【わかってきたぞ】天使に関する備忘録10【悟り・気づき】
おれだ。前回の続きだ。引き続きキリスト教の悪魔について見ていく。
◆悪◆
◆魔◆
ダイモーン
新約聖書には、ギリシア語でダイモーン(daimon)と呼ばれる存在がちょくちょく登場する。これは印欧祖語deh2-(分ける)まで遡り、切り分けられた肉が出る宴会をダイス(dais)、区分された土地やそこに住む人間をデーモス(demos)と呼ぶ。そして運命や幸福、食い扶持などを「配分する」存在をダイモーンと呼んだらしい。インド・イラン諸語では同様にバガ(bagah/bagha、分け与える者)を神々の呼び名としており、スラヴ諸語では同語源のボーグ(bog)を神々の呼び名とする。テオス/デウス(神)とダイモーン、それにデヴィルは各々別語源で、特に関係はない。英語のデーモン(daemon/demon)とはダイモーンが訛ったものだ。
ダイモーンはユダヤ教やキリスト教が成立する前から、ギリシア人たちに信仰・崇拝されていた霊的存在、精霊・鬼神のたぐいだ。ホメロスの叙事詩では神々と同一視されていたが、紀元前8世紀頃成立したヘシオドスの『仕事と日々』などによると、かつて世界がクロノスに支配されていた時代は黄金時代で、不死の神々によって人間が創造された。大地には豊富な食糧があり、人間は労働する必要もなく、不老長寿を保って安らかに死んでいった。その性質は善良で、死後もその霊魂は守護霊となって地上の人類を悪や災いから守り、富と幸福を与えたという。これがダイモーンの始まりだ。
だがクロノスがゼウスに打倒されると、白銀時代が始まった。彼らは長寿だったが性格が悪く、母親のもとで100年間暮らしたが、成人すると互いに争うようになり、神々を崇拝することもしなかった。怒ったゼウスは彼らを滅ぼし、その霊魂は冥界に送られ、「祝福された霊」と婉曲的に呼ばれる悪霊となった。続いて青銅時代が始まるが、彼らは青銅で武装して互いに争い合って絶滅した。続く英雄時代には半神の英雄たちがいたがトロイア戦争で多くが死に、その霊魂はダイモーンとなり、残りは西の海の彼方のクロノスが支配する楽園へ去った。現在は鉄の時代で最も悪く、神々は堕落した人類を見捨てるであろうという。
紀元前5世紀、哲学者プラトンとその弟子たちは、ダイモーンの複数形ダイモネスを「賢い(ダエーモネス)」が語源だとし、ダイモニオン(ダイモーン的なもの)を「神々と人類の中間にある存在」とした。また善良なダイモーン(エウ・ダイモーン)と邪悪なダイモーン(カコ・ダイモーン)がおり、前者は人間を守護して忠告や幸運を与えるが、後者は人間を惑わせて破滅させるのだという。これは善悪二元論を説くペルシアのゾロアスター教の影響かも知れないが、似たような発想は世界中に存在した。ローマ人はこれをゲニウス(genius/生み出すもの)と訳し、個人や土地などに取り憑いて守護するものとしたし、アラビアではジンがこれに相当する。君主や英雄に憑依しているダイモーンは縁起が良いとして崇拝の対象ともなった。
ユダヤ教の聖書にはヘブライ語でシェディム、セイリムなどと呼ばれる悪霊のたぐいが現れるが、ヘレニズム時代にギリシア語訳されると、これらの存在に「ダイモーン/ダイモニオン」の語があてられた。ユダヤ教は一神教なので、異教の神々をテオスと訳するわけにもいかず、これらもダイモーンに過ぎないとされたのだ。そのルーツは『エノク書』や『ヨベル書』にある通り、ノアの大洪水で死んだ巨人族や堕天使、悪人たちの霊魂というわけだ。
こいつらは人間に憑依して狂気や病気を起こさせることができると古くから信じられており、イエスや弟子たちはダイモーンを神(またはイエス)の御名によって追い払い、狂気や病気を癒すことができるとされた。チャイナの太平道も罪を悔い改めさせて病気を治すという触れ込みで信者を増やしたというし、同じようなことはイエス以外の魔術師とかもやっていたようだ。
福音書には盛んに「悪霊祓い」の奇跡が記され、このために大勢の民衆が自分や家族の病気を治してほしいと集まって来たとある。精神病のたぐいなら「お前の罪は許された」と言ってもらえれば治るケースもあるかも知れないが、癲癇や中風(脳卒中による麻痺)などを祈りによって治したというのは奇跡に違いない。そのうちイエスだけでは手が回らないので12人や70人の弟子たちにも権威を分け与え、悪霊を祓わせたという。中には無許可でイエスの御名を用いて悪霊祓いに成功した者もいたが、弟子たちから報告を受けたイエスは「それはよろしい」と言って禁止しなかったとある。
