ける。山の上にぽつりと建てられた小さな別荘。三浦海岸を望めるウッドデッキテラスからは、色彩鮮やかなウィンドサーフィンの帆が波間に揺れる様が見て取れた。
俺はテラスのテーブルに、いそいそとナイフやフォークを並べている。ランチのメニューはイタリアン。全て俺のお手製だ。
昔、俺がまだオカベと一緒にアイドルをやっていた頃、『男子たるもの厨房に行こう』なんてレギュラー番組を持っていた。『昔取った杵柄』って言うの? 俺の料理の腕を見くびってもらっちゃ困るんだよね。
鮮魚のカルパッチョ、生クリームを加えたコクのあるトマトソース、渡り蟹のリングイネ、ホロホロ鶏モモ肉のグリエ。抹茶のソルベには、とろりとした練乳を添える。
朝の五時には目を覚ました。オフとは思えないハードさだ。だけど鼻歌交じりにキッチンに立った。包丁を手に、夫の帰りをいそいそと待つ新婚の気分ってやつ。好きな人に食べてもらう為に野菜を刻む。至福のひと時だった。
岡部、大丈夫だろうか。一通りの支度が整うと、急に不安が湧きあがってきた。サチは本当に来てくれるのだろうか。
”アポを取れた。明日、昼の十二時に三浦の別荘に連れて行く”
昨夜、岡部から短いメッセージがはいった。それからすぐ車を走らせ、イタリアンレストランを経営している知り合いのシェフに食材を分けてもらい、そのまま真夜中にここへ来ちまった。
隠れ家に相応しい、ひっそりとした一軒家。定期的に入れているハウスクリーニングが来たばかりだったので、掃除は必要なかった。
時々、俺はここを訪れる。オフじゃなくても、気分転換にふらりと立ち寄る事もある。海が見えるのが良かった。知り合いの芸能人から半年前に譲り受けたばかりだ。
”適当に荷物残していくから、悪いけどいらないものは捨ててくれ”
そう言って、趣味の良い高そうな家具まで置いていってくれた。太っ腹だよな、あの人。大御所と呼ばれるベテラン俳優の姿が頭をかすめた。芸能人の元別荘というだけあって、人目を忍ぶ場所にひっそりと佇んでいる。
この隠れ家に女を招き入れるのは初めてだ。
高まる鼓動を落ち着かせるように、深く息をついた。
ただ、もう一度会いたい。
そう、サチにもう一度会いたい。
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