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なぜ新和版赤箱「D&D」は初年度10万本も売れたのか

このシリーズもあと1、2回で終わりにしますが、本当に言いたいのはこの章です。そして長いです。なお、この論述は後年からの視点で書いており反論は甘んじて受けますが、同時代的な感覚より客観性が大事だと思っています。


日本語版D&D発売前後

日本語版赤箱「D&D」の大ヒット

安田均氏によると、株式会社新和が1985年6月に発売した「Dungeons & Dragons ベーシックルールセット」(赤箱)は、発売後1年で10万セットを販売する大ヒットを記録した。これは、それまでに日本で発売されたシミュレーションゲームを、商品単位では圧倒的に凌駕する売上であり、前年に「トラベラー」(GDW/ホビージャパン)や「ローズトゥロード」(ツクダ)などが販売されていたものの、TRPGというゲームジャンルはこれでようやく国内に定着したといえるだろう。

従来この大ヒットは、直前のゲームブックのヒットやファンタジーブームによるものだとか、ウォーゲーマーが大挙してTRPGに移行したからだと言われていたが、本当にそうなのだろうか?

なお、日本で最も売れたウォーゲームはバンダイの「連合艦隊」だと言われているが、正確な数字は分からないもの数万セットがいいところだと思われる。一部のサイトでミリオンセラーだとか100万本という記載があるが、パンツァーブリッツが全世界で30万本と言われているなかまずありえない数字である。

日本で最初のTRPGブームは、PCゲーマーから始まった

今回は、結論を先に書きたい。この長い連載で言いたかったことである。

日本での、1985年の日本語版「D&D」の大ヒットは、既にRPGがジャンルとして定着していたPCゲーマからの流入によるものだった。

こう書くと、また昔からのTRPG方面の方々からお叱りを受けるかも知れない。曰く、自分たちの周囲では、日本語版D&Dが発売される何年も前から英語版のTRPGをプレイしていた、コンピュータRPGのブームはTRPGがあってこそだ、などなど……

何度もいうが、21世紀の視点で当時の記事や広告を客観視すればするほど、その認識はごく一部のイノベンターの方々の間でだけの認識であり、1984年以前において、国内でのTRPGに対する認知はコンピュータRPGより大きく出遅れていた。それを再構築したい。

1980年から84年までのミッシングリング

新和版D&Dの発売とその後の展開

新和版の赤箱「D&D」が発売されたのち、特に1986年以後の普及や展開は、多くの良質でまとまった記事があるのでそちらに任せたい(下記リンク参照)。ロードス島リプレイを始めとした先人たちの努力により多くのプレイヤーをこのホビーに引き込んだことで、D&Dのみならず国内TRPGは大いに発展した。

だが、以下の記事をよく見ていただくと奇妙なことに気付く。1980年以前の先駆者たちの事は書かれている。そして1985年まで話が飛ぶ。あたかも、80年代初頭のプレイヤーたちがそのまま拡大していき、最初のブームに繋がったように読める。本当にそうなのだろうか?

謎の会社・株式会社新和

そもそも、D&Dを日本語化した株式会社新和という会社は、どのような会社だったのだろうか?そのことに疑問を持ち、または調査した情報は、現在全く確認することが出来ない。新和の関係者の情報も、大貫昌幸氏らD&D出版以後に関わった方のみで、それ以前についてはほとんど情報がない。

あのWikipediaでもそうである。設立時期は記載されておらずTSRとの契約破綻後の1993年頃に倒産もしくは他社と合併されたと記載があるだけで、沿革も何もかもが不明である。ここに記載された「それ以前から海外のウォー・シミュレーションゲームの輸入を手がけていた」という記載すら怪しい(88年頃にTSRの"The Hunt for Red October"などの輸入を行っていたのは確かなようだが、85年以前に同社が行ったウォーゲーム輸入などあったのだろうか?)。現在同社について、直接的な情報からは概要すら掴むことが出来ないのが現状なのである。

なお新和は、1987年頃に米Talicor社が出版した”The Ungame”及び”Anti-Monopoly”(パッケージはこうなっているが中身は改良後のII版)に、簡易な日本語マニュアルを添付し輸入販売していたことを確認している。また、広告によると米国製のメタルフィギュアも輸入していたようであるが、いずれもD&D発売後である。

TSR社のアーカイブに掲載されていた新和のパンフレット
1987年と記載があったが写真に掲載されているのは英語版のみである

「D&D&上陸から2年」とは?

