善い行いも、諸刃の剣?~サッカーW杯の清掃行動に感じた違和感と、多様性へのまなざし~
◆違和感から始まる問い
サッカーW杯での日本サポーターによるごみ清掃。 前回大会でも称賛された善い行い。 それはそれで素敵なこと。

でも、大会はスポンサーがつく公式イベント。 ある意味「騒いで汚れて当然」のお祭り。 清掃は大会側の仕事では? 経費にも計上されているはず。
役割分担で考えると、少し違和感が残る。
◆善意がトレンドになると…
もし清掃が「美徳」としてトレンド化したら? 観客が減り、大会収入が減り、 選手の活躍の場が減る――そんな連鎖も想像してしまう。

こうした意見は炎上するかもしれない。 でも、違和感を言葉にすることも、 多様性の時代には必要なこと。
◆違う意見に寛容であること
「みんなが清掃している姿が恐ろしく見える」 そんな発言に敵意を感じたら、 自分の中の寛容さが揺らいでいるかもしれない。

多様性とは、違う意見が「空気のように」存在すること。 排除も理解も必要ない。 ただ、そこにあることを認めるだけ。
◆流されないために
感動や怒りを覚える情報には要注意。 気持ちを持っていかれないよう、 少しだけ俯瞰してみる。

スポーツは、純粋に泣き笑いしてよいもの。 でも、ピッチ外のエピソードで感情を揺さぶる報道には、 他意が潜んでいる可能性もある。
◆群衆の力とその危うさ
ノーベル文学賞のエリアス・カネッティ氏は、 「群衆は権力に対抗する唯一の集団」と語った。 その力を信じつつも、 熱狂が多様性を封じる危うさも感じる。

(unsplash)
誘導される側だけでなく、 誘導している側も気づいていないことがある。 だからこそ、注意深く俯瞰していたい。
日々そう思いながら、 noteのスペースを静かに使わせていただいています。
yoitenki4110
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