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火星——赤い地平の向こう(4):第1章 観測と理論——火星が動かした科学(2)

(承前)

1.6 スキアパレッリの「カナリ」——運河論争の始まり

 1877年、イタリアの天文学者ジョヴァンニ・スキアパレッリ(Giovanni Schiaparelli, 1835–1910)は、ミラノのブレラ天文台で火星の大接近を観測した。
この年の火星は、地球に約5,600万キロメートルまで接近し、望遠鏡観測に理想的な条件となった。スキアパレッリは口径22センチメートルの屈折望遠鏡を用いて、火星表面を詳細にスケッチした。
彼が見たのは、明るい領域と暗い領域、そしてそれらをつなぐ細長い線状の模様であった。
スキアパレッリはこれらに体系的な名前を与えた。明るい領域には「ヘラス」「エリュシオン」「アルカディア」といったギリシャ神話由来の地名を、暗い領域には「シルチス・マジョル」「マーレ・キンメリウム」といった古典的な地名を付けた。そして線状の模様を「canali」と呼んだ。

「Canali」という言葉

イタリア語の「canali」は「水路」あるいは「海峡」を意味する中立的な言葉である。スキアパレッリは、これが自然の地形であるか人工的な構造物であるかについて、明確な主張をしなかった。
だがこの言葉が英語圏に伝わる過程で、「canal」——人工的な運河——という訳語が当てられた。この誤訳が、火星運河論争の引き金となった。

機械的客観性への移行期

スキアパレッリの観測は、科学における客観性概念の転換期に位置していた。
科学史家ロレーヌ・ダストンとピーター・ギャリソンは『客観性』において、科学的客観性の概念が歴史的に変容してきたことを論じている。
18世紀には、科学的描写は「自然への真実」(Truth-to-Nature)という理想に基づいていた。これは、個別の偶然的な特徴を排除し、理想化された典型——本質——を描くという考え方である。植物学者は、特定の個体ではなく、種の典型的な形態を描いた。
だが19世紀中頃から、新たな客観性の理想が登場した。「機械的客観性」(Mechanical Objectivity)である。これは、人間の介入を排除し、機械が自動的に記録することで客観性を達成しようとする考え方である。写真技術の登場が、この理想を可能にした。
スキアパレッリの観測は、まさにこの移行期に位置していた。
望遠鏡を通して見える火星の像は、大気の揺らぎ、光学系の収差、そして観察者の眼の限界によって、常に不安定であった。火星は瞬間的にしか鮮明に見えず、大部分の時間はぼやけていた。
観察者の仕事は、この断片的に見える像を統合し、恒常的なパターンを抽出することであった。これには訓練が必要であった。何百時間も望遠鏡を覗き、瞬間的に見える像を記憶し、スケッチを繰り返し、パターンを洗練させる。
スキアパレッリは、そのような訓練された観察者であった。彼は機械(望遠鏡)を使用したが、その機械が記録したものを解釈し、意味あるパターンとして抽出する過程には、人間の判断が不可欠であった。
だがこの観察様式は、既に写真技術による「機械的客観性」の挑戦を受けつつあった。

アルベド地形という概念

スキアパレッリが記録したのは、実際の地形ではなかった。それは「アルベド地形」(albedo feature)——地表の明暗に基づく見かけ上の地形——であった。
火星表面には、太陽光の反射率(アルベド)が異なる領域がある。明るい領域は砂や塵に覆われた地域であり、暗い領域は岩石が露出した地域である。季節によって砂嵐が起こり、砂が移動すると、明暗のパターンも変化する。
つまり、スキアパレッリが見た「地形」は、固定された地形ではなく、変化する表面の模様であった。それは実在するが、地質学的な地形とは異なる種類の実在であった。
20世紀後半、探査機による高解像度の観測が進むと、アルベド地形と実際の地形の対応関係が明らかになった。例えば「シルチス・マジョル」は、実際には玄武岩質の平原である。「ヘラス」は、巨大な衝突盆地である。スキアパレッリの「canali」に対応する直線的な地形は、存在しなかった。
それでもスキアパレッリの命名は、現在でも部分的に使用されている。国際天文学連合(IAU)は、火星の地形名称を管理しているが、アルベド地形の名称の一部は、歴史的な経緯から保存されている。

「見る」ことの複雑さ

スキアパレッリの観測が示すのは、「見る」ことの複雑さである。
彼は虚偽を報告したわけではない。彼は自分が見たものを、正確に記録しようとした。だし「見る」という行為そのものが、既に解釈を含んでいた。断片的な像を統合し、パターンを抽出し、意味を与える。
スキアパレッリの火星地図は、機械的客観性への移行期における、人間の観察の成果であった。そしてその地図が、次の段階——ローウェルの運河論——への道を開いた。

