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みんなで積み上げたものが、誰かの希望になった日【SUNmaruの思考】

フットサルの大会で勝ち取ってきた景品や、チームで使わなくなったサッカーグッズ。

自分たちにとっては、いつの間にか「余っているもの」になっていた。

けれど、ある偶然の出会いをきっかけに、それらが遠く離れた誰かのために使われることになった。

あの出来事で一番印象に残っているのは、何を送ったかでも、どれだけ送ったかでもない。

チームのみんなが、ほとんど迷うことなく、

「ぜひ送ってあげよう」

と言ってくれたことだった。

物の価値ではなく、組織が大切にしているものは、何かを決める瞬間に表れる。

今回は、そんなことに気づかせてもらった話です。

目次

1.積み上がっていったチームの景品
2.ヤフオクで起きた偶然の出会い
3.届いた、想像もしていなかった言葉
4.ユニフォーム一枚ではなく
5.誰も迷わなかった
6.積み上げたものの行き先
7.また誰かの役に立つ日のために

積み上がっていったチームの景品

フットサルの大会で優勝すると、サッカーグッズを景品としてもらえることがあった。

ユニフォーム、トレーニングウェア、タオル、ボール。

僕たちのチームは比較的多くの大会に参加していたため、ありがたいことに、景品を持ち帰る機会も多かった。

基本的には、その日に参加したメンバーで分ける。

ただ、サイズが合わなかったり、すでに似たものを持っていたりして、どうしても余るものが出てくる。

余った景品は忘年会の抽選会などで配ろうと思い、僕が自宅で保管していた。

一つ、また一つ。

大会に出場するたびに、少しずつグッズが積み上がっていった。

それは僕たちが一緒に戦い、勝ち取ってきた記録でもあった。

けれど正直に言えば、年齢を重ねるにつれて、サッカーグッズは十分すぎるほど持つようになっていた。

若い頃なら喜んでいた景品も、

「またウェアが増えたな」

と思うことが増えていた。

自分たちにとっての価値は、少しずつ薄れていたのかもしれない。

ヤフオクで起きた偶然の出会い

ある日、チームの景品とは別に、僕個人が使わなくなったサッカーのユニフォームをヤフオクに出品した。

出品したのは、たった一枚。

しばらくして購入者が現れ、発送についてやり取りを始めた。

最初は、ごく普通の取引だった。

どこにでもある、出品者と購入者の短いやり取り。

けれど、何度かメッセージを交わす中で、その方がユニフォームを購入した背景を知ることになった。

そこに書かれていたのは、想像もしていなかった話だった。

届いた、想像もしていなかった言葉

熊本地震によって、自宅が全壊したこと。

当時は避難所で生活していること。

そして、中学生のお子さんがサッカーを続けているものの、ユニフォームや練習着をはじめ、多くのサッカー用品を失ってしまったこと。

サッカーを再開するために少しずつでも道具を揃えたい。

そんな思いで、僕が出品したユニフォームを購入してくれたという。

画面に並んだ文字を読みながら、胸の奥が締めつけられた。

僕の家にあるのは、使う予定のないグッズ。

けれど、その方にとっては、もう一度サッカーをするために必要なものだった。

同じ一枚のユニフォームでも、置かれている場所によって、その意味はまったく違う。

そのことに気づいた瞬間だった。

ユニフォーム一枚ではなく

購入してもらったのは、一枚のユニフォームだった。

けれど、その一枚だけを箱に入れて送る気持ちにはなれなかった。

「家にある使っていないサッカーグッズを、まとめて送ろう」

自然と、そう思った。

保管していたものを広げてみる。

トレーニングウェア、タオル、ボール、過去に使っていたチームのユニフォーム。

チームで勝ち取ってきた景品も合わせると、全部で二十点ほどになった。

箱に詰めながら、一枚一枚に誰かと戦った時間があることを思い出した。

このウェアをもらった大会。

このボールを勝ち取った試合。

自分たちの思い出が、これから誰かの新しい時間につながるかもしれない。

そう思うと、景品の見え方が少しずつ変わっていった。

手紙も一緒に入れた。

「ご本人が使わないものがあれば、同じように被災された仲間に配ってください」

自分たちだけでは届かない場所まで、この箱が届いてくれたらいいと思った。

誰も迷わなかった

ただし、その景品は僕一人のものではない。

メンバー全員で大会に出場し、力を合わせて勝ち取った、チームの資産だった。

だから、僕だけの判断で送るわけにはいかなかった。

事情を説明し、景品をまとめて送りたいとメンバーに伝えた。

少し緊張していたと思う。

「忘年会で配布してほしかった」

「自分たちで分ければいい」

そんな意見が出ても、おかしくはなかった。

けれど、返ってきた言葉は、とてもシンプルだった。

「すごくいいことだね」

「ぜひ送ってあげよう」

「自分の家にも使っていないものがあるから、一緒に入れよう」

そこには、ほとんど迷いがなかった。

誰かが長い説明をしたわけでもない。

正しさを主張したわけでもない。

ただ、みんなが自然に、

「それが一番いい」

と思っていた。

その空気が、何よりうれしかった。

積み上げたものの行き先

あの出来事は、「僕たちがいいことをした」という話ではないと思っている。

むしろ、自分たちが積み上げてきたものには、自分たちが考えている以上の使い道があると教えてもらった出来事だった。

大会で勝ち取った景品は、勝利の証しだった。

けれど、棚の中で眠っているだけでは、その役割はそこで終わってしまう。

誰かの手に渡り、再びピッチで使われたとき、それは別の価値を持ち始める。

僕たちが積み上げたものが、遠く離れた場所で誰かがサッカーを続けるための力になる。

そう考えると、勝ったという結果以上に、うれしいことのように感じた。

そして、組織の本当の姿は、大きな目標や立派な言葉だけでは決まらない。

誰かが困っていると知ったとき。

自分たちが持っているものを手放すかどうか迷ったとき。

そんな小さな意思決定の中に、そのチームが大切にしているものが表れる。

あのとき、誰も迷わず「送ろう」と言ってくれた。

その事実が、僕にとっては優勝したこと以上に誇らしかった。

また誰かの役に立つ日のために

それ以来、景品をもらったときの考え方が変わった。

今すぐ自分が使わなくても、いつか誰かの役に立つ日が来るかもしれない。

そう思って、大切に保管するようになった。

ただし、ひとつだけ問題がある。

当時と比べると、チームの優勝率が少し下がっているため、景品がなかなか大量には貯まらない。

誰かの役に立つためにも、まずは僕たちがもう少し勝たなければならないらしい。

送ったグッズの中には、僕たちのチーム名が入ったユニフォームも何枚かあった。

あれから時間がたった今も、熊本のどこかで、僕たちのユニフォームを着てボールを追いかけている人がいるのだろうか。

本当のところは、わからない。

それでも、ときどき想像する。

見たことのないグラウンドで。

会ったことのない誰かが。

僕たちのチーム名を背負って、仲間と笑いながらサッカーをしている姿を。

自分たちが一緒に積み上げてきたものは、ときに、自分たちの知らない場所で誰かの希望になる。

そう信じながら、今月も僕たちはフットサルの大会に挑む。

今度こそ景品を増やすために。

そして、いつかまた誰かに渡せる日のために。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

このnoteでは、サッカーやフットサル、大学職員としての経験を通じて、人や組織が成長するための考え方を言葉にしています。

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これからも、スポーツや日常の中にある小さな出来事から、人と組織について考えていきます。

▼僕がどんな思いで発信しているのかは、自己紹介記事にまとめています。
ぜひ、あわせて読んでいただけたらうれしいです。

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