非常に限られた情報から類推する。

もし新和が、前世紀に解散した中小の(玩具専門)輸入代理店だとすれば、小売として表に出ることはないので、現在その情報がほとんど知られていないのはある意味仕方がない(ホビージャパンや木屋通商は例外である)。

新和が日本語版D&Dの発売直前(85年)に出した広告に「D&D上陸から2年」と書かれたものがある(下記参照)。これは英語版のことと思われるが明らかにおかしい。なぜなら、1970年代末には、都内の模型店(モデルエースやえんどう等)では並行輸入品とおもわれるパッケージが既に販売されていたからである。

ここで新和が言いたかったのは、TSRの許可を得て正規に輸入を開始したのが2年前(1983年)だという意味だろう。ちょうど米国でメンツァー版(米国第4版)に切り替わった時期であり、これ以後日本への輸入は新和が総代理店となった。つまり、それ以前のホルムズ版、モルドヴェイ版は各社が並行輸入していたが、1983年以後は国内販売は新和の独占となり、各ショップに卸売りする体制になったということである。

1983年以後、新和は英語版D&Dやそのサプリメント、フィギュア、ダイスなどの、ショップへの卸販売を開始し、流通網を作り上げていた。そして、1985年までに全国に50店舗以上の、TSRプロショップと呼ばれる店舗網を構築していたことが広告から伺える(なお、上記TSRプロショップはD&D日本語版発売後はD&Dダンジョンプロショップと改名)

左から、旧シミュレイター13号(84年11月)、タクテクス24号(85年11月)、新シミュレイター4号(86年3月)の、株式会社新和の広告。ショップリストのみを記載した非常に地味な広告であるが、店舗数の飛躍的な増加が見て取れる。なお、中央のタクテクスの広告に「D&D上陸から2年」とあり、同時期のシミュレイターの広告にも同様の記載がある。

なぜホビージャパンはD&Dの販売権を取ら(れ)なかったのか?

ホビージャパンは、1982年初頭のSPIの経営破綻とTSRへの版権移譲のせいで、1982年にはTSRと何らかのコネクションを持っていたはずである(でなければSPI版権のウォーゲームをローカライズ販売することができない)。さらに、RPGの将来性についていち早く気付いていたのもホビージャパンだった。にもかかわらず、どうしてやすやすと、ずっと弱小の輸入代理店である新和に販売権を取られたのだろうか?

何の証言も記録もないため類推でしかないが、営利企業であるホビージャパンがD&Dの販売権についてTSRと交渉しなかったとは考えづらい。結論として新和に勝てなかったのは、単にタイミングなのか、TSR側の出す条件が厳しすぎたのか。いずれにしろ、そのあとのタクテクス誌上におけるD&Dに対する扱いの少なさを考えると、なんらかのわだかまりがあったと考えるのは、単なる邪推ではないだろう。

実際、タクテクス誌上においてD&Dに触れたのは、82年4月の第3号における網羅的な記事のあとは、3年後の85年8月(23号)の内外ゲームガイドでの簡単なレビュー、翌24号(85年10月)のややまとまった紹介記事のみで、それ以外は全く無視を決め込んでいる(24号の記事は、広告掲載のバーター記事のように内容が薄い)。これはほぼ毎号にわたり何らかの記事が掲載されていた新シミュレイター誌との明確な差となっている。このホビージャパン社の対応は、版権が取れなかった趣意返しのように思えるのは私の単なる妄想だろうか?(雑誌の部数のみを考えるならヒット作=D&Dの特集掲載を避ける理由はないはずだが……)

