頬の温度を、忘れる前に。
晩年まで、マンションで一人暮らしをしていた祖父。
とても長生きしましたが、いつしか認知症になっていて、孫がいたことすら、忘れつつありました。
私を見て、「この女性に名前を聞いていいのか、悪いのか……」と気まずい素振りをしていたように思います。
気を遣う人だったんです。
でも途中でそれもなくなって。
会いに行くと、いつもニコニコしているようになりました。
「いらっしゃい。ヤクルト飲む?」
と言ってヤクルトを出そうとしてくれるのですが、置いたはずのところに無かったりするので、母が探しにいったりして。
祖父自身も何も覚えていられないことは分かっているので、こう言うんです。
「会いに来てくれてありがとう。
忘れちゃうけど、嬉しい気持ちは残るからね」
目じりを下げて、くしゃくしゃの笑顔で。
そんな様子を見た叔母が、「すっかりかわいくなっちゃって……」と、複雑そうに、つぶやいていました。
自分が知っていた親とは変わってしまう。けれどその変化が「かわいい」。喜ぶのも嘆くのも、きっと戸惑う。
変わらないこともありました。
祖父は昔から、私が帰ろうとすると、玄関からエレベーターに乗るまで見送ってくれて。その後もベランダから、私の姿が見えなくなるまで、手を振ってくれていたんです。
認知症になっても、それは変わらなくて。
振り向くと、豆粒のようなサイズの祖父が、ベランダから、手を振ってくれるんですよね。
祖父は認知症にかかってから、むしろ思い悩むことが減ったのではないかと思います。
毎日幸せそうに、ニコニコして、機嫌が良かったんです。
それは祖父が風邪をこじらせて亡くなるまで、変わりませんでした。
「今、ここ」
認知症は病気ですし、人によってはむしろ人格が変わってしまうこともあると聞きます。
けれど祖父のケースでは、究極のマインドフルネスのように機能していたのかもしれません。
未来にも、過去にも思い悩むことがない。
今の幸せにずっと集中していられる。
私も、いつかくる終わりを考える前に、今目の前にあるものを、素直に楽しみたいです。
美味しいお菓子や、いい香りのコーヒー。
アロマキャンドルの香り、毛布のふわふわ。
大切な人の笑顔。
いつかすべてを忘れてしまっても、かつて私たちが何かに取り組み、楽しみ、生きた。それがなかったことにはならない。
最後に、祖父のお葬式の前。
棺桶の中に横たわる祖父の頬に触れました。
すごく冷たかったです。
あたためてあげたい。
けれど同時に、生きている間に祖父の頬に触れたことはなかった、とも気づきました。
今をめいいっぱい、楽しんでいい。
でも誰かの頬の温度に触れられる時間は、きっと限られている。
祖父は最後に、それを教えてくれた気がします。
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