大阪道草散歩道② 堺環濠都市・鉄職人たちの街
京都芸術大学の藝術学舎の講座「目的地は道端 大阪道草散歩道」の2回目に参加しました。
大学院のゼミでも指導していただいた、伊達伸明 先生がこの授業を担当されています。
1回目の様子はこちらに⇩
2回目は、南海空港線 七道駅の前からスタートしました。
集合場所で伊達先生から配られた資料には、このエリアの歴史的背景や、近くを流れる大和川が作った地形のことについても書かれていました。
駅前の地図をみながら、今日の流れを説明していただき、お散歩スタートしました。

この駅前の道は、「濠(ほり)」だったなんて、説明してもらわなかったら気づけないようなことも教えてもらって、地形の変化や歴史を知っていることで、まち歩きの楽しさが格段にアップするなーと改めて思いました。

1回目も2回目もまったく予習せずにやってきましたが、3回目以降はちょっと予習してから参加してみようかなーなんて考えました。
しかし、マイテーマである、「美術家である伊達先生が、風景のどこを注目してお散歩されているのか?」について学ぶには、予習せず先入観なく参加するのがいいのか?背景知識があったほうがいいのか?はわからないので、どっちも検証してみることにします。
・・・ということで、今回は先入観ないほうのお散歩レポートです。

昔ながらの風情ある建物を見ることができる道を、イヤホンガイドをぶら下げた謎の集団が通ります。
イヤホンガイドからはたびたび「車が通ります端に寄ってください」とおっしゃる伊達先生の声が聞こえました。
そうこうしているうちに、一つ目の訪問先「鉄炮鍛冶屋敷(町家歴史館 井上関右衛門家住宅)」に着きました。

わたしはここで、「堺が自治都市として栄えることができたのは、壕と鉄砲という軍需産業があったからやろか・・・」なんていう、黒ヤギ的推理をしたのですが、あとで調べてみて、自治都市だったのは室町時代から江戸時代の初期までだったことがわかりました。
したがって、江戸時代になってから鉄砲鍛冶をはじめられた、このお屋敷の井上さんの作られる鉄砲は、戦国時代の内戦に使われたわけではなく、軍需産業で栄えたから自治都市でいられたというわけではなさそうです。
現地でこの話をしているとき、伊達先生は黒ヤギの推理を否定されるでもなく、さりげなく堺の港町としての位置づけについてを教えてくださったり、こちらの鉄砲は幕末によく使用されていたのではないか?といったことを話してくださいました。
あー。大学院でわたしを指導してくださった先生が伊達先生でほんまにラッキーでした。
もしも、頭ごなしに否定し、すぐに正解のようなことを言ってくるような先生が担任やったら、黒ヤギはもっとドス黒くなっていたかもしれません。。。
そのほかにも、鉄砲の原料の鉄はどこから運ばれていたのか気になり、ボランティアガイドさんにたずねていたら、受講者の方の中で詳しい方がいて、「出雲のあたりだと思います。」と教えてくださいました。
「出雲では、夜たたら場のある山から熱された鉄が赤く光って流れているのを、ふもとの里の人たちが見て、まるでヘビの舌のようだと思ったことから、ヤマタノオロチの伝説はできたのではないかと言われている」というお話もしてくださいました。
受講者さんも、知識が豊富な方がいっぱいいらっしゃるので楽しいです。
ここでは、もうちょっと歴史的背景をちゃんと予習しておいてあれば、ものづくりの現場としてのあれこれにも目がいったのかもなーと思いました。

井上さんのお屋敷を出て歩きながら、数カ所で見かけた「七まち」と書かれた照明。レトロでかわいかったです。

「プラスチック・特殊鋼」
伊達先生は「振れ幅が大きいですね」とコメントされていました。

「商店街には寄らないわけにはいきませんね」と、
伊達先生は、歩みをとめずにどんどんと中へ入って行かれました。
すると・・・

アーケードの途中に線路が!!
阪堺電車が走っているようです。
ここは、予習をしてこなくてよかったです。
素直にビックリできました♪
商店街を抜けてちょっと行ったところで、先生は阪堺電車の線路のむこうにある自動販売機を示されました。

「あれは昆虫食の自動販売機です。時間があれば近くで見せたかったんですが、先を急ぎます」と。。。
そこからしばらくゆくと、お寺さんがばっかりいっぱい並ぶ、結界エリアに。
ここでは壁などに注目です!

こちらの土塀は、大坂夏の陣の後に兵火による焼き瓦を組み入れて築造されたのだとか。印象的な壁でした。

伊達先生が注目された石垣。びっちりつまっていて、面がそろっています。
上部の網目模様の壁も気になります。

伊達先生曰はく「お寺でコンクリートの壁にしているところの上は、平らなのが多い」とのこと。これまでそこを気にしたことなかったのですが、これからは壁を見るとき上部にも着目しそうです。

こちらのお宅の「色づかいが独特」とおっしゃる先生。
わたしは看板に目がいっていましたが、たしかにペパーミントが鮮やかでした。

建物の二階部分のトタンをみて、「先生!あのトタンは好みですか?」とたずねると、「いいですねー。でも二階部分にあると写真が上手く撮れないので、あれは高根の花です。」とニヤリと笑うトタンマニアの伊達先生。
たしかに。実物はもっといい色していました。
そうこうしているうちに、
今回のお散歩の終着地「シマノ自転車博物館」さんに到着です。

歴史をたどると、初期のころの自転車は、前輪が大きくて速く走れることをたいせつにされていたようです。それがだんだんと安全性を重要視した設計に変化していきました。
先生は、座席の部分の振動をやわらげる仕組みなどにも注目されていたり、「ものづくり」の視点でもご覧になっているようでした。
わたしは、ここにきてもやっぱり山のことを考えてしまいました。
山道を行く用の自転車も展示されていたのですが、そっちよりも・・・

1950年頃活躍したという、材木を運ぶ自転車に心奪われましたー
いいなー!と見ていたら

雰囲気が似ている、現代風の自転車が!
しかも、こちらなんと「88」という名前ではないですか!
「まさか、うちのために作ってくれたん?」と喜んだら、
コンセプトは、「パパのための自転車」だったようです。
山仕事をし、消防団員にもなり、夢はユンボを操縦することなヤギノリ。
最近よく「男前」と言われます。
愛車が88になったら、ひげ生えてくるやも。。。
なんて妄想していたので、「伊達先生の目を学ぶ」というミッションを忘れがちでしたが、とっても楽しい博物館でした。
***
今回のお散歩も充実の内容でした。
おかげさまで満腹です。(ゆえに昆虫食は遠慮します。)
鉄はこれからも自転車みたいな平和なものにたくさん使われることを祈りながら、このまとまりのないレポートをとじたいと思います。
最後まで読んでくださり感謝です。
伊達先生、受講者の皆さま、ありがとうございました!
次回も楽しみにしています♪
