クリエイティブサポートツール(CST)を研究開発する難しさについて(研究, ビジネス, etc.)

本稿は、HCIアドベントカレンダー(12/5分)となります。
去年、アドベントカレンダーにこの手の内容を書こうと思って登録したのですが、時期を逸してしまいました。今回はそれをリブートして、今年分として投稿しております(去年はすみません)。


自己紹介

まずは自分のこれまで(経歴等)について簡単に整理しておかないと、どんな人間がどのエリアについて話をしているのかわからなくなると思うので、まとめました。

本稿ではあくまで、クリエイティブサポートツール(CST)に関して話したいので、それを語る人間の背景・前日譚は別物として切り分けてあります。おそらく読んでいただいたほうが、話は入ってきやすいかと思いますが、読むかどうかについてはお任せいたします。

注釈:本稿におけるCSTの対象エリア

CSTと一口に言っても、非常に幅の広い領域なので、そこは気をつけないといけないなとは思っています。ただ、論文等じっくり確認する時間がないので、申し訳ないですが、ざっくりとだけ。

いわゆるデザインタスク系をイメージしながら「CST」と僕は言ってます。
写真・映像もそうですが、そうしたグラフィカルなアウトプットが要求されるものとかその類がイメージしやすいエリアのことです。LLMを使って文章執筆とか、映像編集とか、その辺も自分が普段よくみる論文エリアです。
こうしたタスクのためのツール・ソフト開発。CHI・UIST・IUI(たまにSIGGRAPH)でよく見かけますよね。

なので、『創造性』という言葉に厳になって考えるCST系論文や、認知科学系の文脈から考えるCST論文のことは一旦対象外としてください。
一応この辺とかも読んでますが、最近ろくに論文は読めてないのでお手柔らかに…
Mapping the Landscape of Creativity Support Tools in HCI

研究とビジネスの狭間で

さて、ここからようやく本題に入っていきます。
「研究とビジネスの狭間で」と題しました。それは、CSTはビジネス・実社会と切っても切り離せない題材だと思うからです。HCI研究の中でも特にCSTはその色が強いと思っています。なので、まずはそこから話していきたいと思います。

プロ・専門家を対象にするということ

CST研究では、少なくない数の論文で、ツールの対象をプロ・専門家に設定します。まぁ、ドメインに対して真摯に向き合っていけば割とよくそういう帰結にはなると思います。「実際にそのツールが当該タスクに対して役に立つの?」などを考えていくと、タスクに専従している人たちのことを考えることになりますしね。
そして、論文としては、プロ・専門家と初心者の両方にUser Studyを実施して結果を得る、というのが通例になっていて、その中でユニークな意見が聞けたりすればいいよね、というのが一定合意されたもののように思われます。

ただ、ここでプロ・専門家を対象にするということに根本的な問題があると考えています。それは、「そのツール、本当に使われるの?使われる環境になるの?」ということです。

HCI・アカデミアによくある批判との符合について

HCIでは度々、それ本当に役に立つの?という種類の批判が勃発します。国内で代表的なのは、2019年の「HCIおもちゃ論争」ですね。それ以外でも、CHIを中心に度々自己批判的な論文が登場して議論も起こっています。
また、こうした「役に立つのか」批判はHCIに限らず、アカデミアでも度々起こっているものだと思います。

こうした批判に対して、アカデミア側の基本的な主張は、
「それがすぐに役に立つのかどうか、使われるかどうかだけで測るべきではない。アカデミアは集合知であり、集団として価値を出して、社会との繋がりの中で間接的なものも含めた貢献をすればよい。」
的なものかと思います。
これは理屈としてはわかりますし、基本的には同意できます。
ただ、プロ・専門家を対象とするCSTに対してその理屈を同じように適用するのは難しいのではないか、と感じるのです。

誰が実社会・実ビジネスの中でCSTを作り、売るのか(それは成立するのか)

CSTを大別して、それぞれについて考えてみましょう。

<Adobeの画像・映像ソフトのような、既に普及した汎用タスクに対するCST>
画像編集や映像編集など、既に広く行われている汎用的なタスクに関して、特定の目的を持ったCSTのプロトタイプを作る研究、というのはよくあります。こうした既に確立されたタスクやソフトがある領域においては、作られたプロトタイプが実社会に反映されるかどうかは、多くの場合、既存の大手ソフトウェアに導入されるかどうかに依存する、という結末を迎えます。
Adobeが自分たちで研究して、それをソフトに載せるかどうか自分たちで考える、というのは健全だと思いますが、それ以外はどうでしょうか。間接的に貢献している、と言われたらまあそうか、という感じもしますが、やや無責任だとも思います(役に立つというなら実際に役に立たせるところまで責任を持ってほしいと)。

