【短編小説】同調する眩暈
『もしもし、警察ですか、事件です、たぶん。・・・待ってください、女の子が、ランドセルを背負っていて、太い腕の男が、物陰に彼女を引き寄せた後に首の骨を、折りました。手慣れてました。男は彼女を妹か自分の子供のように背負って、堂々と路地を歩いて資材置き場に歩いていきます。途中何人かとすれ違いましたが、あまりに自然過ぎて気づかれなかったんです。コンビニにも寄りました。監視カメラにも映っていると思います。背中に失禁されたことに気がついて、ヤツはTシャツを買いました。これは妹です、疲れて寝ている間におねしょをしてしまいました、困ったもんですねと言いながら、つつがなく買い物を終わらせてしまいました。その後、そこから徒歩で五分ほど離れた資材置き場に侵入して、彼女の身体と尿のついたシャツをっ、燃やすんですッ、ゔぅ、げぇーぇっ、す、すみません、臭いを、思い出してしまって・・・。今ですか、自宅です。誤解しないでください、僕はやってない!他の通報を確かめてみてください!』
警察に電話をしたのは、よく晴れた今朝のことだった。午前は僕にとって一番憂鬱な時間帯だ。今日もいつもと同じように、脳の中を激しい閃光が飛び回り、マーブル模様のように歪んだ景色に苦しむことになるのだろうと思っていた。
しかし、この目眩で感じたものは、幻覚や白昼夢というには気味が悪いほど実感が伴っていた。何か恐ろしいことが起きていると思い110番通報をしたが、電話口の警官は全く相手にしてくれなかった。僕は何度も同じことを繰り返し、携帯のマイクに向かって話し続けた。そうしていると、数秒の沈黙ののち、電話の相手がドスの利いた声に代わった。
どうやら隣の県で異臭騒ぎがあり、現場から一人の遺体と焼け残ったランドセルが発見された、という報告があったらしく、僕の通報が事件現場の状況と酷似していたらしい。僕は重要参考人としてパトカーに乗せられ、見知らぬ警察署に連れてこられたのだった。
取調室に座ってからどれだけの時間が経っただろうか。机越しに座る刑事の顔からは、あからさまな敵意と困惑が伝わってくる。重たいため息をついて、刑事は話し始めた。
「物的証拠も、あんたの携帯の位置情報も、あんたが犯人じゃないことを証明してる。分からないのは、どうしてあんたが犯行の一部始終を知っているのかだ」
この質問も何回目だろう。僕は『目眩で立ちくらんだときに見えたのだ』と、先ほどの回答と同じ内容を喋った。刑事の額に刻まれた皺がさらに深くなる。
「これは完全にこちらの落ち度なんだがな、あんたの通報を録音したテープを外部に流した馬鹿がいる。おかげでネットやマスコミは大盛り上がりだ。あんたのことを保護したいこちらの身にもなってくれないか」
僕はさっきから知っていることを全て話しているので、どうしようもない。それを告げようと口を開いた瞬間に、無機質な扉が勢いよく開いた。飛び込んできたのは、『犯人が現行犯逮捕された』という知らせだった。
『だって、弱っこそうな人間ほど殺してみたくなるじゃないですか』
捕まった犯人は動機についてそう述べたらしい。僕が通報をしてから丸一日が経っていたのだと、刑事が教えてくれた情報で初めて知ることができた。犯人は現場から一駅しか離れていない場所で、同じように小学生の女児を襲っているところを逮捕されたそうだ。
僕は釈放された。隙間から入り込んだ朝の冷気を微かに感じながら、震える携帯の画面を確かめると、僕について憶測を立てているネットニュースの通知が目に飛び込んできた。
『犯罪を言い当てた謎の男』『悪質な冷やかしか 被害者遺族から怒りの声』『予言はなぜ事件を防げなかったのか』
捕まった犯人に対して非難を向けた見出しは一つも見当たらなかった。マスコミは皆、僕の通報の特異性に飛びついて、もはや犯人が誰であっても構わないといった様子だった。警察署の出口が近づく。透明な自動ドアの向こうから、大小さまざまなレンズが僕を待ち構えていた。建物から一歩外に出た瞬間に、それらは僕に向かって飛びつき、有象無象の糾弾を浴びせた。「僕はただ視えてしまっただけなんです」、「こんなこと望んでなんかいなかったんです」、「僕は犯人ではありません」、誰に対してでもなく、僕は宙に向かって弁明を続けながら人垣を押しのけようとした。
突然、それは再びやって来た。僕はアスファルトにしゃがみこみ、明滅する景色のフラッシュを必死に耐えた。
カメラマンの背後から近寄り、包丁で首のあたりをめった刺しにする。視点が変わる。拳銃でリポーターの頭を撃ち抜く。暗転する。トラックのアクセルを思い切り踏み込み、僕のいる黒山の人だかりに突っ込む。
意識が戻った。人体を跳ね飛ばしながらやってきた2トンの鉄塊が、僕の身体にめり込み、骨と内臓を砕く。僕は致命傷に深い安堵を覚えながら、深い闇の淵を転げ落ちた。
了
総文字数 1,996文字
#第二回すべて失われる者たち文芸賞
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