できないことより、できることを—内斜視の娘に成長させてもらった話
長女が3歳のとき、「内斜視」と診断された。 その瞬間から、私は長女の未来を悲観し始めた。
実際に気づいたのは、もっと前のこと。
生後3か月の頃、畳の上でごろごろしていたとき、長女からきつい視線でにらみつけられたような気がした。疲れていたからそう見えたのかと思ったが気になり、写真に収めた。見返すと、左の黒目が内側に寄っていた。赤ちゃんだから成長にあたり安定せずそういうこともあるのかな?と不安を打ち消す考え方をしてその場を流した。
2歳7か月で引っ越した直後、向かい合って夕飯をとったとき、「明らかに左の黒目の位置が違う」と感じた。けれど、荷物の片づけに追われ、そのまま忘れてしまった。
幼稚園に通い始めた直後、またそのことが気になりだして、眼科へ連れて行った。診断は「内斜視」。両目で一つのものを見る機能が発達しにくく、立体的にものを見ることが難しいと説明を受けた。
頭では理解できた。でも、正直に言えば、長女の将来を悲観した。どんな未来が待ち受けるのか想像しづらかったからなのです。
幼稚園のバスの先生から「〇〇ちゃん、私のことが嫌いなんでしょうか?いつもにらんできて」と言われたこともあった。目の状態を説明してようやく誤解が解けたが、胸が痛かった。先生がそう感じるなら、園のお友達から仲間外れにされることもあるのではないか。そんな不安が頭から離れなかった。
小学1年生のとき、長女が「新体操をやりたい」と言い出した。
かわいい花柄のレオタード姿とディズニープリンセスを重ねたように見受けられ、一目惚れしたのかなあ、と思った。再三せがむので最終的にOKを出したが、心の中では「よりによって新体操……」と不安だった。ボールやリボン、フープを投げて前転して受け取ったりもする競技だ。立体視が難しい娘には、ハードルが高すぎるのではないか。傷ついて帰ってくる長女の顔を想像した。
けれど長女は、おっとりしているようで芯が強かった。
小学2年生当時、女優でフィギュアスケーターの本田望結さんが腹筋を毎日600〜800回やっているとテレビで知ると、「あの動きをするために必要なら」と、小学3年生までの2年間、一日も休まず腹筋をやり続けた。その後引っ越しで途切れてしまったが、私はその姿を毎日見ていた。黙って、ただやり続ける娘の背中を。
新たな住まいとなり、小学4年生で選手コースを希望し、入れてもらえた。そこからが苦難の道。大会のたびに指定される手具が変わり、ほかの子と比べて明らかに投げた手具をとれないために、指導者から叱責された。
ある夜、娘の部屋から泣き声が聞こえた。
私は部屋の外で立ち止まった。声をかけようか、肩を抱きに行こうか。でも、これは長女自身が向き合うべきことだと思い、そのままドアの前を離れた。今となると、肩を抱いてあげればよかったかもしれないと思うことがある。それが正しかったのかどうか、今もわからない。
長女はそれでも続けた。ヒマさえあれば練習し、表現力を養いたいとバレエも習い始めた。
内斜視で立体視が難しいことは指導者に伝えなかった。ほかの子と同じように接してほしかったからだ。
「新体操は中学2年生まで」と、長女は自分で決めた。新体操からコンテンポラリーダンスの道へ。自分で選んだ道を、また自分で切り拓いていった。
中学3年生の3月、長女は斜視矯正の手術をした。矯正のメガネは相変わらず必要だが、斜視とはわからない見た目となり視力も上がった。見え方をたずねたが、長女としてはあまり変わらないらしい。それでも、長年付き合ってきたその目で、ずっと前を向いてきた娘のことを思った。
そして今は、アメリカへ渡り、ダンスを学んでいる。
ある日、長女に聞いた。「どうやってリボンやクラブを取っていたの?」
「感覚だよ。このくらいの力で投げたらこのくらいの時間をかけて落ちるってだいたいわかるから。そもそも、普通の人がどう見てるかなんてわかんないからね。立体視できるのがどういうことかも知らないし」
そして長女は続けた。
「私は何でも最初はうまくいかなくて下手だけど、やりたいことは諦めないから、上手くいくことが多いんだよね」
その言葉を聞いたとき、私は何も言えなかった。 と同時に、ぞくっとした。
長女が2、3歳の頃、ずっと言い続けていた言葉を思い出したからだ。「あなたは大器晩成型、最初はできなくてもずっと後で上手にできるようになるのよ」。おっとりしているので、励ますつもりで言っていた言葉だった。あの頃の私には根拠などなかった。ただそう信じたかっただけだったかもしれない。けれど娘は本当に、自分のペースで、自分の力で、花を咲かせていた。
長女はずっと、できないことではなく、できることにフォーカスしていた。私がずっと心配していたその目で、誰よりも前を向いていた。立体視ができない目で、誰よりも前を向いていたこの子は、これからどんな景色を見るのだろう。
翻って、私はどうだったか。
できない理由を探すのが得意だった。椎間板ヘルニアの手術歴も、産後のぎっくり腰の歴もあった。でも長女の背中を見ていたら、言い訳をしている場合じゃないと思えた。身体を諦めずにヨガインストラクターの資格を取ったのは、長女の頑張る姿を見せてもらっていたこともある気がする。今、講師として教えることができているのは、長女のおかげかもしれない。
成長させてもらったのは、私の方だった。
娘は今、大学1年生だ。これからもきっと、いろいろと教えてもらうのだと思う。
*️⃣以下は上記の娘に気付きを与えられた記事。併せて読んで頂けますと嬉しいです。
