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フレンチトーストとシトラスティーソーダ/染み込む時間。

どんな景色が似合うかな。

カルピスの続きを考えていたはずなのに、

気づけば、
冷凍庫で眠っていたリュスティックを解凍していました。

あの時の習作の続き。

何度も焼いて、
何度も失敗して、
少しずつ形になっていったパン。

その続きを、
もう一度見てみたくなったのです。



フレンチトーストは、
すぐにはできません。

卵液に浸して、
待つ時間が必要です。

外から見ているだけでは、
どこまで染み込んだのかわからない。

でも、

見えないところで、
ちゃんと変わっている。

焼くと、
その時間の分だけ味になる。

発酵と少し似ているなと思いました。

白胡麻入りのリュスティックも。



カルピスを割る時に使ったアップルティー。

レアチーズディップに添えたパイ。

オレンジとグレープフルーツ。

別々の場所で生まれた景色たちが、

気づけば、
ひとつの食卓に集まっていました。

まるで、

別々の窓から見ていた景色が、
同じ部屋で出会ったみたいに。

オレンジとグレープフルーツの蜂蜜マリネ。



そして、

人も少し似ているのかもしれないと思いました。

誰かにもらった言葉。

誰かの眼差し。

本の中で出会った景色。

絵の前で立ち止まった時間。

すぐにはわからなくても、

時間をかけて、
自分の中で発酵していく。

待つ時間も、必要だった。



そういえば、

母が昔、
私のケーキを見て、

「お店屋さんみたいだね。」

と言ってくれたことがありました。

当時の私は、

「上手にできたね。」

と言われたのだとばかり思っていました。



でも、

今の私には、
少し違う言葉に聞こえます。

お店屋さんって、

たぶん、上手な人のことじゃない。

毎日向き合う人。

失敗してもまた作る人。

見えないところも意識できる人。

誰かが食べるところまで想像する人。

そして、

目の前のものを、
ちゃんと大切に扱う人。

別々の物語が、ひとつの食卓へ。



もしかしたら母は、
完成したケーキを見ていたのではなく、

ケーキに向き合っている私を、
見ていたのかもしれません。



面白いなと思うのは、

言葉って、
発酵することです。

同じ言葉なのに、

何年も前に受け取っていた意味と、
今受け取っている意味が違う。

でも、

昔の意味が消えたわけじゃない。

積み重なっている。



発酵って、

元の材料が消えるわけではなく、

小麦は小麦のまま。

水は水のまま。

でも、

もう元には戻れないほど、
お互いの一部になっている。



母の言葉も、

ワイエスの習作も、

誰かがくれた眼差しや優しさも、

私の中に入って、

少しずつ混ざり合って、

今の景色の見え方になっている。



パンの中に染み込んだ卵液は、

焼くと見えなくなります。

でも、

食べると"ちゃんと"わかる。

見えないけれど、

確かに味になっている。

アップルティーシロップをかけて。



亡くなった人が残していくものって、

写真や思い出だけじゃないのかもしれません。

言葉の選び方。

笑うタイミング。

何を美しいと思ったか。

どんなふうに向き合ったか。

そんなものが、
気づかないうちに自分の中に入り込んで、

ある日突然、

「あの人なら、これを好きそうだな。」

とか、

「母なら、きっとこう言うかもしれない。」

という形で現れる。



それは、

思い出しているというより、

一緒に生きている、

私の一部になっている、

という感覚に近いです。



「母は私の中にいる。」

そう思っていたけれど、

もしかしたら少し違うのかもしれません。

母の言葉は、
私の中で発酵して、

お菓子になったり、
写真になったり、
言葉になったりしながら、

また別の誰かのところへ旅をしていく。

その人の中でまた発酵して、
その人の雨や風や日差しを受けて、
別の花になる。

(パンの可能性もある)    

私だけで作ってるわけじゃなかった。



人は、

人の中を旅しながら、

生き続けるのかもしれません。


言葉になったり。

歌になったり。

パンになったり。

写真になったり。

そして時々、

フレンチトーストの匂いになって、
ふっと帰ってくる。

そんなことを思いながら、作った朝でした。

食べた瞬間に、完成する。

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🍞🍊🫖🌱

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-写真は全て筆者撮影-

ここまで読んでくださり、
ありがとうございます🫧

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