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ニホンノスゴイセキニン観

画像=忍者マンガ「NARUTO」
五影の最年長「土影」が、隕石を受け止めている
      ↓
(隕)セキニン(者)が(背)負う ε⁃(˃᷄ε ˂᷅๑))




《主体性が無く主語が無い?》

よく「日本人は主体性が無い」、日本人の会話は「主語や目的がハッキリしない」とも、言われます。

これが本当なのか?自分には分からない。外国人の知人は居ない、仕事で関わる事も無く、英語は凄まじく悪い点数だったし、日本語の「主語 述語 目的語 修飾語」も、何も知らないままに、「断片的に知り感じ思った事を」何とかソレっぽく見える様に考えて書いているから、キチンとした文章を書く人が見れば、イーカゲンな奴だと思うのだろうなぁ、と思いながらも学ぶ気は無く、ソレは最初から諦めている😇


コレら自体は分からないけど、よく似たモノゴトには幾つもの見覚えがあって、その1つが「責任感と責任の違い=責任の所在の曖昧さ不明さ」です。


《サービス残業のサービスって何??》

数年間の引き篭もりを経て、今居る会社に再就職し、半年頃か?定時から50分過ぎて「日報帳」を書く途中で↓ ※20年前の話しです

  先輩
「今日は、サービス残業だから」

  私
「サービス残業?はぁ、」↓
内心では「残業に割増が付く事かな?」


家に帰り、ネットで調べて驚愕!サービス残業とは残業代が自体が付かない事?えぇッ?じゃあサービスって、会社にサービス?マジか?何だコリャ?タイムカードがある会社でも、自主的に先に切ってから、その後に残業をする人が世の中には多数居るらしい、、、「サビ残?」なんだコノ気持ち悪ぃ略語は、、、


  次の日、先輩に私
「じゃあ日報に、書いても意味無いんですか?昨日書いちゃったけど、、、」

  先輩
「書いても良いけど、たぶん意味無いよ」


確かに全く給料に反映されて無い、、、


この先輩は別の家具屋(ベニヤ、メラミンを使う木工)から、建具(障子などの和室系の無垢材を使う木工)を学びたくて来たから、見習いの金額で入って、結局は、元と同じ家具ばかりを見習いの金額で、2年ほども作っていたらしい、、、自分が就職してから1年後に辞めた。



自分は昔からメモを取る習性が無く、と言うよりは書いていると聞けない、聞いていると書けないから→ 先輩に「本当にメモ取らないよね」と、やや呆れられて、 私→「聞きながら書けないんです、、それに何て書いて良いのか分からなくて、、、」と言ったら、逆に作り方を書いて貰ったり、色々と親切に教えてくれた。


良い先輩だった、、、お陰様で、普通は3〜4年以上経ってから作る家具を、1年で作れるように成りました。 

1年で、と言っても、この時点で20歳半ばなので、残念ながら高卒が1年で作れるように成るのとは、条件が全く違う😅引き篭もり期間に、やる事がなくて朝から晩まで見ていたTVニュースやNHKの教育番組、本、弟とのゲームや相撲、武術の個人練習、等々の経験が無い高卒時点での自分では、1年では絶対に作れなかったと思います。

あっ!あと家の豆腐屋も少し手伝っていた、豆腐配達の際には、コップの水こぼさない運転をしろ!と、オヤジに言われたなぁ、、←間違いました🙇🏻‍♂️イニシャルDの拓海と自身の区別が付かない「厨二病」🤣

当時、書いて貰った下足箱の「引き戸の厚さ溝と隙間+縦ツカの位置+棚板と棚ダボの位置」の定規棒
原寸通りの定規棒を通称「バカ棒」と呼ぶ

20年経っても、未だに引き出しにしまってあるなんて、我ながらイイハナシダナー🤭


家の元豆腐屋店舗は、水道がありコンクリートなので、刃物の研ぎ場 + タイヤなどの置き場所に丁度良い↓



《初めての領収書に驚いた》

上の「サービス残業驚愕」の数ヶ月後、あるマンション現場で↓

  社長
「白のボンドコーク買って来て、あと領収書も貰って」

ボンドコークの説明を聞いた後に↓

  私
「領収書貰うって、なんですか?」
 (全く存在すら知らない訳ではないけど、聞いた事がある程度)

  社長
「あー、まあ、レジで領収書下さい + 会社名を言えば貰えるよ」と、社長の名刺を見本として貰った(社名=会長の苗字が少し珍しい)


ホームセンターに向かう車中で、TVなどで聞く「経費で落とす」ってのがコレかぁ、個人で買った訳ではなく会社で買った証明書なんだろう、たぶんそうだろうと考え、ホームセンターでボンドコークを探すが見つからず、仕方がなく店員に聞いてレジに持って行った、、、
(つい最近まで、引き篭もりをしていたから、店員とは極力喋りたくなかった😉)