タクテクス24号に掲載されたD&Dの紹介記事…のように見えて実際はファンタジーTRPG全般を紹介した記事。同号のローズトゥロードの記事のほうがゲーム解説としては濃度が高い。

日本語版D&Dのメディア展開

D&Dのゲーム雑誌への掲載

上記の通り、明らかにD&Dを取り上げるのに消極的であったタクテクス誌とは異なり、比較的中立的なシミュレイター誌では積極的に記事が連載された。特に新シミュレイター1号(85年6月)からは「ダンジョンマスターへの近道」というコラムが連載され、その他RPGの特集でも必ず言及されるなど、その売り上げに応じた扱いがなされていた。

不幸なのは、その当時シミュレイター誌が新旧切り替えの時期であり、発行が不安定となっていた点である(旧シミュレイター誌の最終号は85年3月の発刊だがこの号にRPGの記載はない)。そのため、最も重要な直前の時期に、雑誌記事や特集が組まれないという状況となっていた。もちろん、オペレーション誌、ホビージャパン本誌にも記載はなかったし、新和がみずからサポート誌を発刊するのは86年以後のことである。

PCゲーム雑誌での間接的な言及

初期の国内のPCゲーム雑誌において、コンピュータRPGを語られる際にその元祖としてTRPG(ほぼD&Dに終始するが)が紹介されるケースが多かったことは、以前の記事で触れた通りである。だが、1984年に至り、国内PCで動作するRPGが激増し一気に人気ジャンルとなると、TRPGはログイン誌の「安田均のアメリカゲーム事情」などで散発的に取り上げられる以外は、コンプティーク誌が86年に「クロちゃんのRPG講座」「ロードス島リプレイ」を始めるまで、ほぼなりを潜めることとなる。そのような記事を出さなくとも、国産RPGは既にこの時、完全に人気ジャンルとして定着し、毎回の売上トップにランクインし続け、各社が次々と新作をリリースし続けていたからである。

例えば、D&D発売直後の85年8月号(7月発刊)のログイン誌においてコンピュータRPGに言及された記事または広告は、実に16作品にも及ぶ。(この号はRPGの特集号ではない。また、巻末プログラムリストうち2作もRPGであり、それ以外に複数の海外製RPGの情報や広告が見られる)

ログイン85年9月号に掲載されたライブRPG「ジャンケンズ&ドラゴンズ」の記事。
記載はないが明らかに直前に発売された日本語版D&Dをパロディにしており、読者がD&Dの存在をを「知っている」前提で書かれた記事である。

メディア展開なく大ヒットした日本語版D&D

その他の雑誌や新聞でも、D&D日本語版発売を取り上げた記事や一般紙の広告は発見できなかった。ということは、安田均氏のいう通り初年度1年間で10万本を売り上げたのなら、ほぼ店頭露出と口コミだけで売れたのかも知れない。ちなみにコンプティーク誌のロードス島リプレイは86年9月号からなので、10万本を売り上げたのちに発生した企画である。

確かに、インターネットのない時代、販売店の店頭と口コミは重要な販促手段であった。特に玩具においては、たとえば同時代の「ルービックキューブ」は、百貨店などで店頭デモ(2分で何面揃えられるかチャレンジなど)を積極的に展開しそれがメディアに取り上げられたことで、社会現象となるような大ヒットとなった。「たまごっち」なども同様である。

新和も、前述の通り全国にプロショップを組織し、ホビージャパンのようなユーザー会員を募り、ゲーム会を開催するなどの活動を行った。だが、決定的にルービックキューブやたまごっちと異なるのは、TRPGはパッケージを見ただけでは何をするものなのかを全く想像できない点である。お分かりの通り、マニュアルとサイコロだけで構成されたTRPGは、店頭では決定的に劣位に立たされてしまう。ヘックスボードと師団名の書かれたユニットがあるウォーゲームのほうが、初見のインパクトで言えばはるかにマシである。最初期の日本のTRPGがキャラクターゲームの衣を被っていたのは、まさにその点を払拭するためのものだったろう。

