🔷【20話】天上の楽園・二人だけの隠れ家(ユウタ)
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全然違う。プライベートで海外にいく感覚ってこういうものなのか。
スーツケースの中身を何度覗き込んだことか。まるで遠足前日に荷物を確認する小学生だ。随分遠回りをしての現地入りだが、全然苦ではなかった。
お互い出発前に片付ける仕事に追われ、ここ最近メッセージのやり取りすら御無沙汰だった。バカンスが待っていると思えば、むしろ盛り上げるためのおあずけも悪くないかな、なんて。
写真には気をつけろと岡部は釘を刺した。パパラッチもここまでは追いかけてこないだろうに、心配性だよな。
入国審査を終えリゾートに向かう小さな水上飛行機に乗り換える。乗客は俺の他に、三十代くらいのヨーロピアンカップルだけだ。
あれ、サチはどこ? 宿泊する島へと飛ぶこの水上飛行機の中で待ち合わせのはずだ。サチは空港から近い距離のホテルに夕べから一泊している。
チュッ。
さっきから前の席で、カップルが熱い抱擁を交わしている。ったく、見せつけてくれるよな。だけど、あんな風にサチと、なんて想像するだけで走り出したいくらいに体が火照る。
早く会いたい。
カツンカツン。
タラップを上る音がする。外の日差しを背にした人影が入り口に浮かび上がる。
「ユウちゃん」
……やばい、大丈夫かよ俺。泣き出しそうだなんてどうかしている。こんな日本から遙か離れた南国で、本当にサチが目の前にいる。胸が詰まって言葉が出てこなかった。俺の動揺など気付くはずもなく、サチはちょこんと隣の席に座った。
「飛行機お疲れ様。遠回りで大変だったでしょ」
屈託のない笑顔。言葉が出なくて、ぶんぶんと首を振って否定する。
チュッ。
相変わらず前の席のカップルのイチャイチャぶりは続いていて、サチがちらりと視線を向けるのがわかる。めちゃくちゃ、こっ恥ずかしい。
あんた達、変な刺激を与えるのは止めてくれよ、まだキス止まりの初々しい日本人だっているんだよ。
ブウンッ、ブウンッ……。
飛行機がエンジンをかける振動が伝わってくる。どんな一週間が始まるんだろう。ふわりと機体が浮く感覚。そっとサチの指に手を伸ばす。墜落したって離すものかと絡んだ指先に力を込めた。

島へはわずか三十分程で到着した。ヨーロピアンカップルは他の島のゲストらしく、サチと2人だけ席を立つ。海上に着陸した飛行機から小さな船へ乗り込み、島から伸びる桟橋へと運ばれる。
なんだよ、これ。プールじゃないよな。海……これが?
ささやかに揺れる穏やかな海面は、巧妙にカッティングされた蒼いクリスタルのようだ。桟橋に上がり島に向かって歩き出す。
桟橋の半ばまで来たところで思わず足を止め、サチと並んで海を覗き込む。二人揃って目の前の情景に言葉すら失っていた。
太陽の光が溶け込んだ浅瀬は、海底の砂が刻んだ紋様までも透かしている。艶やかな鱗をまとう熱帯魚を引き立たせる白い砂地は、陸にまで広がっていた。
まるで海に敷き詰められた純白のビロード。触れたら粉雪のように溶けてしまいそうだ。

