【HAMON】 カルテ01-No.14 「AI少女」|連載小説|心理サスペンス|ラノベ|ライトノベル
御堂先生のラボに潜入してから、一月が経とうとしていた。
その日、私は母に会うため空港へ向かった。
何でもない一日だった。
ただ、あとから振り返ると、
あの日の出来事が、静かな波紋の始まりだったのだと思う。
午前10:00
滅多に帰国しない母に会うため、空港へ向かった。
大きなガラス張りのロビーには、スーツケースを引く音が響いている。
行き交う人の流れの中で、私は母の姿を探した。
商談を終えたら、すぐにまた海外へ行くらしい。
海外留学を断ったとき、電話越しでも分かるほど怒っていた母だった。
けれど、私の顔を見ると――
少しの沈黙のあと、泣きながら抱きしめてくれた。
「お帰り」

そう言ったのは母だった。
本当は、私が言うはずの言葉なのに。
空港のカフェでほんの少しだけお茶をして、
くだらない昔話をいくつか交わす。
そして私たちは別れた。

12:00
神崎さんの迎えの車で、御堂先生の研究施設へ向かう。

車の窓から流れる街並みをぼんやり眺めていると、
神崎さんが気を遣うように話しかけてきた。
以前お会いしたときのような威圧感はない。
むしろ、私を気遣ってくれているのが分かる。
内容はどうでもいい世間話ばかりだったけれど、
その優しさが少し嬉しかった。
13:00
研究施設へ到着。
今日は研究所の奥、普段はあまり使われていない小さな部屋へ案内された。
御堂先生の“秘密基地”らしい。
壁一面に本棚が並び、古い本がぎっしり詰め込まれている。
まるで子供の頃に憧れた、秘密の書斎のような場所だった。
先生は本棚から一冊の本を取り出すと、
「これを君に」と言って私に渡してくれた。

なぜ本なのかは分からなかったけれど、
ご厚意に甘えて、家に帰ってから読むことにした。
そのときの先生の顔が、なぜか印象に残っている。
どこか寂しそうで――
けれど同時に、安心したようにも見えた。
まるで長い仕事を終えた人のような顔だった。
研究施設を出ようとした、そのときだった。

突然、眼鏡をかけた白衣姿の女性が、私の手をぐいっと掴んだ。
「ひょっとして澪ちゃん!?
わぁ、会いたかったー!」
勢いに押されて、私は言葉を失う。
すると御堂先生が慌てて間に入り、
その場はどうにか収まった。
彼女の名前は 朝比奈京子さん。
御堂先生の親戚で、元助手だった人らしい。
AI研究を巡って喧嘩になり、それ以来別々の道を歩んでいるのだという。
今では自分でラボを立ち上げ、独自の研究を続けているそうだ。
帰り際、御堂先生はふっと微笑んで言った。
「澪。もし私に何かあったら、京子と神崎君を頼りなさい。
……必ず、ね」
その笑顔は、どこか今生の別れのように見えた。
私は神崎さんと朝比奈さんの連絡先を交換して、ラボをあとにした。
――あとから思えば、
先生と会ったのはこれが最後だった。
このときの私は、まだそれを知らない。
16:00
相馬先生の事務所に到着。

先生はいつも通りの笑顔で、
コーヒーを淹れながら話をしてくれる。
カップから立ち上る香りが、部屋にゆっくり広がっていく。
私が嬉しそうにしていると、先生は少し笑って言った。
「ずいぶん笑顔が増えたね」
後ろでは朝倉さんがパソコンを叩いている。
その視線が少し気になった。
けれど、それ以上に相馬先生の安心感の方が大きかった。
「あれからどう?
相変わらず、人の心が読めるの?」
「はい。ですが……」
私は少し言葉を探してから答えた。
「以前より、相手の感情が分かるようになりました。
情が入る余地ができたというか……安心感があります。
前は、知ってしまう怖さの方が強かったので」
相馬先生はゆっくり頷いた。
「記憶を取り戻したことが、いい方向に作用しているようだね。
消えてしまいそうな衝動は?」
「はい。それは……おかげさまで無くなりました」
「そうか。
それなら、このカウンセリングももう終わりかな」
私は少し迷ってから言った。
「ひとつだけお願いがあります。
先生、聞いてくれますか?」
相馬先生は一瞬驚いた顔をしたが、
すぐに優しく笑った。
「もちろん」
「私を、先生のもとでインターンとして働かせてください。
大学を卒業したら、
先生のように心に悩む人たちの力になりたいんです」
私の言葉に、相馬先生は少し驚いた。
そして後ろで作業していた朝倉さんも、手を止めた。
「うちでよければ、ぜひ」
その一言で、胸の奥が温かくなった。
帰りは相馬先生の車で、自宅まで送ってもらった。
今日一日で、たくさんの人の優しさに触れた気がする。
車を降りるとき、先生がふと言った。
「そのカチューシャ、とても似合っているね」
「はい。お気に入りです。
素敵なプレゼントをありがとうございました」
私はこの人の優しい笑顔が好きだ。
相馬先生はアパートの前で私を降ろすと、
静かに車を走らせていった。
部屋に戻り、気になっていた本を開く。
そのときだった。
――コトン。

小さな金属音が机の上に落ちた。
足元を見ると、
指先ほどの マイクロチップ が転がっていた。
本の中には、急いで書いたようなメモが挟まっている。
―澪へ
もし私に何かあったら、
このチップを京子のもとへ持っていきなさい。
このファイルは、それまで決して他人に見せてはいけない。
必ず安全な場所で保管すること。
御堂先生……
このときの私はまだ知らなかった。
この小さなチップが、
私自身を大きく変えることになるなんて。
―鷹宮心理相談事務所

「結局、水無瀬さんは相馬さんのところへ行かれるようです。
先生の言われた通りになりましたね」
「御堂のところの“いわくつき”の少女だ。
コウのやつは災難だが……
彼女にとっては、それが一番よかったのかもしれんな」
「それにしても、あの博士は本当に善人だったのでしょうか。
私には、どちらの顔が本物なのか分かりません」
「御堂はたぶん……あれだ。
宇宙時人格……だっけか?」
「二重人格です。
先生、冗談の切れ味だけは悪いですね」
「やかましいわ」
鷹宮は少し考えるようにして言った。
「博士というペルソナと、医者というペルソナ。
それを交互に被っているうちに、
自分の素顔が何だったのか
分からなくなったのかもしれんな。
……ジキルとハイドみたいにな」
「ならば最後はハイドになるのでしょうか」
「そこまでは分からん。
だが政府の落とした“黒い影”に飲み込まれた
被害者なのかもしれない。
彼も――
そしてその影に足を突っ込んじまった俺たちも」
「先生、道連れはやめてください」
「つれないなぁ」
かくして、AI少女 水無瀬澪 の加入によって、
この先の水面心理相談室は大きな渦へと巻き込まれていく。
波紋は、静かに広がり続けていた。
カルテ1 ― AI少女 完
カルテ2へ続く
NEXT▼
バックナンバーはこちらから▼