ダイモーンの数は非常に多く、福音書にはイエスが「レギオン」と名乗った無数の悪霊を人から豚に移り住ませ、ガリラヤ湖に一斉に飛び込ませた話がある。レギオンとは当時ユダヤを支配していたローマ軍のことだし、豚はユダヤ人が忌み嫌っていたがギリシア人やローマ人は普通に食べたので、これはユダヤ社会が異教徒に対して抱いていた反感が悪霊化したのだろうか。
グノーシス主義や新プラトン主義でもダイモーンは重視され、善なるダイモーンには守護が祈られ、悪しきダイモーンには退散が命じられたが、キリスト教がこれらを取り込むと前者は天使や守護聖人に、後者は悪魔や悪霊、邪神や鬼神・魔神のたぐい(デーモン)とされていった。サタンはこいつらの首領であるから、異教の神々は全員デーモンというわけだ。
ベルゼブル
また、エルサレムから下ってきた律法学者たちも、「彼はベルゼブルにとりつかれている」と言い、「悪霊どものかしら(アルコンティ・トゥー・ダイモニオン)によって、悪霊どもを追い出しているのだ」とも言った。
そこでイエスは彼らを呼び寄せ、譬をもって言われた、「どうして、サタンがサタンを追い出すことができようか。もし国が内部で分れ争うなら、その国は立ち行かない。また、もし家が内わで分れ争うなら、その家は立ち行かないであろう。もしサタンが内部で対立し分争するなら、彼は立ち行けず、滅んでしまう。
福音書には、「悪霊どものかしら」としてベルゼブル(Beelzebul)という名が現れ、サタンのこととされている。イエスが悪霊祓いをしているのを知ったイエスの身内の者たちは「あいつは気が狂った」と思い込んで取り押さえようとやってきたが、エルサレムから来た律法学者(ファリサイ派の指導者)たちも「彼は悪霊の長ベルゼブルに取り憑かれ、それによって悪霊を追い出している」と宣言した。たぶんイエスの身内にこいつらがそう吹き込んだのだろう。そこでイエスは「サタンがサタンを追い出すことができるか、それでは内輪揉めだ」と反論し、「聖霊を汚れた霊と呼ぶことは許されない」と叱責したという。
こいつは何者かというと、旧約聖書『列王記』下1章に登場する異教の神で、バアル・ゼブブ(Baal Zebub/飛ぶ虫の主)と呼ばれている。むかしサマリヤの王アハジヤがヤハウェではなくペリシテ人の町エクロンに祀られていたこの神に託宣を求めたので、預言者エリヤに咎められたという。
さてアハジヤはサマリヤにある高殿のらんかんから落ちて病気になったので、使者をつかわし、「行ってエクロンの神バアル・ゼブブに、この病気がなおるかどうかを尋ねよ」と命じた。時に、主の使はテシベびとエリヤに言った、「立って、上って行き、サマリヤの王の使者に会って言いなさい、『あなたがたがエクロンの神バアル・ゼブブに尋ねようとして行くのは、イスラエルに神がないためか』。それゆえ主はこう仰せられる、『あなたは、登った寝台から降りることなく、必ず死ぬであろう』」。そこでエリヤは上って行った。
バアルとはヤハウェと対立していたカナン人の神で、ゼブブならぬゼブル(zebul)とは「糞、肥料、ごみ」を意味するとされるが、実は「囲む、居住する」を意味する語で、バアル・ゼブルとは「(天の館に)住んでいる主」を意味する。ユダヤ教では異教の神々を貶めるためにその名を歪めて呼ぶことがあり、バアルをボシェテ(boshet/恥)と呼んだりするから、ゼブルを「住む」でなく「糞」として「糞山の主」とし、さらに糞にたかる「飛ぶ虫/蠅の主」としたわけだ。ボシェテ・ゼブブだともはやもとがわからんな。
律法学者の勘違いとはいえ、悪霊のかしらであるサタンの異名を異教の神ベルゼブルとする伝承はあったわけだが、そのルーツは語られていない。ヤハウェの他の神々は全て堕天使か悪霊なので、サタンが人間を惑わして自らを「天の館に住まう神」として崇めさせていたことになる。
なおバアルは「主人、旦那様」という称号で、神としての名はハダド(打つ者)といい、ゼウスやインドラのように天空から雷雨を降らせて農地を潤す豊穣神だ。メソポタミア神話では神々の王エンリルの部下であったが、カナン神話では最高神エル(強い者)が年老いたため、彼を去勢し妻を寝取って跡継ぎとなったという。ヤハウェがバアルとやたらに対立しているのは、どうもこのエルとバアルの対立に遡るものらしい。そりゃまあ怒るだろうが全人類を巻き込んで喧嘩しないでくれ。エルは最高神としてヤハウェと同一視され、ガブリエルやミカエルなど天使の名にはエルがつくし、イスラム教のアッラーフ(Al-Illah)の語源ともなっている。
ルシファー