 1.7 ローウェルと運河の実証 

スキアパレッリの観測は、フランスの天文学者カミーユ・フラマリオン(Camille Flammarion, 1842–1925)によってフランス語に翻訳された。ここで問題が生じる。フラマリオンは「canali」を「canal(キャナル)」と訳した。フランス語や英語で「canal」は、人工的な「運河」を強く連想させる言葉である。
この翻訳を読んだアメリカの実業家パーシヴァル・ローウェル(Percival Lowell, 1855–1916)は、火星に知的生命体が存在し、彼らが水を運ぶための運河を建設したのではないかと考えた。
ローウェルは、1894年にアリゾナ州フラッグスタッフに私財を投じて天文台を建設した。ローウェル天文台である。彼は火星を集中的に観測し、数百本の運河を「発見」した。彼はこれらを精密にスケッチし、火星全体を覆う運河網の地図を作成した。そして1895年、『火星』(Mars)という著作を出版した。

「老いた惑星」という直観

この本の中で、ローウェルは火星を次のように描写した。
「火星は地球よりもはるかに古く、進化が進んでいる。そのために海が干上がり、乾燥し、砂漠化している。火星の知的生命体は、限られた水資源を極地から赤道へと運ぶために、惑星規模の運河網を建設した。」
ローウェルの火星像は、科学的観測と推測と想像力が混ざり合ったものであった。しかし重要なのは、ローウェルは自分が「見た」ものを真剣に信じていたという点である。
ローウェルの観測は、スキアパレッリと同様に、機械的客観性への移行期における観察の産物であった。彼は何百時間も火星を観測し、スケッチを繰り返し、パターンを洗練させた。望遠鏡を通して見える断片的な像から、意味のあるパターンを構成する。それは当時の天文学者の技能として認められていた。
ローウェルは、火星表面に幾何学的パターンを見出すように眼を訓練していた。そしてその眼には、運河が「実在」していた。

写真技術と機械的客観性

他の天文学者たちは、ローウェルの運河を確認できなかった。
イギリスの天文学者エドワード・ウォルター・モーンダー(Edward Walter Maunder, 1851–1928)は、1903年に興味深い実験を行った。彼は、火星表面のランダムな斑点模様を描いた図を、距離を置いて子供たちに見せた。子供たちは、その斑点を「線」として認識した。
この実験は、人間の視覚が断片的な情報から線状のパターンを構成する傾向があることを示していた。ローウェルの運河は、火星表面の実在の地形ではなく、人間の視覚と認知のパターン認識の産物である可能性が示唆された。
さらに重要なのは、写真技術の発達であった。19世紀末から20世紀初頭にかけて、天文写真が実用化された。写真乾板は、人間の眼よりも長時間の露光が可能であり、微弱な光も記録できた。
ダストン&ギャリソンが指摘するように、写真技術の登場は「機械的客観性」という新たな理想をもたらした。人間の主観を排除し、機械が自動的に記録する。それこそが真の客観性であるという考え方である。
ただし写真乾板による火星観測では、ローウェルの運河は確認できなかった。写真には、明暗のまだらな模様は写ったが、明確な直線的構造は見られなかった。
機械的客観性は、人間の眼による観察よりも「真実」に近いとされた。機械は嘘をつかない。機械は期待しない。機械は客観的である。
論争は数十年続いたが、1965年のマリナー4号によって決着した。マリナー4号が送り返した画像には、運河は一切確認されなかった。火星表面は、クレーターで覆われていた。
機械的客観性の勝利のように見えた。第2章で見るように、この「勝利」もまた単純ではなかった。マリナー4号の最初の画像は、技術者たちが色鉛筆で手塗りした。機械的客観性の時代においてさえ、人間の手と眼は介在していた。

科学的誤りと構造的正しさ

ローウェルの運河論は、科学的には誤りであった。
だし興味深いのは、ローウェルの火星描写——「地球よりもはるかに古く、進化が進み、そのために海が干上がり、乾燥し、砂漠化している」——という部分は、現代の火星科学の知見と奇妙に一致しているという点である。
火星は実際に、地球よりも速く「老いた」惑星である。磁場を失い、大気を散逸させ、水循環を崩壊させた。運河は存在しなかったが、古代の河道は存在した。知的生命体はいなかったが、生命の痕跡が存在した可能性はある。
ローウェルは、細部において誤っていたが、構造において正しかった。
ここに、観察の複雑さがある。ローウェルは嘘をついたわけではない。彼は真摯に観察し、真摯に解釈した。観察と解釈は、常に技術と判断の相互作用の中で行われる。そしてその相互作用は、時に誤ったパターンを生み出す。
20世紀に入り、火星観測は「機械的客観性」の時代へと移行する。しかし機械もまた、第2章で見るように、中立的な記録装置ではなかった。火星は常に、観測技術と人間の判断の相互作用の中で現れ続ける。
だが、一旦ローウェルの時代に立ち戻れば、別の観測技術がローウェルの仮説を後押しすることになる。

(続く)

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(2026.2.23 公開、3.3 増補改訂)

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