ソクラテスは、今ならSNSで嫌われる人だったーー特別授業『ソクラテスの弁明』
ソクラテスは、おそらく今ならSNSで嫌われる人だと思います。
人が話しているところに入ってきて、「それって本当にそうなんですか?」と聞いてくる。しかも、一度では終わりません。
「では、これは?」「その場合は?」「矛盾していませんか?」
延々と問い続ける。読んでいて、かなり面倒な人だと思いました。けれど同時に、「こういう人、今の社会には必要なのかもしれない」とも感じました。
別冊NHK100分de名著 読書の学校 西研 特別授業『ソクラテスの弁明』 を読んで印象的だったのは、ソクラテスが“自分を賢いと思っていない”ことでした。
神託で「最も知恵ある者」と言われても、本人は納得していません。だから彼は、人々と対話を始めます。自分より賢い人を探すために。
ところが実際に話してみると、多くの人は「知っているつもり」でいるだけだった。ソクラテスは、そのことを暴いてしまう。そして嫌われます。
ここまで読むと、彼は「哲学者」というより、“空気を止める人”に見えてきます。
今の日本社会は、とにかく速度が速い。SNSのタイムラインも、ニュースも、AIも、全部が「早く答えを出せ」と迫ってきます。しかも、「みんなが言っている」が、そのまま正しさになりやすい。
でもソクラテスは、その流れを止める。
「それは、本当に自分の考えですか?」
と。
読んでいて思い出したのが、映画『インセプション』でした。
デカルトは、「この世界は長い夢かもしれない」と考えました。現実だと思っているものが、本当は現実ではないかもしれない。それは映画の設定としても面白いですが、今読むと少し違う怖さがあります。
SNSで見ている情報も、AIが生成した言葉も、アルゴリズムが選んだ“おすすめ”も、自分で選んでいるようで、実は選ばされているだけかもしれない。
だからこそ、「不知の自覚」という言葉が妙に残りました。
知らないことを知る。わからないまま、一度立ち止まる。
それは効率が悪い。でも、その非効率の中にしか、自分で考える感覚は残らないのかもしれません。レビューを見る前に店へ行く。AIの答えを読む前に、自分で考えてみる。
ソクラテスは、答えを与える人ではありませんでした。
“考えることを他人任せにしない態度”を、二千年以上前から問い続けていたのだと思います。
