🔶【5話】天上の楽園・モーニングコール(サチ)
人混みって息が詰まると感じる事もあるけど、ひとりひとりを眺めてみると興味深かったりするものだ。
例えば今あたしが座っている待ち合わせの定番、渋谷ハチ公前。
こんな週末には、相手を探し出せるのだろうかと疑いたくなる程に人はこの場所に群れる。
だけど待ち人との再会というのは結構ドラマだ。相手が恋人だったりすれば、その瞬間、放たれる光の輝きで二人の愛情が計れてしまうといっても過言ではない。
幸せな空気って他人の物でも心が癒される。外国の映画のような熱い抱擁も、たまらなく重ねてしまうキスも、そうそう見られるわけではないが、溢れてくる再会の喜びが垣間見えて、なんとも微笑ましい。
ずっと浮かない顔で座っていた斜め向かいの女の子が、ぷいっと顔を背けた。彼女の目の前には、バツの悪そうな仕草で彼氏らしき人が立っている。
「誕生日のデートに遅れるなんて最低っ」
あ……でも。あたしからは見えちゃった。彼が後ろ手に隠している小さなブーケ。きっと花屋に寄って遅くなっちゃったんだろうな。
ほら、小さなスポットライトの光が落ちてきたよ。
目の前の二人は、渋谷の雑踏に紛れたら、ありふれたカップルなのかもしれない。だけど誰もが、こんな小さなドラマをそっと繰り広げながら愛を育んでいる。
「……チッ、ねぇ、サチってばっ」
はっと顔を上げるとナオが立っている。ふわふわと風になびく綺麗な栗色の髪。ぱっちりした目元。人目を引くって、こういう女の子なんだろうな。
「また、人間ウォッチングしてたでしょ」
悪戯を見つかった子供みたいな気持ちで、目を合わせないまま首を横に振ってみせた。
「アンタがあっちの世界に片足突っ込んでいる時は、顔見りゃわかるのよ」
その鋭い指摘に、苦笑いをしながら話題を変える。
「あ〜オナカ減った。あたし朝、食べてないの。ナオは何食べたい? 今日はあたしの奢りだよ」
「へぇ、ホントに?」
「あ、だってほらぁ、サイン貰う約束……」
ナオは「あぁ」と言うと小さく笑った。
「よく考えたらさ、パーティっていってもサチにとっては仕事だったんだもんね。怒ったりして悪かった。奢りなんて冗談だよ」
ナオのこんなさっぱりしたトコって魅力的だ。こんな子だから、あたしのぼんやりした所も母親みたいな眼差しで許してくれる。
最近オープンした美味しいオムレツ屋に行こうという事になり、並んで歩き始めた。
「あ、この前本屋に並んでたよ、桂木ユウタの本。サチの表紙、素敵だった」
「……ホント?」
誰だって褒められれば嬉しいものだ。スキップでもしたい気分。あたしはテレ笑いをしながら、隣を歩くナオを見た。
「あ、噂をすれば……だ。ほらっ」
彼女が指さす方に視線を流す。ファッションビルの上部にある大型ビジョン。
桂木ユウタがそこにいた。ベッドの上で頬杖をつき、スマホを握り締めたままうたた寝をしている。新しい機種の宣伝だろうか。キャッチコピーはこうだ。
“リアルに愛を語ろう”
街を歩く女の子達は、皆ちらちらとそのビルを見上げている。
「あ〜。やっぱり素敵だよねぇ、桂木ユウタって。大人の男って感じ。いいなぁ、サチは生のユウタに会えて。どんなだった? やっぱり抜群にカッコ良かった?」
オトナのオトコ……。
「う〜ん。まぁ、そうだね」
でも、笑った顔はナオの言うイメージとはちょっと違っていた。子供みたい。ほら、悪戯好きの男の子って感じ。やんちゃで、でもバレンタインデーにはチョコを沢山貰えるクラスの中心人物。
「あ〜、今度は杏里だ。この二人ってちょっと噂になっていたよね。なんか出来すぎのカップルって感じでイマイチだと思わない?」
再びナオが指差した先には、ファーストフードの自動ドアに貼られた女の子のポスターがあった。天使のような笑顔で、新発売のハンバーガーを片手に頬張っている。
“自由がないんだよね”
そう口にした彼の眼差しを思い出す。きっと当たり前に恋人と街を歩くことすら、ままならないのだろう。
彼の伏せられた瞼の裏に浮かび上がる恋人は、杏里という名のこの女の子なのだろうか。ファンの子はきっと、誰が彼の隣に寄り添っても面白くないんだろうな。
『夜分、恐れ入ります。檀プロダクションの岡部と申しますが』
あ、トンビ――と、喉元まで込み上げてきた言葉を飲み込んだ。良かった。声に出さなくて。
