【つの版】日本刀備忘録26:鬼神淵源
ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。
南北朝時代から室町時代にかけて、有名な大江山の鬼「酒呑童子」退治の物語が成立し、絵巻物が作成され、謡曲が作られて演じられました。まことに不思議な話ですが、そもそも酒天童子とは、鬼とは何なのでしょうか。この物語を入口として、さらに深く分け入って行くことにしましょう。
◆呪◆
◆術◆
鬼神淵源
漢語の「鬼(上古/*k-ʔujʔ/、中古音kjw+jX、北京音guǐ、日本漢字音キ)」とは、本来は「死霊/幽霊」のことです。人が死ぬことを「鬼籍に入る」と言いますが、これは現世の生者の戸籍から抹消され、死者としてあの世の戸籍に登録されることを意味します。字の上の「由(古くは田)」は死者の頭部(鬼頭)をあらわし、その下に「人」がついています。「異」は鬼が両腕を掲げて異様な姿をしているさま、「畏」は鬼が杖を持ち威嚇するさまです。

古来、チャイナでは人が死ぬと喪儀を行い、霊魂を宥め、祖霊として祀りました。その時に巫者(シャーマン)が死者をあらわす仮面を被り、異様で畏怖をもたらす姿形をして祭礼の場に現れたのです。古くは白骨化した死体の頭蓋骨に髪の毛をつけて仮面とし、後には死者をかたどった仮面を作り、または木主(位牌の原型)を額につけて死者の形代となりました。「魂魄」とは鬼をもとにして後から作られた字で、云は雲のように漂う霊気を、白は頭蓋骨(白)や死体に残存する精気をあらわすといいます。
子孫や親族によって祀られた死者の霊は祖霊=神(稲妻・雷電をあらわす「申」に祭礼用の机「示」を加えた文字)となり、供物と敬意が捧げられる限りは一族を祝福してくれますが、そうでない鬼は恨んで祟りをなし、手当たり次第に災害を及ぼします。また人が死んだものばかりでなく、動植物の霊や山川草木に宿る自然の精霊(魑魅魍魎)もまとめて「鬼」「鬼神」「百鬼」と呼ばれ、人の亡霊はこれらと分けて「人鬼」と呼ぶこともあります。儒教や道教はこうしたチャイナ古来の祖霊崇拝から発展した宗教でした。
古代倭国においては、卑弥呼が「鬼道」に仕えていたと魏志倭人伝に記されています。これは儒教から見て異端である道教を指す言葉ですが、チャイナ的な鬼の概念は渡来人・帰化人や遣隋使・遣唐使などを通じて、続々と倭国・日本に持ち込まれました。それらは倭国・日本に存在した霊的存在の概念と混ざり合い、倭語で「おに」と呼ばれていくことになります。
日本初鬼
日本の文献上最古の「鬼」の用例は、養老4年(720年)に成立した『日本書紀』です。神代巻上の一書にイザナギの黄泉国からの逃走神話を記した後、「此用桃避鬼之緣也(これが鬼を避けるのに桃を用いる由縁である)」と記されています。これは後漢の『論衡』に見える「鬼門」と桃の関係についての伝承を、日本で独自に解釈したものでしょう。イザナギが投げた桃に追い払われた黄泉醜女ら黄泉/冥土の住民を、ここでは「鬼」とみなしているわけです。『古事記』においては「鬼」の字は見当たりません。
鬼とは表記されませんが、邪神のたぐいは記紀神話にちょくちょく出てきます。黄泉から生還したイザナギが禊を行うと、そのケガレから禍津日と呼ばれる禍事の神が生じました。スサノオが泣き叫んだり、天照大神が天岩戸に引きこもったりした時も、これらの邪神が荒れ狂って蝿のようにブンブンと騒ぎ、災いを引き起こしています。これらは黄泉ではなく現世におり、世の秩序が乱れると勢いを得るようです。