  レジで私
「すいません、領収書下さい、、」

  分かりました、と店員
「〜〜書き、どういたしますか?」
 ↑知らない言葉で聞き取れなかった

  私
「??え〜、、と、」

  察した店員
「品代でよろしいですか」

  私
「あ、それでお願いします」


レシートは没収され、領収書が渡される。その領収書を駐車場で見てギョっとした「アッ!コレは何か自分が間違ったんだ!」と思った。
だってそこには、店名、店員名、自社名、総額の金額、「品代」、しか書かれてない。



「これは本来レシートとセットの書類で、あの店員がレシートを回収した時に、それ要りますと言うか、もしくは明確な品名を言うべきだったんだ😨、、、」

とは思ったものの、今更店員に聞くのも嫌だし、ボンドコーク探すのに手間取ったし、既に夕方の4時、早く戻らなければならない、金額も大した事がないから、問題があるなら自分で払おうと決めて、現場に戻る。
(実際には、車に乗ったり降りたり、もっとオロオロしている😱だからよく覚えている)


恐る恐る、ボンドコークと領収書を渡すと、「あぁ、ありがとう」と返って来たから、内心では「??えっ?マジで?本当にコレで良いの?本当に??だって、、」と、本当は色々と聞きかったが、コレで良かったのならまぁ、良いやとホッとした。



家に帰ったら直ぐにネットで領収書を調べるが、店員側の領収書の書き方ばかり出て来たので「領収書 手書き レシート 不要 違い」こんな感じで検索すると、「手書きの領収書より、レシートの方が正確」とする、税理士か何かのサイトを見つけた。

 ※理由→レシートには、店名、店員名、日時、商品名別の値段、個数が書いてある→業務に必要な物なのか?を判別と追及が出来る



まあ普通に考えればそうだよな「総額」+「品代」って、どう考えても変だろう?何を買ったのか不明だし。手書きには何があるのだろうか?と、20年前に色々アレコレと考えた最終的には「結局は、古い慣習だろうと」(カーズのように)考えるのをやめた。のは嘘でずっと考えてきた、と言うよりは、どうしても「責任」を考えざるを得ない【事】が、20年間ずっと色々様々に起き続けた。

数年前からホームセンターでは、レジが改良?されて「領収書下さい」で、元々のレシート+領収書の書き込み欄の追加された、長い「領収書レシート」が発行される様になって、店員が手書きで買った側の社名を書く店と、無記名で渡す店の2パターンがある。

↑自社名が無記名でOKなら、店員がわざわざ手書く意味(責任)は、何処に飛んで行った?結局は、普通のレシートと変わらない。


手で書けば力感があるから(現)実感が増す。手書きの領収書は、数字と文字と紙に力を与える古代の呪術的儀礼的要素 経営者と友達とが会社の金での飲み食い、自民や維新へのキックバック、等々様々な欲望や意味が混ざり合って、何となく積極的に放ったらかしで来たのだろう、たぶん、、違うか、、、

紙が悪いのではなく、紙を2枚出したり、くっつけた長い紙を出して手書きで記名したり、無記名でOKだったり、行ったり来たりラジバンダリし過ぎ😵‍💫



《西洋と東洋は違う、更に中国と日本は違う?》

↑コレをたまに見るけど、自分はこれが好きではないし、何の違いだろうか?
今回書いたような社会や会社の組織や責任とは何か?戦争、国、文化、日本人とは何か?を考え始めたのは、高校生時代に三国志→中国古典を読んだからでした。(中国古典と言っても入門書レベル)

実際に、中国歴史ドラマを見ていると、日本人には少ないタイプが多かったり、アクションシーンの演出にも好みの違いは確かにあります。


でもコレは、○○人と日本人は違う、ではなく、西洋東洋中国日本は違う、だから、たぶん一神教と一神教的と多神教の違いを言っているのだと思います。(でも違うかな?何の違いだろうか?)


けれども自分にとっては、むしろ神、天、の一神教的ではないからこそ、上の存在がハッキリしないせいで、責任と責任感の違いルールを考えづらい面もあるのではないのかと、思う経験を何度もして来ました。
(外国ではどんな感じなんだろうか?)


職種、地域、世代、による違いも大きいとは思いますが、今回書いた経験談は、単一で固定的で変わらないモノだと、皆んなが、ソレはそう言うモノだと思っているから、ただ働き=無賃労働を「サビ残」と、呼んでも違和感が無く、定着して意味が全国で通じてしまう。

そして領収書はいつの間にか、無記名に変わっても、1度も話題に上がらなかった。

一神教以上に、完全に統制されているように感じる、でも「サビ残」の【サービスと労働】の組み合わせのように、あんまり理屈(言葉)自体はカチッとしてない。コレを取り敢えず【神不在お上の国の一心教】と呼んでいます。




