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僕が日本製鉄釜石シーウェイブスを新天地に決めた理由〜出口がなかった道に見えた光〜

プロラグビー選手の山川力優です。

すでに発表があった通り、この夏、僕は日本製鉄釜石シーウェイブスに加入しました。

移籍が決まってから、いろんな人に聞かれました。

「なんで釜石なん?」

ディビジョン1の東芝ブレイブルーパス東京から、ディビジョン3に降格したばかりのチームへ。外から見たら、不思議な選択に見えるかもしれません。

でも僕の中では、これ以上ないくらい前向きな決断でした。今日はその理由を、包み隠さず書いてみようと思います。

ただ、この話をするには、僕がどれだけ落ちていたか、というところから始めないといけません。


出口が見えなかった日々

前回のnoteで、大学から東芝退団までの10年間を振り返りました。あそこには「後悔はない」と書きました。それは、本当です。

ただ、東芝での後半は、少しずつ気持ちが落ちていきました。

昨シーズンで言うと、プレシーズンの9月に怪我をして、1ヶ月半練習ができませんでした。復帰したのは10月末。その時点で、チームのセレクトはほとんど終わっていました。

その前のシーズンも怪我でほぼシーズンアウト。その前の年も、シーズン中に3ヶ月出られない大きな怪我。「今年こそ練習試合で見せないと、僕はダメや」。

そう思って、どうしたらいい結果に結びつく練習ができるのか、どういう体づくりをすればいいのか、自分なりに考え抜いて取り組んでいた矢先の怪我でした。

自分で考えて、動いて、やった結果が「試合に出られない」に結びついてしまう。悔しいし、もうどうしようもない。そこまで落ち込みました。

同級生たちが活躍していく中で、自分は試合に出られない。プロスポーツ選手の価値は、試合に出て結果を残すところにある。

結果を残さないと、価値なんてない。どれだけ行動を起こしても、試合に出られなければコーチには評価してもらえない。そして、選ぶのはコーチです。

メンバーはなかなか入れ替わらない。このままでは自分にチャンスは来ない。そう思いながら、それでも何かを変えようとひと頑張りしたところで、怪我をする。

頭の中は、全部否定的になっていました。「絶対試合に出られへんよな」「使ってもらえる気もせえへん」。

最後の方は、気持ちはほぼどん底でした。

イメージで言うなら、真っ暗な道を、ひたすら歩き続けている感じです。光が見えない。出口が見えない。そら、立ち止まりたくもなりますよね。

どん底でも、譲られへんかったもの

僕と同じような心境の選手も、周りにいました。

本当にしんどい。けど、試合に出るメンバーのために、チームが勝つために、下から支えなあかん。気持ちがどん底でも、プロとして仕事はちゃんとせなあかん。それも正直、しんどかった。

誤解してほしくないのは、東芝のコーチやトレーナー、支えてくださった方々には本当に感謝しているということです。

環境のせいにしたいわけでは全くありません。いいチームやと思っているからこそ、この気持ちの持っていき場所がなかった。

ただ、自分が怪我をしているこの状況だけは、どうしても変えられませんでした。

そんな中でも支えになったのが、以前のnoteにも書いた言葉、「今、目の前のことに全力を出す」です。そこだけは譲られへんな、と思っていました。

何か一つ、絶対に自分の誇りに持てることをやり続ける。僕にとって、それがスクラムでした。

クビを宣告されて、ホッとした

僕には家族がいます。ラグビーが仕事です。急にパッと首を切られたら、収入がなくなる。

そう考えたとき、「一回自分の中でケリをつけて、他のチームに出て、環境を変えるのもありなんちゃうか」と思いました。このままいても、たぶん試合には出られへん。

先のことを考えたとき、まず頭に浮かんだのが「移籍」という言葉でした。エージェントにも「今年は移籍しようと思ってます」と伝えました。

そして今年の4月、東芝から戦力外の通告を受けました。

クビを宣告されたら、どんな気持ちになるんやろう。実はプロになってからの6年間、ずっと考えていました。きっとすごくショックなんやろうな、と。

でも、実際に宣告を受けたとき、最初に来た感情は違いました。

ホッとしたんです。

自分でも意外でした。

でもたぶん、このチームで僕がやらないといけないこと、チームに貢献しないといけないことは、自分の中でやりきった。そう思えていたからやと思います。

「僕、釜石に行きたいかもしれへん」

そこから移籍活動が始まりましたが、簡単ではありませんでした。

「2年間試合に出ていない選手は、正直厳しい」という声も、いろいろいただきました。

釜石からオファーをもらったときも、実は最初は、全く行く気がありませんでした。距離も遠いし、家族もいる。一人やったら決断できたと思います。でも、家族を連れてそんな遠くに行って大丈夫かな、と。