神代巻下では、天照大神と高皇産霊尊が孫の瓊瓊杵尊を葦原の中つ国(地上世界)に天降らせようとした時に「鬼」の字が現れます。高天原の神々が下界を観察すると、その地には「蛍火の光く神、蝿声なす(騒がしい)邪神」が多くおり、「草木がみな物を言う」という有様でした。そこで神々は集会を開いて「葦原の中つ国の邪鬼を平定しよう」と議論します。最終的に武甕槌神と経津主命が派遣され、高天原に従わぬ「鬼神」を討伐していきます。
ここでは鬼に「もの」という倭語が振られています。「もの」とは単に物体・物質だけでなく、人の認識し得る対象・概念の一切をいい、実体がなく目には視えなくとも知覚できる存在、神々や幽霊や妖怪(もののけ/物化)のたぐいもそう呼ばれます。天孫降臨以前に葦原の中つ国を統治していたとされる大国主神の化身は、こうした精霊的な「もの」の主として「大物主神」と呼ばれています。鬼を「もの」と読む類例は奈良時代から平安時代にも多く見られ、本来は「おに」よりも幅広く使われていたようです。
神代はさておき、人の世に実際に「鬼」が現れたと記録されたのは、斉明天皇の時が最初です。斉明天皇が百済救援のため筑紫の朝倉(現福岡県朝倉市)に宮を遷した時、神社の樹木を伐採して材木にしたので、社の神は怒って「鬼火」を宮中に出現させ、疫病を流行させました。このゆえか天皇は2ヶ月後に崩御しますが、喪儀を終えた夜に朝倉山の上に「鬼」が現れ、大きな笠をかぶって喪礼を見下ろしていたので、人々は怪しんだといいます。斉明天皇元年にも「青い絹の油笠をつけた唐人のような者が龍に乗って空を飛んだ」という怪異譚が記されていますが、鬼とは記されていません。
山に笠のような雲がかかっていた、と解することもできますが、鬼が笠をかぶっていたというのは重要です。チャイナの鬼が仮面を被った姿であらわされる死者の霊であるように、日本ではしばしば鬼が笠をかぶり、蓑をまとってあらわれます。ナマハゲに代表される来訪神「まれびと」は、そのような姿をして年末になると常世から現世に訪れ、もてなしを受けたり叩かれたりして現世から退散する存在でした。日本書紀の一書ではスサノオが高天原を追放され、蓑笠をまとって各地を放浪したことが記されています。姿をあらわしたと言っても蓑笠によって真の姿は隠されていますから、鬼神は本来「姿/正体の視えぬ、隠れるもの」としてイメージされていたのです。
平安時代の承平年間(931-938年)に編纂された辞書『和名類聚抄』によれば、『周易』に「人神を鬼(発音は居偉反=キ)という」とあり、これを和名で「於邇(おに)」と読みます。また「或る説に於邇は『隠(おぬ)』の音の訛りであるという。鬼物は隠れて形を顕そうと欲しない故に以て称とするのだ」との説が紹介されています。とすると「おに」とは漢語に由来することになります(金=カネや馬=ウマ、梅=ウメなど和語には結構漢語由来の語があります)。実際そうであるかは定かでありませんが、この解釈は後世の「鬼」のあり方についても影響を与えたでしょう。忍者も「隠忍」の語から来ていますし、メンポをかぶるなど鬼めいたイメージがありますね。
阿用郷鬼
和銅6年(713年)に編纂が命じられ、天平5年(733年)に完成して奏上された『出雲国風土記』には、謎めいた「鬼」の伝承が記録されています。それは出雲国南部の大原郡の阿用郷(現島根県雲南市大東町東阿用・下阿用)の地名由来です。
阿用郷。郡家東南一十三里八十歩。古老伝云、昔或人此処山田佃而守之。爾時目一鬼来而、食佃人之男。爾時男之父母、竹原中隠而居之時、竹葉動之。爾時、所食男云「動動」。故云阿欲。神亀三年改字阿用。
