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引きこもりだった少女の頃。不安におびえながら向かった面接。そこで出会った忘れられない「力」

どうしようもない現実を抜け出すために、誰かから助けてもらった……そんな経験、あなたにもありますか?

私にはあります。

息が詰まるような毎日から、ただひたすらに自由になりたかった、あの頃。

12歳から16歳ぐらいまで、私は不登校で、引きこもっていました。

母子家庭で、母との関係は最悪。家の中でのコミュニケーションは一切なく、[そこにあったのは圧倒的な孤独の日々]でした。

家にいるのが、本当に嫌だった。

母から離れたくて、離れたくてたまらない。
一刻も早く働いて、自分の力で生きていきたかった。

その思いは日に日に強くなり、数年が過ぎました。

でも、どれだけ強く願っても、できることは限られています。[アルバイトの面接に行っても、なぜか説教されて終わるだけ]。もちろん、未成年には、アパートを借りる権利もありません。

それでも、私は諦めませんでした。

パソコンの求人サイトを食い入るように見つめ、求人情報誌を隅から隅まで読み漁る。そして、ダメ元で色んな会社に電話をかけ続けました。

応募したのはデータ入力の仕事。
当時から小説を書くのが趣味だった私にとって、タイピングは数少ない武器でした。

そんなある日、一本の電話が繋がります。
秋葉原にある、小さな派遣会社の社長さんでした。

「一度、来てみてください」

その声が、私の運命を動かしたのです。

見知らぬ大人を信じるということ

一瞬、「大丈夫かな?」という不安が全身を駆け巡りました。

だって……冷静に考えて、「未成年で、学校に行かず、引きこもっているが、家庭の事情が悪いので、アルバイトしたい」という子に「一度会ってみよう」と思うのはまともな大人でしょうか?

子どもから搾取する大人がいる。本ばかり読んでいたせいで、実際の社会経験はないくせに、知識だけは中途半端にあった私は、様々な危険を想像してしまいました。

違法なことをさせられるかもしれない。
身体に危険が及ぶかもしれない。

……でも。

このままでは何も変わらない。
いつまで経っても、私は母から自由になれない。

そう思った私は、勇気を振り絞って秋葉原へ向かうことに決めました(気になる方がいるかもしれないので、一応補足しておくと、母は何も知りませんでした)。私の場合、引きこもりといっても、知人がいなければ外には出られるので、移動自体に問題はありません。

ただ、やはり恐怖はあったので、万が一の事態を考え、カバンには護身用の唐辛子スプレーを忍ばせました。

オフィスで私を迎えた社長さんは、早速パソコンの前に座らせ、タイピングの速さを試しました。

「十分早いですね」

実際、そうだったと思います。

当時のデータ入力は、パートの女性たちが主役。いわゆるデジタルネイティブではない彼女たちと比べれば、物心ついた頃からキーボードに触れていた私は、当時の基準で、かなり速い方だったはずです。

これで仕事がもらえるかもしれない。
淡い期待を抱いた私に、社長さんが提案したのは、予想もしない仕事でした。

「テレアポ、やってみませんか」

理由を尋ねると、社長さんは「萎縮しちゃうかもしれないから」とだけ言いました。

おそらく、私の年齢や家庭の事情を考慮してくれたのでしょう。
黙々と一人でこなすデータ入力の仕事は、当時の私にとって良くないと考えたのかもしれません。「人と話す経験」が必要だと。

今でこそ、その深い配慮が痛いほど分かります。
でも、当時はその真意をまったく理解できず、「別に誰に対しても萎縮なんてしないけどな」と、ただ不思議に思うだけでした。

私は「雇ってもらえるなら、なんでもやります」と答えました。

資本主義と、人情

社長さんは、私がぽつりと話した「母との関係がよくない」という一言以上、家庭の事情については、何も深掘りしようとはしませんでした。

ただ、私の自由への第一歩を、静かにサポートしてくれたのです。

昔から思うのですが、資本主義と人情は相反するようでいて、時に同居することがありますね。

考えてみれば……。
未成年で、複雑な事情を抱えた私を雇うこと。それは社長にとって「リスク」以外の何物でもなかったはずです。

それでも、受け入れてくれた。

恐らく、そこには「この子を、自分なりに援助できるかもしれない」という、静かで確かな思いがあったのだと信じています。もちろん、私が派遣先でしっかりと稼げば、会社にとっては金銭的なプラスになります。ビジネスと人情は、決して切り離されたものではなかった。

それは、当時その社長さんが持っていた紛れもない「力」でした。
そして、その力を、私のために使おうと決めてくれたのです。

振り返れば、私の人生はいつもそうでした。
誰かの、ささやかで、しかし確かな「力」に救われながら、どうにかここまで歩いてくることができた。

当時は複雑な思いもたくさんありましたが、あの経験は、間違いなく私の人生の礎の一つです。

私が今、生きて、ここにいる、ということ自体が、誰かの「想いの力」を証明しています。

実際に支援してくれた方と、もう、二度と会うことはなくても、私の命が続いていく限り、「誰かが助けてくれた」という事実が消えることはありません。

今日も私は生きています。


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