父の身辺雑記 垣間見えた戦中戦後の日本~③ 暗く沈む春の祝日
本郷界隈、下宿界隈
昭和18年4月29日
(天長節の)式後時間が中途半端なので、真っ直ぐ帰る気もせず、さりとて行く所もなく、ぶらぶらと(下宿に)戻って来たのであるが、刑訴をやってみると案外捗って、予定より早く一応終わり時間に暇が出来たので、再び本郷へ出て少し散歩してみた。二三の古本屋と少数の屋台店の他は何処も真っ暗であった。人通りなども実に寥々としていて、あゝ我らがハイデルベルクも衰えたる哉と、泣きたくなる程の感傷を覚えた。

市電に乗れば、ぷんと酒臭い臭いが鼻をついた。一人の酔っ払いがこの時節に何処で飲んで来たのか、真っ赤な顔を苦しそうに揺らせていた。余った時間を何とかして慰めたいと思っていたのだが、未だ八時半と言うのに、大塚から下宿まで何処の店も閉まっていて、本を買うどころかコーヒー一杯すすることも出来なかった。
途中ある家では、家族が食卓を囲んでラヂオを聞きながら、遅い夕食を認(ママ)めて居た。其処にだけ明るい電灯の光が漏れて居た。
鬱々として下宿へ辿り着けば、慰めて呉れる者もなく、何時もと変わらぬ古机と書物とが何の容赦もなく、強迫を試みてきた。
――娯楽無き下宿生活、蓋し大学時代の一断片であろうか。
*(天長節の)を除くカッコ内は筆者 yama yama


🖊マイノート
昭和18年は終戦2年前の年です。戦局はさらに悪化、それを知ってか知らずか、街の暗い様子が伝わってきます。天皇誕生日を当時は天長節と呼びました。「我らがハイデルベルク」は本郷周辺を、学問の街として世界的な有名なドイツ・ハイデルベルクになぞらえたものと思われます。
*ヘッダー写真はイメージです。私撮影の写真を加工しました。
(続く)
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