即ち、D&D日本語版を、85年6月に最初に手に取ったユーザーは明らかに
 それ以前からTRPG存在を知っていた
ユーザーだということである。

ゲームブック流行の影響

1985年の熱狂

ゲームブックの日本普及の立役者となった、有名な「火吹山の魔法使い」は、1984年12月に発売された。岡和田晃氏によると、発売後5か月で15万部、翌85年度中までに36万部が出版された。ゲームブックはその後大流行し、続編や類似のゲームブックも20万部を超える売れ行きを示したという。

このヒットの原因は、文庫本に書籍流通という配本体制の強みとそれによる口コミ、マスコミに取り上げられたこともあるが、、最も大きいのは当時480円という絶妙な価格設定にあったと思われる。岡和田氏も指摘のとおり、ファミコンゲーム(当時4,5千円)を好き放題買える子供(大人も)は少なく、またこの時期安価にソフトを購入できる中古市場も成熟していなかった(それ自身の是非はおいておく)。その中で、480円で本格的なアドベンチャーゲームが出来るということは画期的だったのだろう。

ゲームブックはTRPGへの橋渡しになったのか?

ゲームブックの、その後の発展やブームの終焉、影響については上記のリンクや、先日発刊された復刻版を見ていただいたきたいので、ここでは、日本語版D&Dへの影響についてのみを考察したい。

「火吹山」の初版本には、作家紀田順一郎氏の解説があるが、ゲームブックのルーツとしてD&DやTRPGについても若干は触れられているものの、海外動向の解説に読め、この文章だけで日本語版D&Dの売上訴求に繋がったのかは、かなり微妙だと思われる。

むしろ特徴的なのは、コンピュータRPGに対する詳細な記述であり、私の記事でも以前紹介した、教育用ミニコン上で動作したRPGについてにすら言及されている(これは恐らく、国内で最初の記述だろう)。これは、紀田氏自身がコンピュータRPGに造詣が深かった(と、先の岡和田氏の記事にはある)こともあるが、国内におけるTRPGとコンピュータRPGの受容の度合いを端的に表しているのではないだろうか?

社会思想社「火吹山の魔法使い」初版25刷。定価480円
作家紀田順一郎氏の筆になる解説は、ファンタジー文学の歴史からコンピュータRPGの歴史を通史的に列記し、その中でゲームブックというジャンルを位置付けている。当然TRPGについての記載もあるものの、残念ながらログイン誌の安田均氏のカラムを引用したのみであった(PCソフトの紹介のほうが多いぐらいである)。

ゲームブックを購入したユーザー層

ゲームブックに飛びついたユーザーには、日本語で遊べるTRPGを待ち望んでいたボードゲーマーや、新しいゲーム形態なら何でも試してみるイノベンターも当然ながらいただろう。しかしそれよりも、ファミコンゲームを何本も買えない層、雑誌等でコンピュータRPGを知りプレイしたいと思ったものの、金銭的な問題でPCを持てない層(ナイコン族などと当時呼ばれていた)のほうが多かったのではないだろうか。

結論で言うと、「火吹山」を購入したユーザーは(もともとその資質を持っていた)一部を除けば、すぐにD&Dにまで移行した者は少なかった。将来的なユーザーの基盤とはなっただろうが、同時代的には、同じように文庫版で(680円で)買えた、より本格的なT&Tソードワールドへ向かったのである。

日本語版赤箱D&Dを購入したのは誰か?

