父の身辺雑記 垣間見えた戦中戦後の日本~② 学業か戦地か 都下大学合同慰霊祭
合同慰霊祭
昭和17年10月4日
本日、芝増上寺境内で挙行された都下各大学合同慰霊祭に出席。前途有為の英才を中道にして喪ったことは、誠に惜しんで余りありと言うべきである。もとより、学業を終え、もって国家の為に活躍することと、学業を放棄して一死国に報いることと、根本において何らの差異のある筈はなく、究極において一致すべきものなること、言うまでもないが、しかしともかく一応此の両者は二分している上に、我々の本領は、やはり何と言っても、修めた学を以て国に仕うべきものであるから、その間の矛盾の感を禁じ得ない。

🖊マイノート
昭和17年といえば、ミッドウェー海戦敗北、米軍のガダルカナル島上陸と、日本が敗色に転じ犠牲が多く出始めた時期です。東京など日本本土への初空襲もありました(ドーリットル空襲)。学徒出陣は翌年で、その年は山本五十六連合艦隊司令長官の戦死やアッツ島守備隊の玉砕など戦況がさらに厳しさを増していきました。合同慰霊祭は昭和17年ですので、学徒出陣以前の戦没者は志願兵でしょうか。実にさらりと書かれていますが、学生が戦地に赴くことへのぎりぎりの(当時としては危ない)批判にも受け取れます。
ヘッダー写真と以下の写真は軍隊ではなく旧制高校時代の軍事演習の一コマです。


飯盒炊飯とバッタ
下の写真は飯盒炊飯(はんごうすいはん)したご飯を食べているところです。若い人で飯盒を知らない方もいるかと思いますが、飯盒とはご飯を炊くための金属製の道具です。携帯して持ち運べる大きさです。学生たちが手にしているのがそれで、本体(お米を入れる場所)、中蓋、外蓋に別れ、本体に研いた米と水を入れ、すべての蓋をして焚火に燃べます。飯盒で炊いたご飯は適度にお焦げが入って美味しいものです。中蓋はお皿代わりに利用します。
子どものころキャンプで父が面白い話をしてくれました。軍事演習の際、飯盒の蓋を開けてご飯を食べようとするとバッタが飛び込んでくるので、最初はみな気持ち悪がって食べなかったものが、慣れると箸でバッタをちょいとつまみ出してからご飯を食べるようになり、さらに「おお、いいものがあった」といってバッタをパクっと食べるようになったら一人前だ、と。もちろん最後は冗談で言ったのですが、飢餓の戦地ではその限りではなかったのではないでしょうか。
*昆虫の体内にはハリガネムシなどの寄生虫がいるため絶対に食べないようにしてください。

(続く)
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