この感じの例としては、つい最近の自転車罰則強化なんて、実際に全国完全に一括です。

自分が勤める会社付近の行き帰りの時間帯を見ても、住宅街の中を小学生は歩いているから、主要道の歩道に人は殆ど居ない(0〜3人)のに、学生も社会人も駅や学校に向かって、草ボーボーの幅60センチも無い路側帯を、車道にはみ出したり戻ったりしながら、自転車で走っているから逆に危なっかしい。

車道1車線より広い歩道
路側帯は側溝に向かってユルい勾配が付いている
黄色は自転車歩行者の分離線ではなく点字ブロック


どう見ても、歩道を広く作り過ぎて花壇まで作り放ったらかし。見える直線500m〜1000mの距離に、歩行者が1人も居ないのに、自転車は走りづらい路側帯をフラフラと走っている。

花壇は草ボーボー
歩行者は見える範囲に1人も居ない
花壇の向こうには1m以上の幅の歩道がある


コレらはたぶん計画ミスではなくて、ここら辺の歩道は比較的新しい方なので、歩道がモノ凄く広いのは、本来なら自転車が走るのを想定して作ったのだと思います。


東京と地方は全く違って、歩行者は遥かに少ないのだから、都市郊外や小さな町なら歩道は2人歩ける幅にして、自転車用に分ければ隙間は充分ある。

道路環境は、ずっーと変えずにルールだけは全国一括で決めて、地方のTV、ラジオまでもが協力して、毎日毎日毎日毎日毎日しつこく、アナウンスすれば、仕方なく狭く劣悪な路側帯を走らざるを得ない。


注意勧告により、何かヤッタ感を出して、責任を下に放棄し、ソレに合わせて罰則も天罰のようにキッチリ落とすのだから、コレの何処が多神教的なんだろうか?何処がボトムアップ型なのか?と、疑問に感じるのが普通だと思うんだけど、、、やんわりほんの少し社会に疑義を呈するだけで、反日、左翼、共産主義、と呼ばれてしまう(実話)

※自分は共産党員ではないし、党員の知り合い無し、デモ経験も無い。直ぐに何でもかんでも「中国、共産主義」と言う人達が余りにも多過ぎる。勝共連合(統一教会)にでも入ってるの?


多数派と価値観のズレが無く、他人より少し優れていれば、個人としての悩みは少なく居られる。他人より大きく優れて、価値観がズレているなら、逆に馬鹿にして居られる。

大きく優れていなくて、圧倒的多数派に対して、中国古典(入門書レベル)を読んだせいなのか?ズレた価値観で居続けるには、知識、身体感覚、自身の経験によった、自分成りの考え方が要るので、葛藤して悩み、自分がハッキリした面もありました。




でも、自分の個性がハッキリしたところで、そんなのは責任の所在問題には通用せず。今の日本では上に書いたような【責任感を持って仕事をする事】と【責任の所在が分からないままに、責任を押し付けられて必要以上に苦しむ事】の違いが、ハッキリせずに、多くの人達が自己責任だと放ったらかされている
実際には「責任」の明確な線引きは難しいけれど、自分も何度も嫌な経験をしているので、もう少しだけでもなんとかならないのだろうか🤔と思っています。



 《あとがき》

↑から引用↓

「困難な成熟」 著者=内田樹

   逆説的な結論

きちんと機能している社会、安全で、そこそこ豊かで、みんながルールをだいたい守っている社会に住みながら、かつ「責任を取ることを人から求められないで済む」生き方をしようと思ったら、やることはひとつしかありません。

それは「オレが責任を持つよ」という言葉を言うことです。

逆説的な結論 これも考えればすぐにわかりますが、構成員全員が「オレには責任ないからね」と言い募り、不祥事の責任を誰か他人に押しつけようと汲々としている社会と、構成員全員が自分の手の届く範囲のことについては、「あ、それはオレが責任を持つよ」とさらっと言ってくれる社会で、どちらが「誰かが責任を取らなければならないようなひどいこと」が起こる確率が高いか。

まことに逆説的なことではありますが、「オレが責任を取るよ」という言葉を言う人間が一人増えるごとに、その集団からは「誰かが責任を取らなければならないようなこと」が起きるリスクがひとつずつ減っていくのです。

↑引用ここまで


確か「責任」に関する事で「マジそれな」と思った、ネット記事があったよなぁ、何処で読んだっけ、うーんう〜んと記憶の底から捻り出し、断片的記憶の文言からワード検索して、何とか見つけました😅


責任感を持ってキチンと仕事をしても、給料は増えないのに、マジメにヤレばヤルほどに、責任(仕事)を押し付けられ、仕事量ばかりが増えるだけなら、これこそ正に草臥れ儲け。

「現代の若者は直ぐに辞める」なんて言われるけど、集団で労使交渉せずに、個人交渉では結局は辞めるか、辞めさせられる可能性が高くなってしまう。

自分達の世代は、戦いもせず、逃げもせず、辞めもせず、間接的にでも意思表示せずに「責任とは何か?を問う責任」を、下の世代に丸投げしてしまった。


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