丁度この前の出版パーティでひらめいた、妖精の舞踏会の下絵に取りかかっていた。トンビの羽を持つ怪しげな堕天使をどの場所に登場させようかなどと考えていたところで、机の端に置きっぱなしだったスマホが、ぶるぶると頼りなく震えた。
最近どうも調子が悪い。充電の減りも妙に早いし、勝手に画面が暗くなる。さっき渋谷で見た桂木ユウタの新機種のCMを思い出し、ちょっとだけ複雑な気持ちになった。
『急なお誘いで恐縮なのですが、桂木が明日是非サチさんを、三浦海岸の別荘にお招きしたいという事なのですが、ご都合いかがでしょうか?』
「はぁ」
桂木さんの別荘? ご招待? また、パーティでもあるのかしら。一瞬、ナオの顔が浮かんだ。汚名返上しなくてはっ! 頭の中ではぐるぐるとそんな事を考えながらも、ウンともスンとも明確な返事をしないあたしにしびれを切らしたのだろう。
『ご都合よろしければ、明日、車で迎えに伺いますが、いかがでしょうか?』
再びスマホの向こうから問いただす声がする。
「はいっ。行きます!」
思いがけず、妙に元気な声を出してしまい、気恥ずかしくなる。でも、良かった。
今度こそ、サインを忘れずに貰おう。そうだ、本を一冊持っていって、ナオへと一筆入れてもらえばきっともっと喜んでくれるはずだ。内緒にして、今度ランチする時にでも突然渡して驚かせちゃおう。
そんな事を考えていたらワクワクしてきた。ワクワクは心をこしょこしょとくすぐる。何だかこそばゆくて、その夜はなかなか寝つけなかった。
ピンポーン
あ、この音好き。出っぱっているボタンを押すマンガの擬音って感じ。寝起きのシーツのぬくぬくも好き。
ぬくぬく。
ピンポーン。
ぬくぬく。
ピンポーン。
あっ。やばーい!!!!
バタバタと玄関に向かうと、今度はスマホが震え出した。朝寝坊確定。
ガチャッとドアを開けると岡部さんが立っていた。スリムなスーツに細い革のネクタイ。黒ぶちの眼鏡。その奥の切れ長の瞳。手にはスマホが握られている。
あの渋谷のファッションビルの屋上の大型ビジョン。桂木ユウタの代わりに岡部さんが映されていても、何の違和感もないかもしれない。キャッチコピーはこうだ。
“モーニングコールで愛を語ろう”
寝起きのまま飛んできたあたしの姿に、彼の瞼がパチッと瞬いた。
「すっすいませんっ」
モーニングコールなんて言っている場合じゃない。すぐに支度しますからと、ダイニングテーブルに岡部さんを座らせ、慌てて隣の部屋で支度をする。
「あのっ今日のパーティって、フォーマルですか?」
一人暮らし、1DKの部屋だ。仕切り戸の向こう側の声など筒抜けである。
「パーティ? いや、フォーマルもなにも、桂木はあなただけをお誘いしたのです」
「えっ?」
黙り込んだあたしに、「説明不足でしたね」と岡部さんがぽつりと付け足すように呟いた。
「あの、じゃあ本当に普段着でもいいでしょうかね」
「構いませんよ」
たぶん、その返事から十分もかからなかったと思う。
ガラッ。
扉を開けると、一瞬、頭からつま先まで流れるような視線を浴びる。
「用意は……いいですか?」
何かが足りないのでは? と言いたげな口調で岡部さんは確認してくる。
ジーパンにインド綿のチュニック。髪は寝癖をごまかす為にゴムでまとめた。顔も洗った。化粧は唇に保湿剤入りの薄い色つきリップを乗せただけ。
だって普段着でいいって言ったもん。
あ、そうだ。サインしてもらう本!
あたふたとバッグにしまいこむ。
「夕べは遅くまでお仕事だったのですか?」
テーブルの上に置きっぱなしのデザインの下絵を眺めながら、岡部さんはそう言って椅子から立ち上がった。
あ、あの絵……。
「そっ、そうなんです」
寝坊をした言い訳と、絵の右端に描いたトンビの羽を持つ、ちょっと眼光の鋭い堕天使を誤魔化すように、ワンオクターブ高い声で答える。
あ、まただ。顔が赤くなるのがわかる。この人の前で、二度目だ。
苦手……。あたしがじゃなく、彼みたいなタイプは、あたしみたいな女が苦手なんだろうなと思う。てきぱきとした人って、あたしのスローペースが信じられないと感じるらしい。ナオくらいだな。あたしに歩調を合わせられるの。
「急なお誘いで申し訳ありません。では、行きましょうか」
彼が玄関を出て行く時になって、今更ながら気付いた。
やばい、お茶も出していなかった。
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