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あれはピアノなんかじゃなかった|水曜日の罵声と暴力

強制された母のやりたかったピアノ

幼稚園の頃から、
私はピアノを習っていました。
母がやりたかったピアノを、
私がやらされていた、
というのが正しいかもしれません。
ピアノ自体は嫌いではなかったけれど、
ヒステリックで理不尽なその先生は、
まるで母そのもので、
心底大嫌いな先生でした。

怒られないように生きる

母は気分次第で怒鳴りつけてくるので、
幼い頃から「怒られないように生きる」ことが習慣になっていました。
宿題は忘れず、ピアノの練習も完璧にこなしていたはずだった…。

けれど、個人レッスンの防音室では、
小窓から母が覗きこみ、
先生と密室で向き合うその空間で、
私は緊張のあまり頭が真っ白になり、
そして弾けなくなるのです。

弾けない恐怖

すると先生は、

「バンッ」

激しくピアノの蓋を閉める。
すかさず私は手を引き、
ピアノの前から遠ざける。
奇跡的に手は挟まったことはないですが、
心臓が潰れそうなほどの恐怖が
全身を駆け抜けて、
動悸が止まらなくなるのです。

「何で練習して来ないの! 」
「できるまでここで練習してろ!」

そう怒鳴って、防音室を出ていきました。

私は感情を押し殺して、淡々と弾き続ける。
鬼たちの視線がなくなると、
不思議とちゃんと弾ける。
けれど、次にくる地獄は
もう分かっているのです。
覚悟は決まっています。

帰宅後の制裁

母は先生から「恥をかかされた」と怒り狂い、
帰宅後に罵声と暴力を浴びせてくる。
これは毎週水曜日の恒例でした。

叩かれ、髪をむしられ、引きずり回され、
洋服がボロボロになっても、
私は叫ばなかった。
いや、叫べなかったのです。

以前、痛くて苦しくて止めてほしくて、
泣き叫んだ時に、

「うるさい!」

と、口いっぱいに布巾を詰められ、
顎が外れるかと思った。
息ができなくて死ぬかと思った。

「泣かなければ早く終わる」と学び、
私は無言で痛みに耐える術を身につけたのです。

音楽なんかじゃなかった

そして、容姿もメンタルもボロボロの状態で、
ピアノの練習をさせられる。
これは音楽じゃなくただの訓練で、
心を麻痺させるための、拷問の延長でした。

それでも弾けるようになったおかげで、
その後、学校の音楽会では
ピアノ伴奏をするようになるのです。
目立つのが苦手な私が、全校の前でピアノを弾くことに。
立候補などしたことはない私が。

でも、それをしなければどうなるか、
私は知っているのです。

「なんのためにピアノを習わせてると思ってるんだ! 」
「いくらかかってると思ってるんだ!」

その声が、今でも頭の中で響いてくる。

自分を縛っていたもの

小学生になると、母の「不機嫌スイッチ」が、
だんだん分かるようになります。
今でも、感情の起伏が激しい人の空気を過剰に読んでしまう。
先回りして気を遣い、自分が消耗していくのです。
これが、のちに発症する社会不安障害のはじまりだったのかもしれません。

同じような環境で育った人たちも、
私と同じような癖を引きずっているのかもしれない。
私は、もうそんな癖を、
自分を守るために必要だった あの頃の生き方を、
noteに綴ることで、過去と一緒に少しずつ手放していきたいと思っています。

それが簡単ではないことも、
ずっと心に残る痛みも、私は知っています。
でも、もしあなたも少しだけでも、
あの頃の自分を、今のあなたが救ってあげたいと思うなら、過去を言葉にして、
一緒に心から自由になっていきませんか?

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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