他者の在りかⅢ:あなたにはなれない 憧憬の倫理
憧れの人を見つめるとき、
私はその人の輪郭をなぞりながら、いつの間にか自分の形を見失っている。
けれど、完全に重なりきらないその距離こそ、
創作が生まれる場所なのかもしれない。
Ⅰ. 憧れは、模倣から始まる
誰かの作品に心を打たれるとき、
私はその人になりたいと思う。
構成、語彙、間の取り方、
そのどれもが完璧に噛み合っていて、
一文字も無駄がないように思える。
けれど真似をしてみると、
自分の中の“欠け”ばかりが浮かび上がってくる。
書けば書くほど、私は「あなたにはなれない」という現実に突き当たる。
しかし同時に、私は気づく。
「あなたにはなれない」からこそ、私は書ける。
その差異こそが、創作の原動力なのだと。
Ⅱ. あなたに離れない
椎乃味醂さんの《あなたにはなれない》を聴いたとき、
私は「離れられない」という感覚に強く揺さぶられた。
この曲は、憧れの誰かに対して
「あなたにはなれない」と認めながらも、
その人の痕跡を自分の創作の一部として生き続けるという憧憬の倫理を描いている。
作者と消費者の境界を溶かしながら、
聴き手を「追体験させる」ように引きずり込む構造。
他者の葛藤が、私の内部で再演される。
その瞬間、私はあなたにはなれないまま、
あなたを生きている。
「あなたにはなれない」
けれど「あなたに離れない」
その矛盾の中で、創作は呼吸している。
Ⅲ. 他者を内包する創作
誰かの影響を受けることは、模倣ではない。
それは、他者を媒介して自分を見出すという行為だ。
憧憬は、他者を侵食する力ではなく、
他者の存在を自分の内部に「棲まわせる」力だと思う。
私の作品の中には、確かに誰かの影がある。
でもそれは盗用ではなく、
感情の層として、血肉のように組み込まれている。
創作とは、他者を消化して自分にするプロセスだ。
だから、私は「あなたになれない」ことを嘆かない。
むしろ、「あなたを失わない」ように書き続ける。
Ⅳ. 憧憬の倫理
私たちは、憧れの人を完全に理解することはできない。
それでも、彼らの言葉や表現の背後にある
生のかたちを追いかけてしまう。
それは奪うことではなく、
「あなたの一部を、私の中に宿らせる」ことだ。
他者を消費せず、他者を共に生きること。
創作とは、その倫理の上に成り立っている。
私は今日も、誰かの声を内に響かせながら、
それでも「私の声」で書こうとしている。
結語
憧れは、他者を通して私を形づくる。
「あなたにはなれない」
でも「あなたに離れない」。
その距離を受け入れること。
その中間で生まれる震えを、
私はこれからも、作品として残していく。
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