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釣れた時じゃない。私が夢中になるのは、待っている時だ

――まだ一匹も釣れていないのに、海に通う理由

夢中になるって、何かを手にした瞬間のことじゃない。
まだ何も掴めていなくても、心がそちらへ静かに向かっていく時間のことだ。

まだ一匹も釣れていない。
それでも私は、この2週間、何度も海へ通っている。

釣りを始めたのは、休職してからだった。
それまで私にとって海は、眺める場所であって、通う場所ではなかった。

でも今は違う。
昼から夕方にかけて、旦那と一緒に車で向かう。
遠くても1時間かからない距離。
釣り場だったり、海だったり。
最近は漁港が釣り禁止になっている場所も増えていて、できる場所を探すだけでも小さな冒険みたいだ。


外に出る理由を失いやすい私にとって

私は双極性障害と不安障害がある。
波がある。
元気な日と動けない日が、同じ生活の中に同居している。

不安が強い日は、頭の中が「もしも」で埋まる。
まだ起きていないことを先回りして怖がって、何も始まっていないのに、もう疲れてしまう。

だから休職中の私は、基本的に「外に出る理由」を失いやすい。
外に出たい気持ちはあるのに、出るまでが重い。
準備が億劫で、怖さが先に立つ。

そんな私が、不安が強い日でも釣りに行ける。
理由は単純で、旦那が一緒に行ってくれるからだ。

一人では難しい日でも、「行こうか」の一言があるだけで外に出られる。
隣にいてくれる人がいるだけで、家の外の世界は少しだけやさしくなる。
私にとって釣りは、趣味である前に、外へ出るきっかけでもある。


私が一番夢中になるのは、ウキを見ている時だ

海に浮かぶ黄色いウキを見つめる。
風で少し揺れる。
波で小さく上下する。
その一点を、ただじっと見ている。

3月の風は、まだ少し冷たい。
海風はやわらかいようでいて、長く当たっていると体の奥にまで入り込んでくる。
波は太陽を反射して、きらきらと白く光る。
その光と風にさらされながら、ウキが沈むのを待っていると、
自分の輪郭が少しずつ海にほどけていくような、不思議な感覚になる。

隣では旦那も、同じように釣りをしている。
言葉をたくさん交わすわけではない。
でも、同じ海を見て、同じ時間を過ごしているだけで安心する。

普段の私は、余計なことを考えすぎる。
誰かの顔色。
明日の仕事。
自分の価値。
まだ起きていない失敗の予告編みたいな不安。

でも釣りをしている間だけは違う。
視線も意識も、黄色いウキに向かっていく。
すると、頭の中の雑音が少しずつ消えていく。

一点に集中するって、こんなに静かなんだ。
そう思った。

不安がゼロになるわけじゃない。
でも、不安に支配されていない時間が確かにある。
考える場所が「今」に戻ってくる。
胸のモヤモヤが薄くなる。

その時間に、私は何度も助けられている。


まだ一匹も釣れていない。それでも飽きない

面白いのは、私はまだ一匹も釣れていないことだ。

普通なら、成果が出なければ飽きるのかもしれない。
でも私は、飽きない。
むしろまた行きたいと思う。

今の時期は、私がやっているサビキ釣りにはあまり向いていなくて、釣れないことがほとんどだ。
それでも待っている時間が楽しい。

「いつか釣れるはずの魚」を思い浮かべる。
まだ見ぬ魚のことを考える。
今は他の釣り方にもチャレンジしている最中で、釣れない日さえ“失敗”ではなく“途中”だと思える。

たぶん私は、魚が欲しくて海に通っているだけじゃない。

釣れないことがつらくないのは、
釣りが私にとって“結果”ではなく“回復”になっているからだ。


釣りが連れてきた、小さな変化

釣りを始めてから、生活に小さな変化が起きた。

一日中釣りをしていると、体がちゃんと疲れる。
その疲れが心地よくて、睡眠が深くなった。
眠れた、というだけで次の日の不安は少し軽くなる。

それから、SNSを見る時間が減った。
暇な時間を埋めるためにスクロールして、
他人と自分を比較して落ちる。
そんなループから距離ができた。

海へ行って、風に当たって、ウキを見つめる。
ただそれだけのことなのに、
少しずつ生活の重心が戻ってくる感じがある。


海は、食べることまで変えた

もう一つ、食べることが少し変わった。

私はまだ釣れていないけれど、以前、隣で釣りをしていた人がシーバスを譲ってくれて、それを食べたことがある。
あの魚は、驚くほど美味しかった。

でも、心に残ったのは味だけじゃなかった。

海から来たものを、自分の手の届く場所で見て、匂いを感じて、ありがたみを持って食べる。
それはただ「美味しい魚を食べた」という話ではなく、
生活が戻ってくる感覚だった。

自然の中にあるものが、急に遠い存在ではなくなる。
眺めるだけだった海が、少しだけ自分の暮らしとつながる。
それもまた、私にとっては新しい驚きだった。


釣りは、趣味というより境界線だ

私にとって釣りは、たぶん趣味という言葉だけでは足りない。
もっと、自分を守るための境界線に近い。

不安で頭がいっぱいになる日。
波で心が揺れる日。
そういう日に、私はウキを見る。
一点を見る。
余計なことを考えない。

それだけで、自分の中心に少し戻れる。

夢中になることは、現実逃避ではなかった。
むしろ私は、夢中になることで現実に戻ってきていた。

海に向かうこと。
待つこと。
何も起きない時間を見つめること。
その全部が、今の私には必要だったのだと思う。


私の世界をひらいたのは、「釣れた時」ではなく「待つ時」だった

夢中になるって、派手な情熱じゃなくていい。
まだ結果が出ていなくてもいい。
誰かに説明できる成果がなくてもいい。

海で、黄色いウキを見ている間だけ、
私は不安の手から少し離れられる。

私が夢中になる時は、
「釣れた時」じゃない。

釣れるかもしれない未来を信じて、待っている時だ。

休職して、狭くなっていた私の世界は、
釣りを始めたことで少しずつひらいていった。
外に出る理由ができた。
空や風や波の光を前よりもちゃんと感じるようになった。
「まだ何もできていない」ではなく、
「今、好きになりかけているものがある」と思えるようになった。

波がある人生でも、好きは作れる。
夢中は、回復になる。
そして回復は、ときどき、
何かを手に入れた瞬間ではなく、
まだ来ていない未来を信じて待っている時間の中で始まるのだと思う。

いつか、私のウキが沈む日が来る。
その日、魚が釣れるだけじゃない。
私はきっと、自分の中の何かがちゃんと戻ってきたことも知るのだと思う。

その瞬間を想像しながら、
今日も私は海を見ている。


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#私が夢中になるとき
# 14Days


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