船の形をしたカウンターテーブルのあるバーに案内され、島についての説明を受ける。モルディブなまりの英語ってやつは意外にも聞き取りやすい。流れるような、というのとは程遠い、単語と単語の繋ぎ合わせといった感じだ。
だが話を聞く程に、このリゾートの独自性に驚かずにいられない。聞いた事もないぜ、映画みたいな話だな。
隣のサチは真剣に聞いているフリをしている。フリってとこが微笑ましい。この内容を耳にして、あのサチが顔色一つ変えないわけがない。たぶん英語だから話の内容を理解できてないんだろうな。
英語は昔から岡部に叩き込まれてきた。サッちゃん……俺がついているから大丈夫だよ。そう思える状況が嬉しい。こんな小さな島で迷子になんてなりようもないけれど、言葉が通じず途方に暮れる事がないように、俺がいつも側にいてあげる。
君の耳や口になる喜びを、その度に俺は噛みしめる事だろう。
タクルと呼ばれる世話役を紹介される。アダムという名の髭をたくわえた気立ての良さそうな男。彼に案内され、生い茂る緑の合間の小道を通り抜ける。行く先にはコテージがあった。ポツンと佇む小さな隠れ家といった雰囲気。
一週間ここでサチと過ごすのだと思うと、足が浮き立つ。部屋の中はこじんまりとしていて、シックなインテリアでまとめられていた。
外のデッキには白いパラソルのついたテーブルとチェア。バスルームの扉を開け中を覗いていると、他を探索していたサチがそばに来て、俺のシャツの裾を引っ張った。
彼女に連れられて小さな裏庭に出ると、そこにもシャワーブースがあった。
「お日様を浴びながら、裸で使うシャワーなんて気持ちいいんだろうねぇ」
楽しそうにサチはそんな爆弾を俺に投下してくれた。サッちゃん、今何て言ったの? そんな明るくさっぱりと言われちゃうとさ……。敏感に反応している自分を罪人のように感じる。
世話役のアダムがもうひとつの場所に案内するからと耳打ちをしてきた。
「何処に行くの?」
不思議そうな面持ちでサチがそう俺に問い掛けてくる。
「もうひとつお楽しみがあるんだってさ」
そう答えながら俺はもったいぶるように、内緒だよという仕草をしてみせる。
コテージはプライベートを守るためか、ビーチから直接覗けないようにふんわりと木々のカーテンで覆い隠されていた。
だが、ほんの数歩歩いて緑のカーテンを抜ければ、どこまでも広がる蒼い海。空へ溶け込むブルーのグラデーションは出来すぎた絵葉書のようだ。

そこにぽっかりと浮かぶ、真っ白い帆をなびかせた小さな木製の船をアダムが指差してみせた。
あれが、さっきバーで説明されたマイドーニってやつか。
彼女と少し話をしてから行くとアダムに告げると、彼はにこやかに頷いて船に向かって一人歩いて行った。
「サッちゃん、あの木陰でひと息つこうか」
首を傾げながらアダムの後ろ姿を見送っていたサチが、ぼんやりとした眼差しをこちらに流してくる。その手を引いてゆっくりと歩き始める。
素顔のままで、誰の目も気にすることなく、当たり前に手を繋いで寄り添える幸福感。もしかしたら夢なのかもしれない。一瞬そんな不安が頭をよぎる。
そっとサチが俺の手を握り返してくる感触が伝わってきた。その温もりが俺を救ってくれる。これは紛れもない現実なのだと。
椰子の葉を重ねた木陰。そこに腰を下ろすと、服越しにヒンヤリとした砂の冷たさが伝わってきた。

「さっきのバーで聞いた島の説明なんだけど……」
「ごっ、ごめんなさい。あたし英語なんて中学生以下レベルで。ユウちゃんがちゃんと受け答えしてくれて安心した」
あたふたと恥ずかしそうに、サチは早口で言った。
「いいよ、そんなの気にしないで。ここのスタッフは日本語を挨拶程度しか理解できないみたい。でもさ、俺には願ったりなんだよね。この島にいる間は俺だけのサッちゃんなんだから、他の奴と話しなんかしてたら嫉妬しちゃうしさ」
「……うん」
俺から視線をそらして海を眺めながら、サチは照れ笑いをしている。いつもと同じムーミンに出てくるミーの髪型。襟足のおくれ毛が太陽に透けて輝いていた。
「あのね岡部も言ってたけどさ、この島には六組のゲストしか滞在しないんだって。島は一周五分ほどしかなくって、十六歳以下は立入禁止の大人の為のリゾートなんだ。それでね、ここはモルディブの中でも特に変わったシステムをとっているらしい。まず部屋に鍵はない」
「えっ、鍵がないのっ?」
サチの声のトーンがかなり上がっている。この素直な反応が子供のようで微笑ましい。だけどサッちゃん、驚くのはまだ早いと思うよ。こんなのまだ序の口なんだから。
さっき自分も初めて耳にしたくせに、島の内容を熟知したようにサチに説明する。