雑誌の部数から類推するユーザーポテンシャル

タクテクスの発行部数は、月刊化された1985年秋で2万部程度だったと推定されている。また、シミュレイターは新旧入れ替わりのタイミングもあり、当時1万部程度だったと思われる。両方購入しているユーザーもいるし、またすべてのユーザーが雑誌を購入しているわけではないにしろ、10万セットを販売したD&Dと比較すると明らかに少ない。また、先にも述べた通り、両誌とも発売前後のD&D(TRPG)の扱いは限定的だった。

PC雑誌はどうか?当時の三大ゲーム雑誌であったログイン、テクノポリス、コンプティークは、当時既に合計20万部を超えていたという。これは、シミュレーションゲーム雑誌の10倍の数である。さらに、この当時既に、年間20作品以上のコンピュータRPGが発売され、それらの記事が(特集でない月ですら)継続的に掲載されていたことは、既に述べた通りである。

即ち、ボードゲームユーザーと比較し、10倍のユーザーポテンシャルがPCユーザーにはあった。それも、RPGに対する強いモチベーションを持ったユーザーが、である。

ゲームブックからの流入・店頭プロモーション

ゲームブックが、TRPGの”将来的な”潜在ユーザーを発掘した可能性は高かったと思うが、当時「火吹山」を購入した30万人のユーザーが大挙して6月にD&Dを購入したのかは、非常に疑問である。これも先に述べたが、ゲームブックの購買層は、ゲームはしたいがソフトに5千円も出せないから、又はコンピュータRPGをしたいが高価なPCを購入できないからという理由のユーザーが多かっただろう。当時4,800円だった赤箱を、彼らがこぞって購入したとは、残念ながら到底思えない。

新和が行った販売店の系列化とプロモーションはどうだろうか?これも先に述べた通り貢献は限定的だっただろう。結局のところ、あの赤箱のパッケージで、TRPGの基本的な知識がないユーザーが、初見で購入するのは相当敷居が高かったものと思われる。

それでも、D&Dは初年度10万本売れたのである。

まとめ・国内最初のTRPGコミュニティはPCユーザーにより形成された

最初の日本語版D&Dを購入し、最初のTRPGコミュニティを形成したメインのユーザー群はPCユーザーだった。

彼らは、1983年にはRPGの存在を明確に認識し、黎明期の国産PCゲームをプレイした人々である。彼らは自分たちがプレイしているゲームのご先祖が、日本ではまだほとんど知られていないないテーブルトークRPGというものであり、その元祖がD&Dであることを知識として知っていた。だから、その日本語版が発売された時、それを大挙して買い求めたのである。

無論、70年代末から、英語版のTRPGをプレイしていたイノベンターの方々を無視するわけではない。現在まで名を残すその人々は、ゲームのデザイナーや翻訳、執筆家として、作り手側として貢献されてきた。だが彼らも、日本で最初にRPGの存在に気付いたボードウォーゲームコミュニティの人々も、TRPGユーザーのマジョリティになることはなかった。それは、日本にはコンピュータRPGとTRPGが、1982年に同時に上陸し、コンピュータRPGのほうが一足早くジャンルとして定着したからである。そして、PCゲームユーザーはボードゲームユーザーより圧倒的に多かったからである。

新シミュレイター誌1号で同誌元編集長の深見耕一氏がこんなことを言っている。日本語版D&D発売前後でこんなユーザーが増えたという話である。

(前略)つまり、報酬としてのスキル強化ですね。レベルを早く上げたいために、ひどい人になると毎週やってて、あるキャラクターを二十何レベルまであげちゃう(中略)あとは、マジックアイテムをどのぐらい手に入れるのかという競争です。

新シミュレイター 1号 P15 特集対談ロールプレイイングゲーム

深見氏はこれを、ボード(ウォー)ゲームから入った人たちの特性だと語っているが、明らかに認識相違である。このプレイスタイルはどうみても、コンピュータRPGのものである。それも、PCの制約上TRPGの要素の一部しか取り入れることができなかった、”Wizardry”や国産RPGのそれである。同時代の人も気付かないうち、コンピュータRPGユーザーが流入していた証左ではないだろうか?


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