さて、サタンの異名として最も有名なルシファー(Lucifer)だが、これはラテン語ルキフェル(Lucifer/光をもたらす者)の英語訛りで、イタリア語でルチフェロ(Lucifero)、フランス語ではリュシフェル(Lucifer)という。もとは夜明け前に太陽に先んじて天に現れる「明けの明星」すなわち金星を意味する言葉で、イエスの誕生以前に没したローマの詩人ウェルギリウスらもその意味で用いている。ギリシア語でポースポロス(光をもたらす者)、ヘブライ語ではヘレル(Helel/輝くもの)という。なおルシフェルからエル(el)が取られてルシファーになった、などというのは近年の与太話だ。
黎明(シャハル)の子、明けの明星(ヘレル)よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。あなたはさきに心のうちに言った、『わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、北の果なる集会の山に座し、雲のいただきにのぼり、いと高き者(エルヨン)のようになろう』。しかしあなたは陰府に落され、穴の奥底に入れられる。
『イザヤ書』14章には、このような文言がある。これは本来バビロン捕囚の時にイスラエル民族を励ますため「神はやがてバビロンを滅ぼし、民を解放するであろう」と預言した部分で、明けの明星にたとえられるのはユダ王国を滅ぼしたバビロンの王ネブカドネザルだ。またこの言葉を言っているのは冥府にいる勇者や王者の亡霊たちで、ネブカドネザルも死ねば自分たちのように無力な屍と亡霊になるのだ、と告げているところだ。
これを後世のキリスト教徒(2-3世紀のテルトゥリアヌスやオリゲネス、5世紀のアウグスティヌスら教父たち)が拡大解釈し、サタンが天から地に落とされたことを含意しているのだと説いた。金星が太陽に先駆けて天に昇るように、神々の集まる山に王者として座り、至高神のようになろうと高慢にも思いあがったがために、処罰されて堕天したというわけだ。明けの明星の光は太陽よりも弱く、太陽が出れば見えなくなってしまうのだから、人類に様々な知識を与えて「啓蒙」したつもりでも、主なる神やキリストの真理の光には決して勝てないという含意にもなる。
もっとも、これはカナン神話にある話をイザヤ書が借用したものらしい。バアルが死神モトに殺されて冥府に下った時、神々は金星の神アッタル(アシュタル/イシュタル)を代わりに王座につけたが、力不足で地上に雨をあまり降らせることができなかった。エルは悲しみ、バアルの妹アナトが冥府に降りてモトを殺し、バアルを甦らせて王位に戻したという。バアルと敵対していたエルからすると歯がゆい話だが、モトはエルの命令を受けてバアルを殺したともいうし、バアルをこうしてやりたいと思っていたのだろう。
ともあれ、サタンが天から追放されたのは、この解釈によるならば「神にとって代わろうとした」からという大逆不敬の罪による。そう思いあがるぐらいには高位の天使だったのだろう。『エゼキエル書』28章にはフェニキアの都市国家テュロスの王が商売で儲けて有頂天になり、「我は神なり」と思いあがって高慢に振舞ったゆえに、異邦人(バビロン)に攻め込まれて無惨な死を遂げるであろうと預言されているが、これもサタンを暗示しているという。実際はテュロスはバビロンの包囲を受けても陥落しなかったが。
わたしはあなたを油そそがれた/守護のケルブと一緒に置いた。あなたは神の聖なる山にいて、火の石の間を歩いた。あなたは造られた日から、あなたの中に悪が見いだされた日までは/そのおこないが完全であった。あなたの商売が盛んになると、あなたの中に暴虐が満ちて、あなたは罪を犯した。それゆえ、わたしはあなたを神の山から/汚れたものとして投げ出し、守護のケルブはあなたを/火の石の間から追い出した。あなたは自分の美しさのために心高ぶり、その輝きのために自分の知恵を汚したゆえに、わたしはあなたを地に投げうち、王たちの前に置いて見せ物とした。
それならルシファーも神がその場で滅ぼしておけば後腐れがなかったのだが、なぜか彼はエデンの園に侵入し、蛇となって(あるいは蛇の体や口を借りて)イヴを唆し、アダムを堕落させたということになる。「悪魔はアダムにひれ伏すことを拒んだ」という神話もクルアーンが初出ではなく、それ以前に編纂されたユダヤ教やキリスト教の外典・偽典にいくつか語られているという。またアダムは神の地上における代理人だが、御子イエス・キリストはそれ以前に「神の似姿」として天にいたのだから、悪魔が従うのを拒んだのはこちらに対してではないかともいう。17世紀英国で詩人ジョン・ミルトンが作り上げた叙事詩『楽園喪失/失楽園』ではこの説をとっている。
◆地◆
◆獄◆
【続く】
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