「限られたゲストしかいないし鍵は必要ないんだって。貴重品はホテルに預けたし、何かを注文したりしても現金を支払う必要がないんだ。アダムはここにいる間、世話をしてくれる俺達だけの専属の執事なんだ。好きな時に好きな物を好きな場所で、二十四時間、全てリクエストに答えてくれるらしい。例えば今から無人島に行ってランチを食べたいとかさ」
「えっ信じられない、本当に?」
「うん」
サチの驚く様子を楽しみながら、俺は話を続けた。
「それにね、もっとすごい事があるんだ」
ごくりと、サチの喉が鳴ったのは気のせいだろうか。
「ほら、あの船」
少し大袈裟に、海に浮かぶ船を指差してみせる。

「ドーニって呼ばれるモルディブの伝統的な船なんだって。ここにいる間、ゲストは一艘ずつ自由に使えるマイドーニ、自分だけのドーニを貰えるんだ。そして専属の三人のボートクルーが希望通りに動かしてくれる」
きょとん。サチが目を丸くしている。よく意味がわからない、そんな眼差しを投げてくる。
「あの船の中には、ベッドや小さなキッチンやリビングスペースまでついているんだって。もちろん食事はスタッフが作ってくれる。例えばナイトクルージングに出かけて、そのまま船に泊まる事も出来る。望みのままに動いてくれる、海に浮かぶもうひとつの隠れ家ってやつ」
サチの瞳が輝き出した。
ぴかぴかぴかぴか。
南国の陽射しを反射して、いつも以上に輝いている。
「すごぉいっ。ユウちゃんすごすぎるよっ」
ばさっ。おもむろにサチは立ち上がった。
「何だか、めちゃくちゃ興奮してきちゃった。走り出したい気分っ」
大きくサチが空に向かって伸びをするように腕を広げる。サンダルをポイポイっと脱ぎ捨てると、本当にサチは走り出した。海に向かって。

波打ち際というにはあまりにも穏やかな海岸線を、ばちゃばちゃと水飛沫を跳ね上げながら走り回る。ついにはワンピースのまま、転んだついでにごろりと水辺に寝そべってしまった。
あまりのテンションの急上昇ぶりに、俺はただ唖然としてしまった。
ちょっと置いてきぼりを食った気分。ピクリとも動かないサチに恐る恐る近づく。サチは、踝ほどの浅瀬に大の字になって空を仰いでいた。
全身ずぶ濡れ。服っていっても薄手のキャミソールワンピース一枚。身体のラインに沿って服が張り付いている姿が……。だけど、そんな邪心はサチの子供のような屈託のない笑顔に弾き飛ばされた。
「ねぇ、ユウちゃん。何だか夢みたいなところだねぇ。どんなバカンスになるのかワクワクしちゃうね」
サチの隣に俺も寝転んでみる。シャツとズボンに水が染み込んでいく感触。最初は違和感を感じたが、体の力を抜いて空を見上げていると何だか地球に身体が溶け込んでいくような、不思議な感覚に包まれた。
何ていう開放感。こんな浅瀬だというのに、俺とサチの隙間をぬうように小さな魚が擦り抜けていく。
「あのシャワーを浴びる口実が出来ちゃったね」
冗談のような口調でサチにそう話し掛けられる。
「……」
馬鹿、俺。
そんな事を言われただけで意識してどうする。咄嗟に気の効いた台詞が出てこなくて、慌てている自分が歯がゆい。
「水着に着替えて、船……ドーニを見に行こうよ」
サチがそう言いながら俺に手を差し伸ばしてくる。滴るほどに濡れたワンピースの裾から、ポタポタと水滴が落ちている。
俺は苦笑いしながらサチの手を取って立ち上がった。とりあえず俺はバスルームのシャワーを使うかな。
たった今、始まったばかりのバカンスだというのに、刺激が多すぎて体が持ちそうにないぜ。
二人並んだ足跡を砂浜に刻みながら、俺達の小さなコテージに向かって歩きはじめた。
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🌺海や島の画像は実際のモルディブの写真です。二人のバカンスは美しい写真もあわせてお楽しみください。
★船(マイドーニ)だけは資料からAI画像生成いたしました。
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