<ニッチなタスクに特化したCST>
より問題なのはこちらです。特に、普及したソフトがない=ソフトで成立している市場がない場合、出口戦略がほぼ皆無になります。研究活動の中で、対象の人々から「役に立つ」という意見などを収集できたとして、実際誰がどうやってそのツールを将来的に提供するのでしょうか?
将来的に提供されないのだとしたら、その研究は一体どうやって社会に貢献するのでしょうか。

「既存のプロ・専門家は使ってくれない」

そうは言っても、いくらニッチでも、多少は売れるかもしれません。ただ、多くの場合、既存のプロ・専門家は使ってくれないでしょう。

そもそも既存のプロ・専門家、というのはどういう人たちでしょうか?
それは既にそのドメインにおいて、業を成せている(大なり小なり売上を立てられている)人たちのことを指す場合が多いと思います。
その場合、既に業を成すための方法論を彼らは身につけていることになります。果たしてその状況で彼らは、新しいツールをわざわざお金を払ってまで使ってくれるでしょうか?
よほど深刻な問題を抱えているならば、そうしてくれるかもしれませんが、多少便利になる・多少役に立つ程度なら、わざわざリスクを冒してまで乗り換えはしないでしょう。

既存のプロ・専門家が使ってくれない、となった場合、次に想定する利用者はアマチュア〜プロになったばかり、くらいの人たちになると思います。つまりまだ方法論を確立しきっていない人たちです。
この人たちであれば、得てして若い傾向にあることも手伝って、新しいツールへの抵抗感は少ないかもしれません。ただ、そんな彼らは現時点ではあまり稼げる存在ではありませんので、ツールを提供可能にしたとしても、大した売上にはならないことでしょう(開発者が食っていけるだけのものにはならない)。

「ツール単体で売るな、実ビジネスと抱き合わせでやれ(内製化しろ)」

そこで1つの解決策として、自分自身もよく言われてきたのが、内製ツールにするという手段です。つまり、自分たち自身が既存タスクのプロとなり、そのプロとしての活動をブーストするツールとしてCSTを作れ、という方法論です。

これは非常に的を得ていると思います。
自分自身の経験・実感値としても、これはとても良いやり方です。開発コストも低く済みますし(お客さんとしてのユーザーが利用可能な形にするための開発コストを払わなくていい=プロト的な開発状況のままで使える)、売上自体が立つかどうかも割とコントロール可能になってくるからです(ツールの市場性じゃなく、タスクの市場性になってくるから等)。

しかし、この方法で進めたとき、「研究」としてCSTを作り、論文を発表する研究サイクルに時間を割く暇はなくなっていきます。まぁそうであったとしても、ビジネスとして成立しているならそれはそれでいいと思います。
ただ気になるのは、研究領域に閉じて、CSTのプロトを作るサイクルを続けていく、というやり方は成立可能なのか?ということです。

CST開発を研究領域でやる意義を知りたい。
そして、CST開発を研究領域で持続的に行うことは可能なのか?

CSTの最終的な出口戦略において、

  • 普及したタスク系は、既存の大手ソフトに導入されるかどうかで決まる(自分でコントロール不可)

  • ニッチなタスク向けのCSTは、実ビジネスと自分たちで抱き合わせにしないと成立させるのがかなり困難

  • (ここまでで話せなかったが、想定ユーザーを抱える企業に対して、ある種DXツール的に納品する、というのも考えられる)

という事情があると思っているのですが、そうなった場合、作ったCSTが実際に役に立つかどうかはかなり市場側に依存していると思います。そして、研究だけやって公開しておけば、勝手に役に立つことになるほど甘い領域でもないと思います(そう簡単に食っていけるほどのビジネスとして成立しないから)。
そう考えると、ビジネス領域まで出てこないで研究領域に閉じてCSTを開発する意味を見出すのが難しいと感じるし、ましてや研究領域で持続的に開発を続けることは可能なのか?と思ってしまうわけです。

最後に

ここ数年、めちゃくちゃ悩んできたトピックなので、呪詛のように大量の(ネガティブな)言葉を連ねてしまいました。
「ツール単体で売らず、実ビジネスと抱き合わせで作る」
というのは1つの大きな解であり、実感としてもだいぶ良い方法論だと感じている一方、それは研究領域から離れた方法論であり、研究としてどうにか持続可能な形にできないのか、と思ったりもします。
また、自分の根っこに、「役に立つというなら実際に役に立たせて成立させてみろ」という、領域自体への反骨精神もありました。実際に自分でチャレンジしてみる形として、未踏ADプロジェクト〜会社創業、などもあったわけですが、「役に立って多少お金になったとしても、生活できるほど売れるかどうかは別」という現実にもぶつかりました。

このエリアの「研究」としての活動には見切りをつけるという結論でもいいのですが、もし自分が知らない希望があるなら、それを知りたいというのが、この記事の隠れた本音というところでしょうか。
もし何かヒントになるようなことがあれば、是非シェアしていただきたいです。

p.s.
当日一気に書いているので、あんまり文章がまとまっていないことは申し訳ないです。

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