父の身辺雑記 垣間見えた戦中戦後の日本~④ 騒然たる世相 破局への暴進 餓死の恐怖 預金封鎖
インフレ 生活苦
昭和21年1月21日
俸給日。今月から戦時勤勉手当がなくなった。つまり、それだけ手取りが減ったわけ。何処も彼処も、賃金3倍引き上げ要求の声喧しき折から、何という事ぞ。俸給袋を前に、些か涙を催しつつ、しかしまだ武士は喰わねどの気位いを失いたくない思いもある。
*父は前年に内務省に入省しています。
昭和21年1月22日
家より来信あり。今月からはとうとう利子だけではやって行けず、元金に手を着けるに至ったこと。こちらも、どんなに倹約しても、月200円は掛かり、150円の赤字を如何にすべきか。
*昭和16年に会社経営をしていた父親が急死しています。

事は行く所まで行く他ない
昭和21年1月26日
益々高騰する物価、逼迫の一途を辿る食糧、騒然たる世情。これを救うべく期待を寄せかけた左翼政党も、結局は、人気取りの無責任な発言に過ぎないことを暴露した。言うところは、やはり自由党あたりが平凡だが穏当なようだ。頼むべからざるものを頼むのは危険だが、要するに、事は行く所まで行く他ない。これが対策も平凡なものに他ならぬ。問題は、平凡な手を速やかに確実に打つか否かにある。それさえ望めなければ、自から保身策を講ずる他ない。日本にも日本人にも愛想が尽きかけた。
餓死への恐怖
昭和21年1月29日
保科さん(下宿先)は、生活難から信州へ引き揚げようかという相談をしているのを耳に挿んだが、そうなれば、又々行く所に窮すべく、もし主食の配給がストップすれば、忽(たちま)ち餓死者の数に入らざるを保ちがたい。然も破局への暴進は、終に処置なしの状態にあり、行く所まで行く他ない有様である。
モラトリアム実施
昭和21年2月17日
本日モラトリアム(預金の引き出し制限)実施。インフレ、失業、食糧、隠退蔵物資摘発などの総合的諸対策が行われることになった。
主食の統制強化、新円切り替え
昭和21年3月1日
本日より交通費の大幅値上げ、主食の統制強化、新物価体系の要綱発表。そして新円への切り換えに備え、一切の旧円を整理してしまった。
*カッコ内は筆者 yama yama
🖊マイノート
「日本にも日本人にも愛想が尽きかけた」―父にしては珍しく投げやりな心境がつづられていて驚きました。超インフレ、食糧不足…この月には各地で警察署襲撃などの騒乱が発生しています。
また、空襲で日本中の都市が焼け野原になり住宅復興も遅々として進まない時代、国家公務員といえども住む家に困る状況だったことが分ります。主食の米は配給制が続いていたことが分かります。その量は極めて不十分で健康を維持するに足りず、違法な闇米を拒否し頑なに配給食糧のみで暮らした裁判官が餓死した話は有名です。
昭和21年のモラトリアムとは「金融緊急措置令」で、いわゆる預金封鎖です。預金の引き出し制限を行い、新たな紙幣を発行、旧円と新円の交換が行われました。
隠退蔵物資摘発とは軍が戦時中に民間から接収した貴金属やダイヤモンドなどが連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領前に勝手に処分され行方不明になった事件(戦後の闇のひとつ。金の一部は政界に流れたともいわれています)に関するもので、摘発をGHQの命令で行ったのが検察庁内に設置された「隠匿退蔵物資事件捜査部」で、現在の地検特捜部へと繋がっていきます。
祖母も結婚の際にもらったダイヤモンドの指輪を供出し、戦後になってもどこにどう処分されたのか分からないままついに手元に戻ってこなかったと、この時ばかりは本当に悲しそうな、やるせなさそうな表情を浮かべていたことが印象に残っています。


*戦中~戦後にかけての写真が残っていませんので終戦に最も近い昭和26年に父が佐多岬を視察した時の写真を掲載します。ヘッダー写真はイメージです。私撮影の写真を加工しました。
(続く)
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