阿用郷。(大原)郡家の東南13里80歩にある。古老の伝えによると、昔ある人が此処の山に田を作り、これを守っていた。その時「目一つの鬼」が来て男を食った。男の父母は竹原の中に隠れていたが、竹の葉が揺れ動いた。男は食われながら「動動(あよあよ/動いている/アイエエエ!)」と言った。それで阿欲(あよ)という。神亀3年(726年)に字を阿用と改めた。
日本の文献史上最古の「人を食った鬼」の話です。この鬼がなんなのかは全くわからず、ただ「目が一つ」という特徴しか伝わりません。一本ダタラやキュクロプスのように鍛冶師を象徴するのではとか動揺=地崩れではとか様々な解釈はありますが、正体は不明です。鬼は隠れていて姿を顕さないはずですが、この時は突然出現して人を食らい、また姿を消してしまったのでしょうか。ただ斉明天皇の時のように、この鬼も山に現れています。つまり鬼とは「山の中などに隠れており、人を襲って食う恐ろしい存在」としてイメージされていたことがわかります。日本の山中に生息していて人を食いそうな存在といえば熊がいますが、熊なら熊と書くでしょう。イメージとしては日本の「鬼」に繋がりそうではありますが。
平安時代前期頃に成立した『伊勢物語』では、駆け落ちした男女が雨宿りのため廃屋と化した蔵に逃げ込んだところ、中に鬼がいて女の方を一口で食べてしまい、男は蔵の外にいたので助かったという話があります。鬼は山中だけではなく、廃屋の中にも出現するのです。
仏説鬼神
日本の「鬼」のイメージ形成には、儒教や道教のみならず、仏教も深く関わっています。死霊や祖霊を祀ることはインドでも盛んで、祀られない死霊が祟りをなすと信じられていたことも同じでした。チャイナではこうした死霊・亡者(プレータ)を漢語で「鬼」と意訳し、生前の悪業により常に飢え渇いているという仏典の描写から「餓鬼」と意訳しました。
また仏典を介して、インド神話における鬼神のたぐい、夜叉や羅刹、阿修羅といった悪鬼・悪神も伝来します。彼らは神々(デーヴァ/天部)に逆らう魔神でしたが、仏法に帰依した者は護法善神となり、修行者を庇護すると信じられました。四天王はこうした夜叉・羅刹ら鬼神を率いて須弥山の四方を守護しており、彼ら自身も夜叉や羅刹の出身です。明王と呼ばれる憤怒の形相をした仏尊たちも、鬼神が仏教(密教)に取り込まれたものです。
閻魔大王に仕えて地獄での呵責を担当する獄卒は、亡者の傍らに常にいることから「阿傍」と呼ばれています。彼らは夜叉や羅刹、餓鬼の一種とされますが、亡者の悪業に応じて罰を与えるため、醜悪・残虐ながら因果応報をもたらす鬼神です。牛頭・馬頭など動物の頭部を持つ鬼が有名ですが、八大地獄の最下層・無間地獄には、背丈が6由旬(42km)もあり64の目を持つ奇怪な鬼もいるといいます。平安時代には末法が近づいたとして地獄絵図が盛んに作成され、善行をし仏に帰依すれば地獄・餓鬼・畜生など悪道に堕ちず六道輪廻の苦しみを逃れられると説かれました。図像化された「鬼」の姿は蓑笠で姿を隠す鬼よりもわかりやすく、強いインパクトを与えます。
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これら様々な「鬼」のイメージは重なり合い、仏や神ほどに善良ではない様々な死霊・精霊・怪物のたぐいという共通認識が形成されていきます。彼らは神代から存在し、山に隠れ潜んで様々な災いをもたらす邪悪なものたちでした。死者の領域=黄泉国に赴いたイザナギは彼らを追い払いながらも現世に逃げ帰り、黄泉と現世の間に封印を施しましたが、現世に害をなす鬼たちは現世の武力や呪力によって追い払われることになります。
◆鬼◆
◆宴◆
【続く】
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