それでも「一度ミーティングだけでも」と言っていただいて、総監督の坂下功正さんとZoomで1時間、話をしました。

その1時間で、気持ちが変わりました。

坂下さんは、僕のプレーをすごく見てくれていました。「山川が入ったら、チームはこう動く」「こういうふうに変わっていく」。現実味のある話をしてくれました。

ディビジョン3に下がったチームを、本気で強くしたいと思っている人が、そこにいたんです。

話を聞けば聞くほど、地域の皆さんに応援されて成り立っている、地域密着のチームだということも伝わってきました。

僕は一度だけ、練習試合で釜石に行ったことがあります。

練習試合にもかかわらず、スポンサーの方たちが旗を振って応援してくれていた。あの光景は、ずっと覚えていました。

ミーティングが終わる頃には、心の中でこう思っていました。

「僕、釜石に行きたいかもしれへん」

「私たちはどこでもついていくよ」

その足で、妻に相談しました。実はそれまで、何も話していませんでした。

「釜石からオファーをもらって、話を聞いてたら、行きたいと思ってる」

そう伝えたら、妻はこう言ってくれました。

「りきゅうがやりたいこと、行きたい場所に行ってくれていいから。私たちはどこでもついていくよ」

この4年間、一番近くで支えてくれたのは妻でした。

試合に出られない期間が長く続くと、どうしても顔や態度に出てしまう。そのたびに慰めてくれて、「とにかくポジティブになることが大事やで」と言い続けてくれました。

夜、不安に駆られてどうしようもないときも、隣には妻がいました。

「自分がポジティブになれることは、全部やった方がいいよ」と、本や講座への自己投資も後押ししてくれた。僕のマインドが上向き始めたのは、間違いなく妻のおかげです。

だから、答えはすぐに出ました。「ぜひ行かせてください」と。

人生で初めての、下からの挑戦

釜石に決めた理由は、大きく二つあります。

一つは、シンプルに、ディビジョン2に上がり、ディビジョン1に上がるという挑戦がしたかったこと。

ミーティングの後、去年の釜石の試合を見せてもらいました。

セットプレーで苦しんでいる試合が多くて、僕が力になれる場所がはっきり見えた。「ここに僕が入ったら」。いろんなことを考えていたら、本当にディビジョン2に上がれるな、と思えたんです。

どん底の中でも譲らずに磨き続けたスクラムを、釜石は評価してくれました。それが本当に嬉しかった。

評価してもらえて、「ぜひ」と言ってもらえたとき、このチームで強くなりたいという気持ちが、同時に湧き上がってきました。

考えてみたら、下から上に上がるチャレンジって、僕の人生で初めてなんです。天理高校も天理大学も、ほぼ上にいる状態からのスタートでした。

ドコモのときは下からのチャレンジやったけど、1年目で右も左もわからんかった。下から上に上がるとき、本当に大事なピースになるのは、29歳、30歳くらいの中堅やと僕は思っています。今の僕が、まさにそこにいる。

岩手に一つしかないチームが、上に行くべきや

そして、もう一つの理由です。

東京のチームがディビジョン1に上がっても、東京にはチームがいくらでもあります。ファンの数が劇的に増えるわけでもないし、結局、東京の中だけで楽しんで終わってしまう気がする。

前回のnoteに、「一人でも多くの人に影響を与えられる人間になりたい」と書きました。それを考えたとき、東京より、釜石やったんです。

新日鉄釜石の7連覇で「ラグビーのまち」と呼ばれ、2019年にはワールドカップの試合も行われた街です。その街に一つしかないチームが、もう一度あの舞台に上がったら、意味が全然違う。

そう考えたとき、「僕の大きな仕事が回ってきたな」って、本当に思ったんですよね。

うまくいけば、2年でディビジョン1。あのレベルの高い舞台に、釜石シーウェイブスが立っている。そこに上げていった第一人者になれたら。それは自分の人生の中で、すごく誇りに思えることなんじゃないか。

家族にもいい姿を見せられるし、いろんな人に応援してもらえる。プロスポーツ選手の価値って、そういうところにあるんちゃうかな、と。

だから、誰に何を言われようと、俺は釜石に行きたい。そう思って決めました。

光が見えた

釜石に来て、まだ3〜4週間。チームの練習に合流して、2週間ほどです。

結論から言うと、めっちゃ楽しいです。

伸び伸びプレーできる。ラグビーが楽しいと、心から思える。家族にも、いい笑顔で接することができる。

街も、すごくいい。

体が大きいので、お店に行くと「シーウェイブスの選手ですか?」って、めちゃくちゃ声をかけられます。声のかけられ方が、半端じゃない(笑)。

スポンサーのご飯屋さんに行っても、ビジネスの感じが全く見えない、心からの温かさがある。魚がおいしいので、魚好きの妻も喜んでいます。

真っ暗な道をずっと歩き続けていた僕に、やっと光が見えました。

ここからは、その光の方に向かって走るだけです。

釜石シーウェイブスを、ディビジョン2へ、そしてディビジョン1へ。岩手から一緒に上がっていくところを、ぜひ見ていてください。

応援よろしくお願いします。

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